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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
カテゴリー「屋根裏(雫の徒然)」の記事一覧

葬式(4)




自分が病に苦しんでいた裏で、血縁の親族と再婚相手が、まさか自分の葬式をするしないで揉めているなど、誰が想像するだろうか。
死んだ後、愛しい再婚相手とは引き離され、再婚を反対していた兄弟姉妹の元に自分の遺骨や位牌が引き取られ置かれているなど、考える筈もない。

愛しい人に先立たれたこの再婚相手は、借金をして葬式をするべきだったのだろうか?
この場合、故人の兄弟姉妹は気が済むに違いない。
しかしこの後、借金返済の生活を送る再婚相手の姿を、故人は「そうまでして私の葬式をしてくれてありがとう。」と喜ぶのだろうか?

今回のケースに限らず、厳しい生活環境でお金を工面して葬式を行い、その後借金で更に厳しい生活を強いられる悪循環の中を生きる人たちを私は何人も知っている。

あの世に行くのに必要とされる『戒名』にしても、結局銭金次第。
商売化された死の概念に洗脳されているとしか思えない。

それほどまでに、世間一般の葬式をすることは大切なことで、しないことは非常識なことなのか?

なぜ皆、何の疑問も持たず受け入れているのだろう?

全てが、この世の、肉体を持つ人間が決めたことに過ぎないではないのか?
本人の心の扱いはどこにあるのか?

私の葬式をあげたがために、生活苦に追い込まれる者たちを私は見たくない。
そう思うことはおかしいことだろうか?

が、おそらく私の気持ちこそが理解されないもの、なのかも知れない。
少なからず生きてる間に、自分の死後の後始末への要望だけは、伝えておこうと思う。
 
 
 

 

 

 

TITLE:足掻く…

 





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葬式(3)

 


 

何もかもが容易にできるほど金銭的な余裕があるなら、送る者たち(遺族とは限らない)は気の済むようにすればいいだろう。
しかし、そうなるとそこには、送られる私の意思など何も存在しない。

そこにあるものは、故人のためという恩着せがましい大義と、送る者の自己満足ということになる。

が、『世の中』の普通をすることが一番面倒臭くないのかもしれない。

一昨日、この話の中心人物は、医者の宣告通りこの世を去った。
実の兄弟姉妹によって葬式も世間並みに行われた。

故人が生前に生活を共にしていた最愛の人は、愛しい人と引き離された。
再婚した時から入院中も、まともに顔を出さなかった兄弟姉妹にだ。

「葬式も出さないあなたに、遺骨は渡せない。」
それが理由だった。

生前愛し合って喜びに満ちた日々を送っていた二人は、葬式というセレモニーが原因で引き離された。

故人はどうあることを望んでいたのだろう?


続く…





TITLE:ふたり



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葬式(2)



私は世間一般のセレモニー化した葬式をしたいとは思わないし、そのようなもので送って欲しいとも思わない。

死んだら、私の死体の処理は必要とは思うが、それは本当に物質として、法に触れない必要最低限のことをしてくれるだけでいい。

葬式をポケットマネーで取り行えるほど、私も私の親族も裕福ではない。
おそらく世間一般の葬式をするには借金をしなければいけないだろう。

それを本人が望んでいるならまだしも、
全く望みもしないのにする必要がどこにあるのだろう?

借金をしてまでも私の葬式を出すことで、残された者が笑顔で幸せに暮らせると言うなら黙って従おう。
(死んでしまったら抵抗できないが。)
しかしそうでないなら、借金の返済に苦しむ姿など見たい筈がないに決まっている。

望まない、私の葬式の費用に出すお金があるなら、そのお金は残ったものが笑顔で希望を確信できる未来に充ててくれるのがいい。
そして生前の私の証をそこに添わせてくれるだけでいいのだ。


続く…
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 


 TITLE:生の色

 

 

 




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葬式(1)




私の生活環境の中に、今当に、死と直面している人がいる。

私とは全く関係のない人ではあるが、私の知人の知人であることから、何かと情報が耳に入る。

昨年、余命を宣告され、その期限が今日明日に迫っている。

ところが、ある現実的な問題が持ち上がった。
その人の再婚した配偶者が、葬式をしないと言い出した。

少し複雑な関係で、ネックとなる理由は諸々あるが、一番の理由は、お金が無いということらしい。

知人は激怒した。
「どんな理由であれ、お葬式をあげないなんて考えられない。」

死期を待つその人の兄弟姉妹も激怒した。
自分たちが引き取って葬式をあげるから、今後一切関わらないでくれ、と。

一般にはそうなりうる話だろう。
人として正常に人と関わり生きて来た人は、葬式というセレモニーで送られることも送ることも、疑問の余地を持たないほど自然で当然のことなのだろう。

でも私にとって葬式は、疑問しか浮かばないセレモニーである。


続く…




TITLE:尊厳を映す



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『ACの特徴的な心理パターン』との照合リスト


前回、自分がACであることに気付かずに一生を終えれば幸いであるが、
自分が抱えている生き辛さが一般的でないと気付いた時、
そこから葛藤が始まると書きました。

以下はウィキペディアからの抜粋ですが、『ACの特徴的な心理パターン』というのが、
箇条書きでありましたので、ここにアップします。

YESが多いほどACである可能性が大きいということになるでしょう。
しかしながら、当て嵌まるか当て嵌まらないかが問題ではありません。
当て嵌まるからと言って落ち込む必要もありません。
少しでも肩の力を抜いて、今後のご自身の人生を少しでも楽に楽しく、
希望を見出す力の一助にして頂きたいと思います。

ACの特徴的な心理パターン』

1) 正しいと思われることにも疑いを持つ。
2) 物事を最後までやりぬくことが困難。
3) 本音を言えるような場面で嘘 をつく。習慣 的に嘘 をついてしまう。
4) 自分を情け容赦なく批判する。自己処罰癖、自罰傾向がある。
5) 自分のことを深刻に考え過ぎる。
6) 様々なことをリラックス して楽しむことや遊ぶことが出来ない。
7) 他人と親密な(心の通った)関係が持てない。
8) 環境 の変化に過剰反応する。
9) 常に他人から肯定され、受け入れられることを求めている。
10) 他人からの承認、賛同、称賛を必要とする。
11) 自分は他人とは違っていると感じている。
12) 過剰に責任を持ったり、逆に、過剰に無責任になったりする。
13) 従うことに価値 がない場面でも、従いがちである。
14) 衝動的で、ひとつのことに閉じこもる。
15) 衝動的であるためトラブルが多い。
16) 離人感 、自分が自分でなくなるような感覚。
17) 身体性が希薄。
18) 他人への依存。
19) 自立的な判断と思考の欠如・周囲の期待に合わせようとする。
20) 自分を殺して違う自分に成り代わり、期待されている自分を演技してしまう。
21) ストレートに「嫌です」が言えない。
22) 甘えと愛情、依存としがみつきの区別がつかない。
23) 妄想 を持つことがある
24) 喜怒哀楽の表現が不得手で感情 の波が激しい。
25) 無力感を訴え、心身症 に陥りやすい。
26) 自分の判断に自信が持てない。
27) 傷つきやすく、閉じこもりがち。
28) 孤独感、自己疎外感が強い。
29) 自分にはどうにも出来ないことに過剰反応してしまう。
30) 世話やきに熱中しやすい。

Wikipediaより)

 

 
TITLE:青空に希望を馳せる(2)

 

 

