此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。
呪縛の糸に繋がれたまま、どこまで漂っていくのか…
久しぶりに電話で母と話した。
この時季、私は、父が亡くなってからずっと、父の好物だったある果物を実家に送っている。
表向きは亡くなった父を偲ぶ娘が、遠く離れて墓参りすら儘成らないせめてもの供養の為に行なっているかのように見えるかもしれない。
けれど、正直なところ、私の中にそんなものはない。
父の生前、私が少女期から長年抱き押し込めてきた父への反発心。
大人になった今、やっと真っ向から向き合う覚悟が出来て挑もうとした時に、身をかわすようにあの世へ行ってしまった父に対して、ターゲットが消滅してしまった後の虚無感を受け容れられず、止むを得ず繋がっているだけの行き場のない気持ちに過ぎない。
私は大嫌いだった父の亡霊のような呪縛に囚われたままなのだと思う。
最近は、私が口を噤むことで私以外の幸福が存在しているなら、私の一生はそれに添うように存在してもいいと思うようになっている。
世の中の人はこれを成長と言うのか、ただの無気力と言うのかは分からないが、気力も体力もピークを越えたのは確かだ。
そんな私と相反して、受話器の向こうの母はやたらと人間じみていて、妙に素直に喜怒哀楽を表に現している。
そこには私を育てた、仮面のように冷たく表情の乏しかったクールな彼女はいない。
あの頃から母は様々な事に器用な人ではあったけれど、世渡りも生き方にも器用なんだと知った。
今の母は連れ合いが死んでから、水を得た魚のように生き生きと自分の人生を満喫している。
どうせなら、その器用さを叩き込んで欲しかった。
今更だけど、私は器用そうに見える蓑を纏い自分もそう錯覚していた、実は酷く不器用な人間なんだと気付いた。
独裁的指導者の消えたその後の日々、まるで若い娘のように身体に染み付いた農作業を無邪気に楽しむ母に接するたび、私の人生って何だったんだろうと思う。
父や母が良い人生を歩む為の道具か、それは言い過ぎとしても、彼らの人生の課題の一つにあてがわれただけなんだろうかという気がしてくる。
彼や彼女のこの世での修行の為に組み込まれた単なる課題として、私(の人生)はこの世に落とされたのか?
「あなたは彼らの人生を支え、助けたんだよ。」とでも思えというのか?
もしも私が捻くれてたら、私がこんなに荒んだのはあいつらのせいだと、きっとこんな解釈は逆恨みに転じかねないのだろうが、幸い気力と言うものが失せている今、何かもう、「好きに使ってくれ」といった心境でもある。
劣化して萎んでいくだけのフワフワ漂っている風船の心境とでも言うか。
何もない、虚無という時間の流れにプカプカ漂っている心境だ。
いつまで続くのかな……。
何処までも細く伸びていく呪縛の糸……。
TITLE:呪縛の糸に繋がれたまま漂う