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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
叶わぬ理想
叶わぬ理想


人に触れることも触れられることも私は苦手だ。
それは子供の頃からずっと変わっていなくて…。
まあ今は目に見えて確認出来る範囲なら気持ちの準備が出来るからか、昔よりはずっとマシになった。
成長していくにつれ、何とか受け容れる覚悟が出来るようになった。
でも、一時期克服したと思ったのは単なる勘違いで、人並みに恋愛渦中に置かれた時の束の間のブラインドによるものだったようだ。
『恋は盲目』と言う俗世的な言葉をそれなりに体験しただけだった。
当然のめり込むことはなかった。
間もなく恋愛から冷めて正気に戻った時、やっぱり、見えない背後に人の気配を感じるのは堪らなく嫌だった。
背中から抱きつかれたりとか頭を撫でられたりとか…、アニメなんかで主役がよく「俺の背後に立つんじゃねー!」とか言うのがあるが、設定上の基本は違えど、心境は一緒かなと思う。
アニメではその後の台詞に「殺す!」などと言うが、そのくらいの不快感に捕らわれる。
私は敵から身を護るように、触れようとするものを振り払い、心の核はいつも何かに怯えて硬直している感じだった。


そうか、私はいつも見えない敵から身を護ろうとしているのか…。
子供の頃だけでなく、今もずっと変わらず…。


何故なんだろう。
ずっとその原因が気になって、7歳ぐらいの時は既にそんなスキンシップ障害というべく、理解不能な違和感に疑問を抱いていた気がする。
やっぱり肝心な時に親のスキンシップを体験できていないからだろうか。
親とのスキンシップはなかったけど、祖父には抱っこやオンブはして貰っていたというのに。
でも考えてみたら、どちらも無償の愛情の自然な動作ではなく、条件あってのことのようだ。
抱っこは、本を読み聞かせて貰ったり読み書きを教えて貰ったりする為に、膝の上に座らせられる背中のスキンシップ…しっかり向き合った正しいスキンシップとは言えない、歪んだ形のようにも感じる。
確実に心を開いた人が幼い私を背中から包み込む、という100%の安心感があっての接触。
そう100%の安心感がなければ成り立たないスキンシップ。
条件が厳し過ぎて、ある意味、接触(ふれあい)免疫をつけるには向かない。
それに祖父のオンブも、私が喘息発作を起こした時に病院に運ぶ際にとる手段という条件付のスキンシップ。
どちらも私の要望とは違う場所で発生する。

幼い頃、胸に抱き上げられたり、抱きしめられたり、ってあったかどうか記憶がない。
「ママ、だっこー」の記憶がない。抱っこしてもらえなくて駄々を捏ねた記憶もない。
経験がないからに他ならないからなのか。(実はとても聞き分けのいい子だった?笑)
殆どされたことがないから記憶がなくて当たり前なのかもしれない。

何にせよ、今から矯正するのは不可能だと思うし、今更矯正したいとも思わない。
ただ、子供を育てる時、私のこういう障害は何らかの弊害や悪影響を子供に与えそうで、つまりこれがACの連鎖というもののひとつであったりするのかという懸念はある。


私より寧ろ私に接する人の方が、私のスキンシップ障害(恐怖症?)を矯正(治療となると重症だな)して欲しいと望んでいそうだ。
その理由は今のところ、どれも相手側のエゴを満たす為だけで、私自身の為ではなけ、私にとっては苦痛に他ならないことには変わりない。
それが人のために、或いは家族のために自分の心身を捧げる清く正しく望ましい愛の表現であり、行動だと言うならば、私にとってはかなりストレスの溜まる苦痛な課題だ。
その課題をクリアする事が生きることなら、何と高いハードルだろう。
生きることはかなり辛い。





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TITLE:叶わぬ願い





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