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『ACの特徴的な心理パターン』との照合

 

面倒な内容なので、画像だけでも爽やかにします。

これまでこのブログにお付き合い頂いた方は薄々感づいているかと思います。
『RETREAT(秘密基地)』に隠れている『月の雫』はアダルトチルドレンです。
声を押し殺し、開くことのない部屋に子ども期を閉じ込めることで生を未来へ繋げてきた、

アダルトチルドレンです。

成長していく過程で誰もが多かれ少なかれ何らかの問題を抱えているでしょう。
しかし本髄はそう大差なくとも、それに様々な条件や要因が複雑に絡まり、
その後生きる上で、振り払い切れないほど膨れ上がった重石を背負う者もいます。
子ども期を失ったが為にそれらの重石或いは枷(かせ)を外す力を身に付けられずに、
もがきながら大人になってしまう者もいるのです。

どちらにせよ生き辛く苦しい筈なのにその苦しさを正当化して、
それらをさも人の人生に不可欠な懺悔や試練という名の美徳であるかのように,
自分自身に科します。
しかしある時何かの切欠で、それは必要のない苦しみであることに気付くのです。
全ての根源が、正常に機能しない家庭環境によって生まれたトラウマであり、
子ども期を欠落したことに端を発していると気付いた時、そこから葛藤が始まります。

ウィキペディアからの抜粋ですが、『ACの特徴的な心理パターン』というのがあったので、
次回ここにアップします。




TITLE:青空に希望を馳せる(1)

 

 

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呪縛の糸に繋がれたまま、どこまで漂っていくのか…

 

 

久しぶりに電話で母と話した。

この時季、私は、父が亡くなってからずっと、父の好物だったある果物を実家に送っている。

表向きは亡くなった父を偲ぶ娘が、遠く離れて墓参りすら儘成らないせめてもの供養の為に行なっているかのように見えるかもしれない。

けれど、正直なところ、私の中にそんなものはない。

父の生前、私が少女期から長年抱き押し込めてきた父への反発心。

大人になった今、やっと真っ向から向き合う覚悟が出来て挑もうとした時に、身をかわすようにあの世へ行ってしまった父に対して、ターゲットが消滅してしまった後の虚無感を受け容れられず、止むを得ず繋がっているだけの行き場のない気持ちに過ぎない。

私は大嫌いだった父の亡霊のような呪縛に囚われたままなのだと思う。

最近は、私が口を噤むことで私以外の幸福が存在しているなら、私の一生はそれに添うように存在してもいいと思うようになっている。

世の中の人はこれを成長と言うのか、ただの無気力と言うのかは分からないが、気力も体力もピークを越えたのは確かだ。

そんな私と相反して、受話器の向こうの母はやたらと人間じみていて、妙に素直に喜怒哀楽を表に現している。

そこには私を育てた、仮面のように冷たく表情の乏しかったクールな彼女はいない。

あの頃から母は様々な事に器用な人ではあったけれど、世渡りも生き方にも器用なんだと知った。

今の母は連れ合いが死んでから、水を得た魚のように生き生きと自分の人生を満喫している。

どうせなら、その器用さを叩き込んで欲しかった。

今更だけど、私は器用そうに見える蓑を纏い自分もそう錯覚していた、実は酷く不器用な人間なんだと気付いた。

独裁的指導者の消えたその後の日々、まるで若い娘のように身体に染み付いた農作業を無邪気に楽しむ母に接するたび、私の人生って何だったんだろうと思う。

父や母が良い人生を歩む為の道具か、それは言い過ぎとしても、彼らの人生の課題の一つにあてがわれただけなんだろうかという気がしてくる。

彼や彼女のこの世での修行の為に組み込まれた単なる課題として、私(の人生)はこの世に落とされたのか?

「あなたは彼らの人生を支え、助けたんだよ。」とでも思えというのか?

もしも私が捻くれてたら、私がこんなに荒んだのはあいつらのせいだと、きっとこんな解釈は逆恨みに転じかねないのだろうが、幸い気力と言うものが失せている今、何かもう、「好きに使ってくれ」といった心境でもある。

劣化して萎んでいくだけのフワフワ漂っている風船の心境とでも言うか。

何もない、虚無という時間の流れにプカプカ漂っている心境だ。
いつまで続くのかな……
何処までも細く伸びていく呪縛の糸……




 


 

TITLE:呪縛の糸に繋がれたまま漂う


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ありがとうが言えない(3)


こんな風だから、自分が当たり前だと思ってやっていることや、
助けなしでもなんとかやれる事を、
褒められても手助けされても嬉しくないんだと思う。
 


私の祖母が、何でも褒める人だった。

でも祖母はこれと言って特別な知識も教養も才能もない、
祖母の時代なら致し方ないことではあるが、
本当に何にも知らない人だった。

そんな祖母に、できて当たり前のことを褒めちぎられても、
私はちっとも嬉しくなかった。

褒められれば褒められるほど、
分が出来損ないだと蔑み皮肉られているようで、
ただただ惨めな気持ちになったのを憶えている。

人の好意を心から素直に受け容れることは、
私にとってとても難しい課題だ。


だが、子どもの頃から本音を文字に綴ってきたせいか、
文章での気持ちのやり取りは素直に受け容れてしまうところがある。

これは文面だけで人を判断しかねないということで、
ともすると本当は下心と悪意に満ちた人間を、
善人と勘違いしかねないということでもある。

やさしい言葉を並べ本性を偽装した文章に惑わされ、
されないようにしなければと思う。


そういえば、人に何かをして貰ってもあまり嬉しくないのは何故か、とか、
何かをして貰っても心から感謝の気持ちが浮かばないのは何故か、とか、
そんなことを考えてふと気付いたこと。

私は何かをする時、本当は一人じゃなくて、
誰かと一緒にやりたいんだと、思った。

子どもの頃の炊事や膨大な量の食器の後片付けも、
母と一緒にやっている時は決して嫌じゃなかったし、
農作業や家畜の世話も誰かと一緒にやっている時は、
決して嫌じゃなかった。
寧ろとっても、とっても楽しかったな…。

そんなことを思い出した。 


お終い

TITLE:さりげなく…在る

 


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ありがとうが言えない(2)

 

 

こんなに大人になってしまってから、

最近はやっと人の助けを受け容れる事が出来るようになったが、
根本にある気持ちは全くかわっていない。

 

私の嫌なところは、自分がそうだからだと思うが、
相手が何かをする時に困っていても、
手を差し伸べてあげることができないというところだ。

私が出来ることに関しては、
「こんな私でもできたんだから、自分で何とかしなさいよ」
冷たいかもしれないがそんな風に思ってしまう。
酷い時は「あなたも困ればいいんだ」と思ってしまう。

でも、私には到底出来そうもないことで、
相手が処理や対処に苦戦している時はどういうわけか、
躊躇なく手を差し伸べる事ができる。
そこにはおそらく羨望と尊敬が生まれているように思う。

ただ、今、私が常識だと思ってやれていることは、
意外にも世の中では結構難しいことだったりする。

私が、育った環境でこんなことも出来ないのかと
『どん臭さ』のレッテルを貼られてきたことが、だ。

しかし、出来るから得したと言うことはあまり無く、
相手に劣等感を与えるばかりで、
相手を嫌な気分にさせて毛嫌いされることが多かった。

だから出来ない振りをして、相手をバカみたいにおだてて、
ひたすら目立たないように生きてきた。

こんな風だから、自分が当たり前だと思ってやっていることや、
助けなしでもなんとかやれる事を、
褒められても手助けされても嬉しくないんだと思う。
 

続く…

TITLE:さりげなく…在る

 

