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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
培養液(1)

培養液(1)

『月の雫』と言う生き物の培養液(28-1)
(『月の雫』以後、雫と省略)

幼少期、母の不在、異物だらけの培養液 



雫は小さな村(部落)で生まれた。そこは、30戸ほどの小規模な開拓移民の村だった。
実に多地域の出身者が集まって独自の文化を持ち、それぞれの世帯を構えていた。
だから、日本語とはいえ、微妙なイントネーションや方言などの言葉も違えば、習慣的な食べ物も違った。
冠婚葬祭などのしきたりや神仏の祀り方も違った。
 
例えば近所の友達の家を訪れると、毎回行く所行く所、目にする物が初めてづくしだった。
分かり易く言うと、例えばお正月など、あちらの家はあんこ入りの餅だが、こちらの家は何も入っていない餅、あちらは丸餅だが、こちらは角餅と言ったように、まるで各々の家に郷土料理があるようだった。
『隣りの家はよその県』と思って頂くと分かり易いだろう。

村も年月を重ねると、ご近所付き合いが進むにつれお互いの理解も進み、それぞれの文化が融合し新しい文化となり、世代を重ねるにつれ定着していった。
冠婚葬祭業者が介入してきた事もあって、文化も村独自というより、都会の情報に倣った一般的な方法に統一されていった。 


村は、その殆どの家が専業農家だった。
その中で雫の家は数少ない兼業農家だった。

父は職人で3~4人の弟子を持っていた。
その頃は祖父母も健在で、まだ結婚していない、父の3人の姉弟が同居していた。
大人だけで約10人、それに雫と弟、多分その下に妹が生まれた頃もまだ、この家族編成だったようである。
少なくとも総勢12人以上の大所帯だった。
それは普通の家庭とは日々の生活も随分違っていた。 


雫が小3くらいまで、父の姉弟はまだ結婚していなかったのでこの家族編成が続いたが、そんな大家族の中にありながら、小2くらい迄の雫の記憶の中には、母の存在の記憶が無かった。

雫の母は嫁いでから一日の大半は大家族の炊事や田畑の労働に駆り出されていた。
雫が生まれてからもその生活は育児が加わったというのに、変わることはなかった。

積もり積もった過労が影響してか、雫が3歳になった頃、雫の母は弟を生んだ後体調を崩し、それから雫が小2くらい迄何度も入退院を繰り返した。
つまり子供にとって一番大事な幼少女期時期に、一番身近な人として脳に記憶するべき母の存在が、雫には欠落しているのだった。 





(続きます)






200881172251.JPGTLTLE:異物だらけの培養液の中

 

 


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