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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
偶然に意味はあるか(3)

偶然に意味はあるか(3)

彼女が口でそう言った訳ではないが、雫が見てきた10年間の彼女の人間性や性格に照らし合わせた時、雫は彼女の曇った表情をそう受け止めずにはいられなかった。

感性の違う者同士が同じ環境で時間を共有するという事は、我慢出来る範囲の短い時間ならそれは日々、何らかの気分転換でやり過ごすことができるであろう。
しかし長い時間となるとそうもいかない。
それはそれぞれの水質の違う水で育った魚を一つの水槽に入れるようなもので、中には逞しく適応して生き延びるものもいるかもしれないが、大抵は時間の経過と共に弱り、最悪死んでいく。
合わない水の中で生きること、その中で受けるダメージは想像以上に大きいのだ。
ましてその水槽に入れられたもの同士が合わなければ尚更ダメージは大きい。
そのダメージは、より水に適応性のない方に作用し生気を奪っていく。


人間も同じに思えた。
人間もその環境(水)によって、あまりにその水が合わなければ、どんなに必死に小さな生きる糧を探し縋り付こうが、生き延びようともがき足掻こうが、力尽きてしまうことがあるんじゃないだろうか。
合わない水の中で、自分を奮起させようとすればするほど力を消耗し沈んでいく。
雫が何とか自分の水を生き延びようと、縋りついた小さな『偶然』と言う藻は、当に藻屑となり、何の意味も力も持たなかったのだ。


今雫は、最近水槽に投入された元気な(その水に適応性を持った)魚と、その魚によって適応力を呼び覚まされた魚(信頼関係がほつれつつある経営者)とによって、水槽の外へ追い出されようとしている。
合わない水の中をどんなに必死に泳いだとしても、現実はいとも簡単に費やしてきた全てから、努力や一生懸命という価値を消し去るのだ。
そこには偶然など意味も必要もない。
そして本当に必要なのは、その人間が伸び伸びと喜びをもって、生き生きと時間を重ねられる人生、つまりはその魚に相応しい水なのだ。


魚なら、その水が合わなければすぐに合う水を準備し、新しい水槽に移せばよい。
手遅れでなければ息を吹き返すだろう。
しかし人間は、最初の水槽の水が合わないからと言って、新しい水槽に出会うことなど滅多にない。
最初から最後まで会わない水の中で瀕死の苦しみに縛られ一生を終える者は五万といる。
雫もそうして人生を終える一人となるのか。


このことを、雫の思い過ごしと受けとるも、被害妄想と受け取るも、それはこの四角い画面のそちらにいるあなたの自由ではあるけれど。

(お終い)



TITLE:一期一会の光

 

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