 


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ありがとうが言えない(1)

 

 

人に何かをして貰ってもあまり嬉しくないのは何故なんだろう
何かをして貰っても心から感謝の気持ちが浮かばないのは何故だろう

ずーっと前から、人に何かを手助けしてもらう度、

顔は微笑み口ではありがとうと言いながら、
いつも、心の底から感謝できない私がいる。
ありがとうと言うことに抵抗を感じている私がいる。

大体のことは、私が自分から手助けを求めたわけではなく、

相手本位の善意が多いからかもしれない。

どもの頃から、自分ひとりで物事をもこなす癖がついていて、
キツイと感じながらもそうすることが当たり前の環境で育ち、
どんな場合も自分から他人に助けを求めることは、まずなかった。
どんなに辛くても苦しくても、

「お願いです。助けて下さい。」と人にすがることは、
私の中では屈辱だったように思う。

だから、大抵の場合に於いて助けは無用で、

苦しい状況でも放っておかれた方が、私自身は楽だった。
出来ない時は自分の無能を目の当たりにすることが出来るわけだし。

手助けがされると、自分の不出来を指摘されているようで、

ただ屈辱に突き落とされるのだ。
だから、「ありがとう」と口にすることに対して、

感謝どころか悔しさばかりが膨れ上がった。

こんなに大人になってしまってから、

最近はやっと人の助けを受け容れる事が出来るようになったが、
根本にある気持ちは全くかわっていない。
 

 

続く…

TITLE:さりげなく…在る

 


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偶然に意味はあるか(3)

彼女が口でそう言った訳ではないが、雫が見てきた10年間の彼女の人間性や性格に照らし合わせた時、雫は彼女の曇った表情をそう受け止めずにはいられなかった。

感性の違う者同士が同じ環境で時間を共有するという事は、我慢出来る範囲の短い時間ならそれは日々、何らかの気分転換でやり過ごすことができるであろう。
しかし長い時間となるとそうもいかない。
それはそれぞれの水質の違う水で育った魚を一つの水槽に入れるようなもので、中には逞しく適応して生き延びるものもいるかもしれないが、大抵は時間の経過と共に弱り、最悪死んでいく。
合わない水の中で生きること、その中で受けるダメージは想像以上に大きいのだ。
ましてその水槽に入れられたもの同士が合わなければ尚更ダメージは大きい。
そのダメージは、より水に適応性のない方に作用し生気を奪っていく。


人間も同じに思えた。
人間もその環境(水)によって、あまりにその水が合わなければ、どんなに必死に小さな生きる糧を探し縋り付こうが、生き延びようともがき足掻こうが、力尽きてしまうことがあるんじゃないだろうか。
合わない水の中で、自分を奮起させようとすればするほど力を消耗し沈んでいく。
雫が何とか自分の水を生き延びようと、縋りついた小さな『偶然』と言う藻は、当に藻屑となり、何の意味も力も持たなかったのだ。


今雫は、最近水槽に投入された元気な(その水に適応性を持った)魚と、その魚によって適応力を呼び覚まされた魚(信頼関係がほつれつつある経営者)とによって、水槽の外へ追い出されようとしている。
合わない水の中をどんなに必死に泳いだとしても、現実はいとも簡単に費やしてきた全てから、努力や一生懸命という価値を消し去るのだ。
そこには偶然など意味も必要もない。
そして本当に必要なのは、その人間が伸び伸びと喜びをもって、生き生きと時間を重ねられる人生、つまりはその魚に相応しい水なのだ。


魚なら、その水が合わなければすぐに合う水を準備し、新しい水槽に移せばよい。
手遅れでなければ息を吹き返すだろう。
しかし人間は、最初の水槽の水が合わないからと言って、新しい水槽に出会うことなど滅多にない。
最初から最後まで会わない水の中で瀕死の苦しみに縛られ一生を終える者は五万といる。
雫もそうして人生を終える一人となるのか。


このことを、雫の思い過ごしと受けとるも、被害妄想と受け取るも、それはこの四角い画面のそちらにいるあなたの自由ではあるけれど。

(お終い)



TITLE:一期一会の光

 

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偶然に意味はあるか(2)

彼女は人の情にとても冷めていて、割り切りがよかった。
つまり人間への対応が非情に事務的なのだった。
そしてプライベートでは徹底して、外部とは必要以上の接触をしなかった。


そんな彼女がこの仕事をしていること、同様にこの仕事に向いているとは思えない雫がこの仕事をしていること、更に珍しい姓の一致という偶然は、その間に何か運命的なものでもなければ成り立たないようにさえ思えた。
だからこそ雫は、10
年以上もこの仕事を続けていられるのだろう。
雫は彼女の、人に媚びない仕事上のスタンスと揺るぎないポリシーに惹かれていたように思う。
なぜならこの職は寧ろそういうものは必要なく、というより邪魔と言ってもよいもので、この逆のスタンスでこなさなければ長続きしないといっても過言ではないのだ。
この仕事に携わる殆どの女性は、当然のことながら彼女と真逆だった。
それほどこの経営者はこの職種に於いては人間的には不向きな浮いた存在だった。


今日初めて雫は、彼女と自分の出会いの不思議を、彼女と向かい合って、それとない話の流れで話題にした。(勿論彼女がこの仕事に向いてないなどとは言えないが。)
普段は世間話ばかりで、プライバシーに関わる話は殆どしたことがなかった。
初めてしたプライベートな会話は、しみじみと雫の心に沁みていた。
ただそれだけのことではあったが、雫にとっては運命の不思議で、どこか嬉しいプレゼントにも似た喜びが心に芽生えていたのだった。


しかし、喜ぶ雫を余所目に彼女は違っていた。
その表情は明らかに迷惑そうに曇り、表面的にでも雫との繋がりを喜ぶ嬉しそうな様子は微塵もなく、重く暗かった。
それは片思いのショックのように、雫の彼女への信頼心に、不信感という小さいながら深い傷をつけた。
雫と繋がったほんの小さな共通点は彼女にとっては受け入れ難い汚点で、潜在意識に宿る彼女ですら気付いていないプライドを傷付けたのか…

もしそうであれば、彼女にとっては雫は自分と比較して欲しくない存在で、彼女は雫を見下しているとも思えてしまう。
彼女が口でそう言った訳ではないが、雫が見てきた
10年間の彼女の人間性や性格に照らし合わせた時、雫は彼女の曇った表情をそう受け止めずにはいられなかった。


(続く…)



TITLE:一期一会の光

 

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偶然に意味はあるか(1)


雫が今の仕事に就いて、彼是10数年経つが、彼女はつい最近知ったことがある。
長い10年もの間、四六時中顔を突き合わせていた経営者(女の旧姓が、そうそうありえない雫の母の苗字と同じだということだった。
それも本人の口から聞いたわけでなく、たまたまその経営者不在の場で、たまたま居合わせた経営者の知人からという経路でだった。
勿論その知人と雫は出身地も育った場所も職種も違う。
経営者(彼女)とは、可能な限り遡って先祖を辿っても、全く親戚関係はない。
雫にとっては人生でベスト3に入れてもよいくらい、不思議な偶然に思えた。


今のこの仕事は、上下関係を超えたところで腐れ縁的に携わることになった仕事で、有る意味それは見えない赤い糸かもなどとロマンティックな妄想さえ巡らした。
雫の中では、彼女(経営者)と自分の間にこのような特別な繋がりを見出したことは、信頼関係を深めるに十分な要素を含んでいた。
第三者からすれば、そこまでミステリーなことかと一笑に付されるかもしれないが、18歳で見ず知らずの土地で頼るものもなく生活を始めた雫にとっては、大きな支えとなる糸を見出したに等しいのである。


さらにそのような運命的なものを感じた理由は、その経営者(彼女)が性格的にこの仕事に向いているとは到底思えないからだった。
喜怒哀楽の表現が豊かでそういうものに対する反応も激しく、人間臭くなければできないような職なのに、彼女は人の情にとても冷めていて、割り切りがよかった。
つまり人間への対応が非情に事務的なのだった。
そしてプライベートでは徹底して、外部とは必要以上の接触をしなかった。


(続く…)



TITLE:一期一会の光

 

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雫の本質とは?



