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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
培養液(12)
『月の雫』と言う生き物の培養液(28-12)
(『月の雫』以後、雫と省略)


言葉の刃
(ヤイバ)(前編) 

雫は『声』で嫌な思いはしていたが、ここまではまだそのことを気にしないでいてくれる友達のおかげで傷が悪化することはなく救われていた。
そのことは雫自身が多少傷付いたとしてもそれなりに笑い話にもできる範疇の傷に治めてくれていた。
人生を左右しかねない決定的な傷となったのはその後の二つの出来事だった。 



雫が声を発するとそれを聞いた人は100%驚いた顔をして、その表情を誤魔化すかのように「低い声ね。」「ハスキーな声ね。」と笑顔を繕って言った。
他の人たちも悪気がなく、取り敢えず気を遣ってくれているのが分かったから、雫は初対面で多少不快な思いを抱いたとしても、自分自身も周りの人の思いやりの部分は認めようと努めた。
そうして日々の生活の中で、雫は自分の声に纏わる様々な反応を受け入れられるようになってきたところだった。 


それは世の中の高校受験モードが、そして受験生大半が本格的に動き出す、雫も中3になった夏休み前だった。
下校後、雫は友人の家に寄るために、普段は乗ることのないバスに学校前停留所から乗った。
そのバスには、一日を終えて下校する生徒だけでなく教師も数人同乗していた。  


雫は友人とバスの真ん中辺りで吊り革に掴まり揺られていた。
後方部の席に雫の学級担任と、春に赴任してきた数学の女性教師が座り雑談をしていた。
その数学の女性教師は雫のクラスの教科担任だったが、洒落も通じず全く冗談を言うこともなく、生徒と会話する時の鼻で笑う癖や何かにつけて高慢そうな彼女の表情が、雫はあまり好きではなかった。 


雫が彼女にそんな印象を抱いたのは、彼女が赴任して間も無く、ある時の些細な出来事が原因だった。
その日の授業も終え、担任の代理で清掃確認に彼女が教室にやって来た。
クラスメートの男子数人が、物珍しそうに新入り教師の傍に寄り集った。
雫は教室の隅で掃除用具を片付けながら、その様子を窺っていた。 


男子生徒の一人が緊張した表情で彼女に他愛無い質問をした。
「先生、中学校の時、成績何番だった?」彼女は顔色ひとつ変えず、「一番よ。」と答えた。
「通知表はオール5?」それにもさも当然のように抑揚のない声で「そうよ。」と答えると、さっさと手元の物を片付けて教室を出て行った。 


雫はその様子に不快な苛立ちを覚えた。
これまで父母ではなく、教師と言う職業に携わる人に支えられてきた雫にとって、彼女の行動は、新人とは言え、懐の広さが微塵も感じられないものだった。
雫の不快な苛立ちは彼女の教師としての資質や人間性への不信感から生まれたものだった。 


教師によってこれまで『生』のエネルギーを与えられてきた雫にとって、教職とは聖職であり、その権利を手にできる人は少なくとも世間の一般人より心広く大きな愛で子供に接する才能を持つ人であって欲しいと言うのが、雫の理想であり、願いだった。
雫にとって教師とは、人間として尊敬すべく特別な存在でなければならなかった。
全くこれに当て嵌まらないこの新人教師に対して、雫の中に彼女への不信感が生まれ、それが彼女に対する拒否感へと変わっていった。 


車中の二人の教師の会話が雫の耳に届いてきた。
「あ、彼女が『月の雫』さんね。優秀だけれど、とても大人しい子ね。」数学教師が言った。
「そうね、どちらかと言うと消極的だわね。」と担任が言った。
数学教師が唐突にその言葉の後に続けた。
「に、しても彼女の声はハガネみたいな声ね。」 


雫は一瞬自分が真っ暗な空間に落ちていく感覚に襲われた。
「彼女の声はハガネみたいな声ね。」そのフレーズが雫の脳内を何度も駆け巡った。
「ハガネみたいな声ってどういう意味?」雫は自問しながら、大きな傷を負うまいと回避策を探すように、自分の心に立ち始めた不穏な波を鎮めようとでもするかのように、自身を納得させる答えを探した。 


声のことで何度も傷付き痛みと闘ってきた雫にとって、心無いその女性教師の言葉は、教職に就く者としてはあまりに無責任なものだった。
雫にとっては、血が通い生きている生身の人間の声ではない、冷たく硬い金属の声だと言われているような屈辱だった。
雫は、今存在している生身の自分が、金属で出来たもう一人のロボットの自分に取り込まれ、占領されていくような感覚に襲われた。 


雫は思った。「私の声は、自分が思っている以上に他人を不快にしているのか?」「友達は口にこそ出さないけれど、本当はあの教師と同じように感じているのか?」「自分が気付かない間に、沢山の人を不快にしているのか?」そして付き合いも浅い初対面の人間に、言葉を濁す心配りもさせないほどに自分の声は不快なものなのかと思い巡らした時、雫は自分の存在事実にすら所在無さを感じ始めていた。
「私は人々にとって、それほど不快な存在なのか?」 


このような雫の思考回路は他者から見れば被害妄想にも等しい、ネガティブ思考そのものに違いない。
しかし父によって雫は可能性の芽を摘まれ、自己に於ける自信を須らく喪失しつつあった時、雫は、前に向くどころかそこに立つ事を維持するのが精一杯だった。
悪気はないにしろ心無い無責任なあの女性教師の例えは、雫の心に『冷酷な刃物のような声』という認識を植え付け、倒れないように必死にその場を踏み締めている力を奪うものだった。
雫は自身の存在意義に大きな不安を抱き、喪失しそうな『生きる力』に必死にしがみ付いていた。 


ところがこの出来事は更に、過去のある不快な出来事の記憶を呼び覚ました。
雫にとって年月を経てやっと癒えつつあると思われた傷、薄れつつある心の痛みと傷痕、雫の中でそんな忘れかけてきていた筈の出来事だった。
中学に入学して間も無くに、同じように声に対して受けた、心無い言葉の刃によるものだった。 




(続く) 




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TLTLE:言葉の刃1






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