ネット社会に暮らす雫は、そこで様々な情報を得て、AC(アダルトチルドレン)の項目に一番、自分との多くの共通点を見出した。
あくまで一番共通点が多いというだけで、違う部分も勿論多くあった。

基本的に大きく違うのは、実生活の中で雫は、感情が高ぶってヒステリックになったり、破壊的になったり、暴力的になったりすることはないという点だった。
そういう衝動に駆られたりすることはあるがあくまでそれは衝動に過ぎなかった。

何故衝動だけで止まるのか?
それは、衝動を爆発させたら、その時の雫は負の高ぶりを発散してすっきりするかも知れないが、必ずその後の始末や自業自得の情けない姿や、とばっちりを食らって損をしている迷惑そうな未来の自分が容易に想像できてしまうからだった。
しっかりと人間として生きていくための損得を冷静に計算し、自分をそれに従わせているのであろう。
現在の雫は未来の雫に操られているとも言える。

心の病と括られる中に、AC以外との共通点はないのか、雫は別の符合点も調べてみた。
パニック障害ではない。OD(オーバードーズ - overdose.薬物過剰摂取)でもない。
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder心的外傷後ストレス障害)でもない。
解離性同一性障害でもない。
性同一性障害の傾向があるかとも思ったが、男女どちらにも強い性的愛情は持てないので、それとは違うと思われ、それも問題とするほどでもない。

雫を一般的に言われる心の病とするなら、そこには明らかに矛盾することがある。どの心の病もそうだけれど、基本的にはどの人も、人を心から愛し愛されたいと願い、そうなれる自分を欲している。
そうなることを目指している。
しかし雫は違う。

大抵の人間が、目指す人間像を無意識に目標として抱いているように、雫にもいつか死ぬまで生を続けていくための目標は必要だとは思う。
ただ、これまでの流れを考えると、それを支えるものは愛情ではない。
雫に必要な目標とは愛ではなく、理想として掲げておけるに値する揺るがない信頼と尊敬。しかしながら、言葉にするは簡単で、実際は生身の人間にあまり期待しておらず、それすらも単に生きるための目的として無理矢理設定しているような気さえしてくる。

こういう意識しかないのは、雫が何か普通と違う欠損部分があるからなのか?
それとも、人間として未熟なだけなのか?

今まで何とか雫は、人間でいることを喜び楽しみ、その生業を受け入れ、人間であることに執着しようとしてきた。
でも最近、何故そうしなければいけないのかとか、そう思えない自分は変なのかとか、どんどん執着意欲がなくなっている。

人間でいなければいけない以上、人と大きく違うその意識の根底にある原因が知りたい。
そうしなければ最後まで、演じる事を苦痛として抱いたまま一生を終えかねない。
感情の希薄な雫でもそれがいいこととは思えない限り、せめてその答えは見つけたい。
雫はそんな思いで秘密基地に身を置き、自らを救う方法を模索し続けている。

同じような人がいればもっと情報や成果が得られるだろうが、なかなか一筋縄ではいかない。
答えに辿り着けるのはいつなのだろうか。
辿り着ける日があるのだろうか。





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TITLE:本質は何処




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共生(2)



雫は泣くことに対して、強い敗北の念を持っていた。
子どもの頃から滅多なことでは泣かない子だった。
しかしこの作業に取り掛かってからは、過去の出来事を思い出す度に(封印したものを掘り起こす度に)、
胸が苦しくなり、涙が否応無しに込み上げてその頬を伝った。
涙が零れたからと言って、声を出して泣くことが出来た分けではない。
そこには思い切り泣くことは出来ない雫が相変わらず存在していたが、
その涙が流れるという自分自身の感情に驚く雫が存在し、
またそんな自分が雫にはとても新鮮だった。

ふと気付くといつしかそこには、
あの機能不全家族が営む歪んだ時間の中に放り込まれた子どもの自分を、
まるで母親のように慰める雫がいた。
子どもらしさを奪われ失い、暗闇の中で小さく蹲っていた子どもの自分を、
そっと抱きしめるような感情と眼差しで包み、彼女の生きた時間と彼女自身を慰める雫がいた。

一番近くにいるにも拘わらず、本来一番自分自身を認めて欲しかった人には、
褒められる事も認められることなく過ごし、女である価値さえ否定された子供の頃の自分を、
「よく頑張ったね」と、今の大人になった自分が代わりに褒めてあげたのだった。
それは『過去の幼い自分の存在を認める』というプロセスだった。

吐き出すことの出来ないトラウマはまだまだ雫の中に燻っている。
雫は全てを処理しきった分けではない。
だが、雫はそれを抱えていることが以前ほど苦痛ではなくなっていた。
焦らずに向かい合うことが出来、今は共存と言う方法で折り合いをつけている状態に思える。

雫はそれらをいつか全て吐き出すことができるのかもしれない。
もしかしたら今後様々な人生模様に染まるうちに、
吐き出すことはそれほど重要ではなくなるかもしれない。
ただ、焦らずに付き合っていける、穏やかな気持ちで向かい合っていける、
そんな心境になったことは確かだった。

最近、些細な細波のような心動とも言うべき揺れを、
詩や絵で綴ることでやり過ごすことが出来ているのは、
雫がそういう状況にあるからだと思う。






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TITLE:共生




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共生(1)



深層で燻る得体の知れないモノ、その存在が有なのか無なのかも分からず、
雫は自身の中で同化し溜まったそのモノに蓋をして生きてきた。
苦しさや辛さに直面すれば、それは甘えで取るに足らない小さなことなのだと自分を騙し、
非とされる悪い感情に囚われる度、自分の弱さ故と自己嫌悪に陥り、
自分の存在を肯定することが出来ずに生きてきた。
雫はねっとりと纏わり付くような生き辛さと共生していた。

ある時、自分が機能不全家庭で育ったACと言う状態なのだということを知った。
同じACの悩みと向かい合っている四角い画面の向うのネット世界の人々の情報から、
過去を書き出すと言う方法でこの苦しみから逃れられる可能性があることを知った。
これまで雫を苦しめ続けている得体の知れないそれらの正体を暴き出し処理することで、
原因の分からない生き辛さから脱出できるかも知れないと知った。
希望を見出したのだった。
雫は自分自身の生き辛さに潜む魔物に挑むべく戦いの場所として、ここに秘密基地を作った。

そうは言うものの初めは意気込みも表面的で自身もそれほど深刻にのめり込む事はなく、
その安易な気持ちの根拠は成果に対する猜疑心であったろう。
そんな疑心暗鬼の状態で、雫は手始めに記憶の掘り起こしに取り掛かった。

雫の記憶は何故か虫食いのように、と言うより、殆ど虫に食われてしまった葉のように、
葉脈すら消滅した葉のように欠落していた。
その欠落した幼少期や少女期の過去の記憶を掘り起こす作業に、
雫は僅かずつ空いた時間を費やし向かい合った。
日を重ね作業を重ねていくうちに、何かに取り憑かれたように可能な限りの時間を費やすようになっていた。
書き出すにつれ、忘却の記憶は網に引っ掛かった獲物のように次から次とその姿を現した。
忘却というより、それらは封印していたもの…。

それらは恰も涙というものに姿を変えて、目という網目から、
暗闇から開放してくれと言わんばかりに、這い出してくるかのようだった。



…(2)に続きます。




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TITLE:共生




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取るに足らない誇り




子供の頃、友人の家へ遊びに行くと、お昼には決まってその家の親は、「何もないけど一緒にご飯を食べて行きなさい。」と食事に誘ってくれました。一緒に遊びに来ていた他の子は昼食は勿論のこと、その後も一緒に遊び続けて、夕食まで頂くこともあったようです。

私はと言うと、親戚と言えども其処の家の食事に肖るということはありませんでした。なぜならそれは私にとって、と言うより私が受けた我が家の教育方針が、他所の家庭の食事に肖ることは施しを受けることであり、施しを受けることは恥であるという教育だったからです。

他所の家の食事を食べると言うことは、食べ物を恵んで貰うということに変わりなく、それはみっともなくて恥ずかしいことで、家族や家系に泥を塗り、祖父や父のプライドを傷つける行為に他ならなかったのです。それほど私の親家族は人の世話になることを尽く嫌っていました。

他所で一緒に遊んでいた友人達が、そのお宅でお昼ご飯を食べている間、私は一人だけ自分の家にわざわざ戻って食事を済ませ、再び足を運びました。戻って食事が出来ないような遠い場所の時は、一人だけ午前中で遊ぶのをやめて、友人と別れて帰宅するのでした。

今思うと、その頃から私は、本来経験すべき子供の世界や人間関係を築くチャンスを奪われ、子供なのに大人の環境に縛り付けられて行動範囲を制限され、結局は行動をコントロールされて、『子供』を体験する事を許されなかったのです。

大人にとって都合のいい子に着々と育て上げられていた訳です。人の世話になる事は恥ずかしいことなんだとすり込まれ、苦しくても苦しいと言えず、辛くても辛いと言えず、助けが欲しくても助けてと言えない、終いには自分から人の情を拒絶するようになってしまったのです。人に弱さを晒す事が屈辱と感じるようになってしまいました。

全くもって、大人になって世の中を渡って生きていくには、絡みづらく可愛気のない人間です。男性からみたら、女としては最悪でしょう。

厄介なのが、そういう人間であるが故か、自分より年上の男性に甘えられる事が許せません。出来るであろうことが出来なかったり、子供じみていたり、甘えてくる男性が許せません。時々、男性に甘えられると母性本能を擽られ嬉しいとか、大人の男性の中に見える少年の部分が魅力的だという女性がいますが、私はありえません。

ただ、兄弟の一番上で育ったせいか、男女問わず年下に対しては、守らなければいけないという使命感と責任のようなものを無意識に抱いてしまいます。なのに、年上の男性に甘えられるととても不快なのです。(正直に言うならムカついてヘドが出ると言ったところでしょうか。)

それほど、自分の全てをいつ何時も安心して委ねられる相手しか認められないし、信用できなくなってしまっています。根底は大人を信じられない人間不信なのでしょう。

それでも最近はそのような男女関係に身を置くこともあまりなくなったこと、私自身も人生経験を積むにつれ、自分の意思表示が出来る神経の太さも徐々に持ち合わすようになってきたようで、多少は人間に馴染んできたかなと感じています。

どんな家族にもきっと様々なその家族だけのルールがあると思います。今ふと思い出しても、子供教育にも家族間の愛情にも何のメリットもない、ただ大人のエゴに重きを置いた、随分と理不尽なルールで縛られていたものだと思います。






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TITLE:見守る?見張る?



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根本3…出来るなら


忠告いたします。
生きることに一生懸命な人は、
ここから先は鬱々とした内容で腹が立つか、不快感を抱くと思われます。
苦手な方は読まないで下さい。



自分が嫌い
嫌いで嫌いで堪らない
嫌いの理由は自分の欲しいものが一つも備わっていないから

欲しいものは自分で努力して手に入れるものだなんて
ポジティブを翳して素晴らしいエールを送るかの如く無粋なことを言う人が必ずいる
手に入れられる人は手に入れられるに値するだけの条件を
潜在的或いは運命上に持っていると思う

私は自転車(それも世で俗にいうママチャリ)のくせに
自動車(F1とか)レースに出たくて堪らない身の程知らず
自分が自転車のくせにレーシングカーだと思って
レースに出場する事を夢見ている
ただの勘違いな身の程知らず
そういうことだと思う
1から10まで無い物強請り…

昔は女であることがイヤでイヤで堪らなかった
女であるが故に制限された願望が沢山あったから
女であることが私の人生のそもそもの間違いなんだと思った
女に生まれてよかったなんて一度も思ったことがなかった(今も)

ところが問題はもっともっとそれより大きな枠組みでもっと前の段階の問題で
私は女であることがイヤである以前に人間であることがイヤなんだと分かった
何故人間であることがイヤなのか一言で書き表せないのは
書き出したらきっと収拾がつかなくなるくらい
自分が思う以上に沢山原因が出現してきそうだから


自分の器とは違うものを望み続けている
馬鹿な例えだけれど同じ電化製品でも冷蔵庫はテレビになれない
自分の役目が分かっていないし
自分の役目を受け容れるという肝心な機能がないとしか思えない
何故っていつまでたってもこんなに悩むばかりで
未だに理解し納得することができないんだもの
往生際が悪いよね

それならいっそのこと
普通に人間として女性として人生を幸せだと思える感覚を持っていたかった
そんな普通に生まれたかった
性と体がちぐはぐな人が存在するように
ある人生のスタートに置かれた人間と言う命の
外側と中身(意識)が取り違えられているようで
私は脳と体がちぐはぐみたい


そんなことを考えないように脳の神経回路取り替えないと
自分を好きになるなんてことは出来そうにない気がする

人を心から好きになるためには
人を信用(信頼)することが出来なければいけなくて
そのためには人間に生まれたことを喜ばなければいけなくて
それって
「おぎゃあ」と生まれる所から始めないといけないってことじゃないか
無理でしょ、今更…

本当にいつまで経っても座標不明だ
根本から間違っていたんだと思うと妙に納得する
これから人生いくらでもやり直しが出来ると言われるより
やる気さえあれば何だって出来るし夢は叶うと言われるより
(だってそれらはいつだって、当事者とは関係のない他人が言うこと)

生まれたところからやり直すしかないと言われた方がほっとする
ずっと説得力がある

出来るなら
もう一度、というよりまだ「人間」というものをしなければいけないなら
「おぎゃあ」と生まれるところからやり直したい

そしたら人並みに
愛情の価値や存在を受け容れることが出来る人生が送れるのかな
それが正しい人間らしい生き方らしいし…
と言っても愛情の重要性を必要としていない自分の頭じゃ
あまりステキなこととは思えない

今の私にその価値は分からない





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TITLE:遙かな希望





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根本2…期待

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一つ最近はっきり見えてきたことがある

私の心のずっとずっと奥には
現実で生活する目に見えている私も、目に見えない心の歪んだ私も、
両方の私の全てを受け止めてくれる人がこの世に存在してくれたらいいのにと望んでいて
現実の生活でも生きる目的は基本的にそこで
いつかは分かり合える人(性別は問題じゃない)に会えるんじゃないかと
ささやかな期待をしている

最近はこうしてネットの波を泳ぎながら、
こちら(ネット世界)でも心のどこかで些細な期待をしている

部分的な共通点で呼び合ったんだなと感じる人は
表世界でも此処でも何人かと出会ってはいるけれど
所詮部分的なことなのでそうでない部分には蓋をしたまま…
叶わないに変わりはない

大抵人は表か裏かどちらしか見てくれないし、
どちらかにしか呼びあわないし
どちらかしか受け容れられないんだと思う

どちらも受け容れられるほど器用にできていない
厳密に言うと私も含めて…(ないもの強請り)

何故人間がそんなに不器用に作られているのかわからないけれど
私の場合は有り難くないことに些か器用で裏も表も多少見えるようだ

人を全面的に信用していないのが原因で
敢えて見ないようにしているんだと思う。
なんだ根本は単なる人間不信じゃないかと
鼻でせせら笑う自分がぴたりと貼りついている

人や世の中や自分に期待するものが沢山ありすぎて
それに叶わないと失望し背徳の念に囚われ絶望感に襲われる
馬っ鹿じゃないの
自分勝手身勝手この上なしの酷い最低の性格だ

常に被害者意識がどこかにあってその原因を探している
自分を正当化するためにナスリツケル材料を探しているんだ
偉そうな事ばかり言っているけれど
人に何かを期待する資格のない最低の人間じゃないか

子供の頃
勿論それは特別な日のこと
「何でも買ってあげるよ、何が欲しい?」と訊ねられると
「何もいらない」と言う子だった
遠慮とかじゃなくて…
あの頃から私が欲しいのはお金で買えないものばかりだった
言っても叶わないと悟っていたから単に言わなかっただけ

そして今も欲しいものは
相変わらずお金で買えないものばかりみたいで





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TITLE:期待





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根本1…行き着く場所?

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顔など見えないし個人情報が曝される訳じゃないブログの世界
知らない赤の他人ばかりだというのに性別くらいしか明かせない自分
どれだけ自分に自信がないんだろうかと思う
秘密だらけ

中には年齢、生活地、職業、諸々、更に顔写真まで公開する人がいる
私にはその神経と心情をどんなに頭を捻っても理解できない
理解する機能…能力そのものが備わっていないのか
欲しいかと言われると、それもよく分からないけど…

現実にいる自分の存在を受け入れられないのは自分を認めていないから
自分が自分を認めてあげないで誰が認めると言うのか
そんなことは随分前に諭そうとしたし自分に言い聞かせた
自分もそれを素直に正しいことだと思ったしそうすることに努めた

だけどそんな表面的なことで片付けようとする自分が
無性にくだらなくて鬱陶しくて
そういうことをしている他人でさえも苛立つほど鬱陶しくて…
少しずつ救われていると思ったのは
物事をキレイに片付けたいと思う私の性分から生まれた願望で
本当は全然救われない

多分、これが躁の波と鬱の波の繰り返しで
心に何かしらの歪みを持つ人にはよくあることなんだろう
寄せては返し、寄せては返し…どこかに辿り着こうとしている
どこに辿り着こうとしているのか、そしてどこに辿り着くのか、
辿り着く場所があるのか…
そもそも、生きている間に辿り着けるんだろうかなんてふと思う

木曜日は気が重い
(毎日気が重いか…人がいる場所にいること自体が気が重い)
みんな消えればいいって思うけれど
そんなことを思っているお前が消えろって言われるんだろうな

生きる気力のない人に対して
「馬鹿なことを考えちゃいけない」と真剣に励ます表情の裏で
どれだけ沢山の人が聞こえない声で
「勝手にすればいい」と吐き捨てているんだろう
私も然りで十人中九人には同じことをおもっている
「あなたに与えられた人生でしょ、私の知ったことじゃない」
そのまま自分に返せばいいと別の私が言っている

自分が誰の意識の中にも残らなければ死ぬ時どんなに楽なんだろうと思う
「私が死んだらすぐに忘れて下さい。多分私もすぐに忘れるから。」
遺言状に書くことは山ほどありそうだ





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TITLE:行き着く場所



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Mustとトウモロコシ

must《義務・必要・強制》…ねばならない,すべきである,する必要がある

ここは現実世界で関わっている人間関係には明かせない心の内から生まれた、『雫』と言うもうひとりの住処です。現実世界の人達には、ここを知られると関係が壊れかねないことと、大切な人達にまで悪影響を及ぼしかねないので、雫はこの場所をカミングアウトすることはできません。

ある時、特に深く考えずブログを始めました。更新しながら時々直面する非公開を強いられる感情、文字を綴ることで呼び起こされてしまった心の葛藤を何とかするために、考え巡らした結果、行き詰った心は『雫』として生まれ、ここに逃げ込む場所を作りました。膨れ上がる、やり場のない闇を抱え、正気を保つにはこうするしかなかったのでした。

切迫した心は何かに脅迫されるかのように罪悪感に駆られ、不必要な負荷を自分に掛けてしまうようです。実際、今でこそこの場所ではかなりスローな更新ですが、この場所を作るまでは表と裏の狭間で毎日のように文字が綴られていました。雫は毎日更新しなければいけないという負荷をいつの間にか掛けていたのでした。

例えば、休みにも関わらず、用事があるなしに関わらず、朝起きると、というか既に目が覚めた時点で、起きなければいけないと言う義務感に駆られる、そんな状況です。○時迄には洗濯して掃除して…、心のどこかでは「何時だっていいじゃない」「今日サボったっていいじゃない」と思ってるのに、「生活のリズムを崩してはいけない…」と別の自分が自分の心を縛っている。寝坊したからといって誰かが責める訳でもないのに…です。

命に関わるとか、今しかないとか本当に選択の余地がない事柄ならともかく、傍から見たらどうでもいいことでも、「私は…しなければいけない」と言う『must』の思念を生み、無自覚の内に己を縛り付けてしまうのです。勝手に罪悪感に駆られているのです。馬鹿みたいです。でもやってしまう、やらずにいられないのです。

ブログも、今は、昔に比べたら物事に対して随分緩く対応できるようになりましたが、かつては違いました。ブログを始めて良いことが沢山できて、今更ながら感謝と言う気持ちを知って、良い事ずくめだと思っていました。しかしながら、ふと気がついたら妙な義務を自分に科していました。写真を撮らなければ…、絵を描かなければ…、更新しなければ…。

表ブログなら、何事においても『継続は力なり』と言う言葉も当て嵌まりますが、こんな裏ブログに関しては、毎日の更新に何の意味がありましょう。なのに縛られ、あることに直面し、どんどん引き返せない別の方向に嵌りました。そして越えなくてもよい山道を選択せざるを得なくなり、わざわざ入り込む。裏ブログにまさかこんな落とし穴があろうとは。

気付かなければ気付かないで、そのまま人生を送る方が、もしかしたら世間一般の考えから察するに幸せだったかもしれないと雫は思いました。そう思う傍ら、知ってしまった自分は知らなかった自分を幸せだと思えないのでした。身体に組み込まれてしまった、ずれた価値観によるものなのでしょうか。どちらにせよ雫は後戻りはできないと覚悟を決めました。


価値観と言えば、長い余談ですが…ふと、雫のとうもろこしの食べ方の話を。

雫は普段、茹でたトウモロコシを食べる時、粒の列を崩さないように綺麗に繋げたまま、一列ずつ剥がして食べていました。雫の家族も大抵そうでした。ぐしゃぐしゃに食べるのを雫の両親はとても嫌い、雫もいつの間にか、かぶりつく食べ方は行儀が悪いと思うようになって、その食べ方を軽蔑するようになりました。

雫は自分の食べ方は一般的で、そんなに珍しい事ではないと思っていたけれど、それはどうも違っていたようです。世の中の人は大抵ぐしゃぐしゃにかじりつくらしいのでした。

それを知ってから、雫はいつもの食べ方は人前ではやらないことにしました。直接かじりつくようになったけれど、芯に実が残らないように食べてしまいます。「美味しかったね」と、取り敢えず顔では笑うけれど、他人のぐしゃぐしゃの食べ方もその食べガラもいつ見ても気持ち悪く感じました。

雫は粒をいくつ繋げられるか、上手にほぐしながら食べるのが楽しくて、ちょっと得意だったりもしました。けれど、世間には、それを見て「とうもろこしが不味そう」と思う人が多くいたようです。それを指摘された時、自分の価値観の基準は人とずれていると感じました。人の価値観の基準は明らかに「やっぱりがぶっとかじりつくのが美味しいよね~」だったのでした。

つまらない事ですが、小さな幸せが否定された気がして、ショックを受けました。そんなことなら習慣化する前に知りたかったと雫は思いました。それは育った家庭環境という小さな世界で、楽しいものとしてインプットされてしまった、間違ったプログラムなのです。決して個性などと言う高尚なものではない。

そんな取るに足らないつまらないミスプログラムが積み重なって、やがて人格そのものを世の中に不適合なものへと変えていきます。つまりそれが『月夜の秘密基地』に隠れ住む雫なのです。

でも、繋げて外したとうもろこしの粒を、棒グラフみたいに並べると楽しいと感じたのは事実です。その部分だけは想い出を切り取って、雫は心の中に大切に仕舞い込みました。それは『生』にしがみ付くために雫が咄嗟に拾い上げた、生きていた証だったのでしょう。しかし雫はそのことと一緒に家族の愛情を拾うことはなかったようです。






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TITLE:トウモロコシタワー




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叶わぬ理想


人に触れることも触れられることも私は苦手だ。
それは子供の頃からずっと変わっていなくて…。
まあ今は目に見えて確認出来る範囲なら気持ちの準備が出来るからか、昔よりはずっとマシになった。
成長していくにつれ、何とか受け容れる覚悟が出来るようになった。
でも、一時期克服したと思ったのは単なる勘違いで、人並みに恋愛渦中に置かれた時の束の間のブラインドによるものだったようだ。
『恋は盲目』と言う俗世的な言葉をそれなりに体験しただけだった。
当然のめり込むことはなかった。
間もなく恋愛から冷めて正気に戻った時、やっぱり、見えない背後に人の気配を感じるのは堪らなく嫌だった。
背中から抱きつかれたりとか頭を撫でられたりとか…、アニメなんかで主役がよく「俺の背後に立つんじゃねー!」とか言うのがあるが、設定上の基本は違えど、心境は一緒かなと思う。
アニメではその後の台詞に「殺す!」などと言うが、そのくらいの不快感に捕らわれる。
私は敵から身を護るように、触れようとするものを振り払い、心の核はいつも何かに怯えて硬直している感じだった。


そうか、私はいつも見えない敵から身を護ろうとしているのか…。
子供の頃だけでなく、今もずっと変わらず…。


何故なんだろう。
ずっとその原因が気になって、7歳ぐらいの時は既にそんなスキンシップ障害というべく、理解不能な違和感に疑問を抱いていた気がする。
やっぱり肝心な時に親のスキンシップを体験できていないからだろうか。
親とのスキンシップはなかったけど、祖父には抱っこやオンブはして貰っていたというのに。
でも考えてみたら、どちらも無償の愛情の自然な動作ではなく、条件あってのことのようだ。
抱っこは、本を読み聞かせて貰ったり読み書きを教えて貰ったりする為に、膝の上に座らせられる背中のスキンシップ…しっかり向き合った正しいスキンシップとは言えない、歪んだ形のようにも感じる。
確実に心を開いた人が幼い私を背中から包み込む、という100%の安心感があっての接触。
そう100%の安心感がなければ成り立たないスキンシップ。
条件が厳し過ぎて、ある意味、接触(ふれあい)免疫をつけるには向かない。
それに祖父のオンブも、私が喘息発作を起こした時に病院に運ぶ際にとる手段という条件付のスキンシップ。
どちらも私の要望とは違う場所で発生する。

幼い頃、胸に抱き上げられたり、抱きしめられたり、ってあったかどうか記憶がない。
「ママ、だっこー」の記憶がない。抱っこしてもらえなくて駄々を捏ねた記憶もない。
経験がないからに他ならないからなのか。(実はとても聞き分けのいい子だった?笑)
殆どされたことがないから記憶がなくて当たり前なのかもしれない。

何にせよ、今から矯正するのは不可能だと思うし、今更矯正したいとも思わない。
ただ、子供を育てる時、私のこういう障害は何らかの弊害や悪影響を子供に与えそうで、つまりこれがACの連鎖というもののひとつであったりするのかという懸念はある。


私より寧ろ私に接する人の方が、私のスキンシップ障害(恐怖症?)を矯正(治療となると重症だな)して欲しいと望んでいそうだ。
その理由は今のところ、どれも相手側のエゴを満たす為だけで、私自身の為ではなけ、私にとっては苦痛に他ならないことには変わりない。
それが人のために、或いは家族のために自分の心身を捧げる清く正しく望ましい愛の表現であり、行動だと言うならば、私にとってはかなりストレスの溜まる苦痛な課題だ。
その課題をクリアする事が生きることなら、何と高いハードルだろう。
生きることはかなり辛い。





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TITLE:叶わぬ願い





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本意を見る


いくつかの記事は汚い言葉で人を罵り、読むに堪えないような酷いことを書いている。
特に男性が見たらきっとかなり不快なことを書いていると思う。
図星だと苦笑するくらいの寛大な懐を持ち合わせていればいいが、
大抵の男性は私の女としての資質を蔑み嘲笑うであろう。
このブログの私が、読む人にどういう人間としてイメージされているのか想像すると、
随分酷い像が出来上がるが、そうなるような要素を吐き出しているのだから、
当然と言えば当然のこと。
故に特に私自信はそのことに対して何の感情も浮かばないのも当然と言えば当然のこと。

人は自分の限られた経験で作られた物差しで人を測る。
私も同じだ。
だから、人を信じることは正しいと疑わずに生きて来た人の物差しで、
歪んだ心は測れないのかもしれない。
またイビツに歪み、色のくすんだ物差しで、真っ直ぐでピュアな心は測れないようにも思う。

ただ、ゆがみを正すことは可能であり、真っ直ぐなものを歪ませることも残念ながら可能だ。
しかしどちらも、用途の意味をなさない適切でない物差しで測るのは迷惑であり、時に危険である。
また、仮に用途が適切であっても、自覚のないものを無理に当て嵌めようとすれば憎悪を増長し、
それを導火線として発生した価値観の相違は其々の人格を侵し、
度が過ぎれば争いや攻撃の火種になり、ともすればそれらから争いを引き起こす。

想像力の乏しい人はそのことに気付かず、本人の無意識のうちに、
推し量ることのできない大きな傷を相手に与えていることも十分ある。
そんなことには全く気付かず、正当を主張したりもする。

私が酷い言葉を綴り特定の人間を攻撃する理由を明らかにしていない限り、
おそらく読み手は皆其々の物差しを当てて解釈しているのだろう。
そうするしかないから、私もどんな風におもわれようとそのことに関しては非難などしない。


ただこの明確でない言葉のたまり場から、私の本意を読み取る人がいたら、
私自身どんなに嬉しいだろと思う。

その人はきっとすばらしいカウンセラーかセラピストか超能力者か神か…。
単純なところで言えば、同じ境遇にいる人か…。

真剣に唯の独り言。





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TITLE:眩む空





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私の目



私は自分の目が好きだった。
見た目や形状ではなく、自分の目の機能が好きだった。
その機能に自信があり、自分の所有物(物質も含め)の中では一番大切なモノであり、
私という人間の存在価値を示す、唯一、人に誇れるモノだった。
目と言うより眼球と言ったほうがいいだろう。

今思えば、自分の目に愛着を持っていたその頃の、
一般人の齢相応のレベルと比較した時に多少優れていただけで、
プロに比べたら足元にも及ばないし、
天才的レベルの機能ではないから、大したことではないのだけれど。

どんなところに惚れ込んでいたかというと、先ず、視力が良かった。
右2.0で左1.5~2.0。今は随分落ちたけれど、それでも1.2くらいはキープしている。
遠くは良く見える。でもそれだけじゃない。
絵とか何かを見た時、その形の読み取りや色の分解ができる。
数値変換は無理なので、勘のようなものでの分析と分解だ。
それは『勘(或いは感性)』又は『脳の機能』の方が優れているんじゃないのかと疑問が湧くけれど、
やっぱり眼球そのものの質なり出来が良くないと成り立たない。
と言っても分かりにくいか。

筆跡を真似るとか模写をイメージするといいのか?
子どもが人物画を描くと目も鼻も口も実物とは似ても似つかぬほどちぐはぐだ。
本当に見えてるの?と言うくらい、写実と言う目線で見たら酷い。
その頃の私の絵は、既に子どもの描く人物画ではなかったようだ。
(決して自慢してるつもりはない。)
上手下手はともかくとして、子どもらしい絵としての魅力がない。
何かを見た時、細かなところを目で分析する。
常人がルーペを使わないと見えないようなところまで見えた。
手もそこそこ器用なので、見えたものを手に伝え、
別なものに投影させる機能もそれなりにあったからなのだけど、
目と手を使った細かな作業は得意だった。
そして月のクレーターなんかも見えるほど、遠くも見えるのだから
遠近両用OKだ。結構凄い機能だと自分で思う。

ある時ふと考えた。
「死んでしまったら、このすばらしい眼球も火葬してしまうんだ…、勿体ないじゃないか!」
もしも私が不慮の事故とかで命を落としたら…
そう考えた時浮かんだことは、
「この眼球は大きな将来のある若者に使って貰おう。そうだ、アイバンクに登録すればいいんだ。」

そう考え、取り敢えず身近な人にその考えを伝えた。
一応、『自分』は自分のものであって、自分だけのものではない。
死んだら悲しむ人がいる(たぶん)。
一人でこの世に出てきたわけではないし、自分だけの力で育ったわけではないから、
一番身近で支えてくれてる人には伝えておく必要があると思った。
世間的には事後報告で済ますような軽いことではない気がして、
とにかく耳には入れておいて貰おうと思った。
肝臓も胃も丈夫だから、使って貰えそうなところは全て登録するかとか、
頭の中ではそんな事も考えて。

ところが返事は予想外。
凄い剣幕で、答えは「ノー!」私は「何んで?」である。
「身近な大切な家族の者が死んで、その体にメスが入れられ切り刻まれるなど、誰が望もうか?」
それが答えだった。

私は、愛されているのだということ、必要とされているのだということを思うより、
普通はそんなものなんだと思った。
普通はそんな重大なことなのだと思った。
ああ、だから、臓器バンクとかが世間に浸透しないのだと気付いた。
私以上に私以外の人に『私』と言う人間が執着されているということを知った。
知ったからと言って、その事実に何の感情も起こらない。

私はその執着という重い感覚にフタをするかのごとく、そのことを考えるのはやめた。
そうして月日が流れ、誇りに思っていた機能は衰え、最早、推奨品ではなくなった。
自分が一番自信を持っていた大切なものの価値がなくなったことが悲しかった。





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TITLE:目





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男に生まれたかった。
今でも思う。
男に生まれていたら、人間に執着することができたかもしれない。

思春期の頃から、ずっとそんな思いを抱いている。
そして、そんな詩も書いてみたりした。
高2の頃に、星空を眺めて流れ星に思いを馳せる、一見するとそんなソフトにメルヘンチックに心を表現しているかのような、ちょっとした思春期の甘酸っぱい恋心を表わしているように見える詩だった。

でも、実は自分の抱えている自分自身に対する認識の異変を誰かに気付いてほしいシグナルなんだと、見る人がみれば分かる。あ、この子の中の何かが狂っていると。
根底にあるものは、物心ついた時からずーっと抱いている、自分自身に対する所在無さだ。

詩から読み取れるもの。それは自分の性に対する執着(愛着)のなさだった。
《男に生まれたかった…そうすれば…》と条件付けて、自分自身をなんとか常識的状態にしようと思考転換しようとしているが、『性』ではなくもはや人間に対する執着がない。

歌詞の中では、さり気無く自分の常識的でない思考を暴露していて、それに対して滑稽そうな顔で相手が気付きの反応をしたことになっているが、それは理想であって実際に気付く人はいない。
歌詞の中でさえ、自分から暴露しておきながら異端視されることを懼れ恋愛話で誤魔化そうとしている。

この詩には、もともと脳細胞は感情的思考とは繋がってないから口にする言葉を信じてはダメという、そんな意味合いのくだりがある。自問自答で、異端な思考回路の自分を常識的で寛容な思考回路の別の自分が慰め、無理矢理納得させようとしている。

あの時は言葉遊びのように楽しんでいるつもりだったけれど、本当はそこしか逃げ道がなかったのだと、今、自覚している。
それなりに受け入れて諦めている今の私より、まだまだ往生際の悪いあの時の私の方が、今の私から見たらずっと可哀相だと思うけれど、異端な思考を個性と錯覚していられたから幸せだったのか。

今も、たまたまこれを読んでいる人がいるとしても、私はその人、或いは全ての人のために分かりやすく説明してはいない。なぜなら、私は今、このことを理解できない人、理解しては困る人達にとても近い位置で生活しているからだ。理解されない方が寧ろ生き易いと判断しているからだ。

今の私にはこの異端な感覚から脱却することにメリットはない。理解してもらいたい、異端な自分を克し常識の中で生き易くなりたいと闘いを選択した時、失うものや弊害が大き過ぎるから。
隠れ家として作った場所さえ、戦々恐々いつ何時…の不安はあり、抽象的である。
それでもここは、以前よりも安心していられる私の防空壕である。





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TITLE:滑り込む星空




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