忍者ブログ

此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
培養液(13)
『月の雫』と言う生き物の培養液(28-13)
(『月の雫』以後、雫と省略)


言葉の刃(ヤイバ)(後編) 

ところがこの出来事は更に、過去のある不快な出来事の記憶を呼び覚ました。
雫にとって年月を経てやっと癒えつつあると思われた傷、薄れつつある心の痛みと傷痕、雫の中でそんな忘れかけてきていた筈の出来事だった。
中学に入学して間も無くに、同じように声に対して受けた、心無い言葉の刃によるものだった。 



あれは中学1年の時だった。物品購入で初登校した日に声のせいで男子生徒と間違われ噂された事や、電話で女友達の父親に男と間違われた事、(培養液(11)を参照)それらの後の、入学して数ヶ月たった、学校生活や授業にも慣れた頃の音楽の時間の出来事だった。 

音楽の時間といえば、雫は小学生の時からよく男子生徒の列の隣の席に座らされた。
雫はソプラノパートの声が出ないこともあり、いつも女子の列から外されてアルトパートへ回されていたから、大抵男子の隣りで歌うことが多かった。
雫自身は小学校6年間そうだったことで慣れもあり、さほど気にも留めず、仕方の無いことと割り切っていた。 


雫の声はけっして美しい良い声とは言えなかった。
一般的には悪声と言われる部類だったかもしれない。
しかし雫自身は歌うことに関しては絶対に音痴では無い自信はあった。
だから男子パートに回されることは、声変わり時期で不安定な男子のハモリのパートを自分が支えていると言う責務のように感じられ、嫌ではなかった。
寧ろ、嬉しかった。
それに何より歌うことは好きだった。
歌うことは、誰にも制約される事のない、この頃の雫にとって唯一の喜びであり、自由だと信じていた。 


小学校の頃からこのような状況に慣れていたとは言っても、当初クラスの女子でアルトパートに回される者など雫意外に滅多にいなかったから、初めからすんなり受け入れた訳ではなく、自分なりにその役割を受け止めるようになるまで心の葛藤はあった。
幼い雫が長い年月のそうした葛藤の中で、不安や苦痛を乗り越え自分なりに見出した、自由な楽しみの時間だった。 


その日の音楽の時間も雫は一生懸命歌うことを愉しみ、歌う喜びを味わった。
授業も終了間近、幸福な気持ちに満たされ充実した時間の余韻に浸っていた雫だった。
と、その横で、隣の席の男子が徐に雫を見ると吐き捨てるように言った。
「お前の声、気持ち悪いから歌うな!」突然浴びせられたあまりに酷い言葉に、雫は一瞬自分の耳を疑った。 


容赦のないその言葉は雫の胸に深く突き刺さり、その鋭利な言葉の刃は雫の心の奥底まで達するほどの大きな深い傷を刻んだ。
彼にしてみれば他愛もない、軽い気持ちから出た一言であったかもしれない。
しかし雫から数少ない自由を奪おうとする、重い一言だった。 


雫はこの時、自分の中に、明らかに彼に対する殺意が生まれたことを覚った。
雫の脳裏に彼に対する憎悪の言葉が溢れ出した。
「こいつ、殺してやろうか!」「死ねばいい!」そんな酷い言葉が次々と雫の脳裏を駆け巡った。
それは胸が締め付けられそうな怒りと共に雫を侵食していった。 


しかし特異な家庭環境で身に付いた自己防衛だろうか。
雫は一心にその殺意に押し潰されまいと、自分を殺意から回避させるための理由を作り出していた。
その理由は、学力、容姿、行動力と色々な面でその年齢の男子の標準よりかなり劣っている彼を心のどこかで蔑む、『彼に対する蔑視』と言う、少し歪んだ考えから生まれたものだった。
「こんなくだらないことを平気で言うようなつまらない人間の言葉は忘れなさい」と、雫は繰り返し繰り返し自分に言い聞かせていた。 


だが、殺意を払拭したと思われたそんな雫を、次に襲ったのは自己嫌悪と焦燥感だった。
彼に対する殺意からとは言え、本気で酷い言葉と憎悪の念を抱いた自分を、雫は軽蔑せずにはいられなかった。
心の中に人として恥ずべき諸々の感情が蠢き、長い葛藤が続いた。
ようやくそれらが雫の中で薄らいできていた頃に、再び襲ってきたバスの中の出来事だった。 


数学教師の最後の言葉が突き刺さった。
それ以降の会話は耳に入らなくなった。
これまで会ったどんな人も皆それぞれなりの心配りで、雫が傷付かないように言葉を選んでくれた。
どんなに低くて太くて男声に聞こえても、『ハガネ(鋼、刃金)』などと言う酷い比喩をする人はいなかった。 


なのにこの女は教師と言う職にありながら、視界に本人がいるにも関わらず、声のボリュームを絞るでもなく無神経な比喩で、心身共にまだまだ未熟で不安定な思春期の生徒の身体的欠陥を、平気で公衆の場で晒している。
雫はデリカシーや思いやりの欠片もないこの女性教師を軽蔑した。 


途端に雫は、彼女の、決していいとは言えない容姿に憎悪を抱いた。
人の容姿は本人が決めたものではない。
これだけは非難してはいけないと心に決めていたのに、雫の心の中には既に歪んだ思考に憑依された忌まわしい雫が生まれていた。
「あんたみたいなブスにそこまで言われる筋合いはない!」、そんな思いと最早その女性教師を全否定する嫌悪ばかりに埋め尽くされていった。 


その日以来、雫は彼女の顔を見るのも声を聞くのも嫌になり、彼女の授業は全く耳に入らなくなった。
その様子は恰もその女性教師への反逆行為の如く、彼女の担当する数学に於いて雫の成績は一気に落ち込んだ。
数学に関して、それまでは得意ではないにしろそれなりの成績を維持していた雫が、突然学年最下位を争うようになった。 


教師は異変に気付き慌てふためいた。
「雫さん、今まで成績よかったのに急にどうしたの?」と声をかけて来たが、自分に原因があることすら気付かない無神経ぶりが、益々腹立たしかった。
あと僅かでこの教師の顔を見ずに済むと思うと余計に、「あんたなんかに口を開いてたまるか」と頑なになる雫だった。
彼女が困れば困るほど寧ろ「ざまあみろ!」という心境だった。
これまで教師寄りで何の問題もなかった生徒が、受験モード突入の時期に自分の教科で突然異変をおこしたら、教師としてはさぞ困ったであろう。
それはこの頃、雫がまだ受験する意志が決まってなかったことも少なからず影響し、拍車を掛けていた。 


だが、雫もこんなことで人生の選択を間違えるほど馬鹿でいる訳にはいかない。
これは雫が心無い言葉の刃に傷付き、今も忘れるに忘れられない出来事の一つではあったが、冷静になれば自分自身の為にこのままでいい筈もなかった。
結局雫もその後、受験生の仲間入りをすることになり、このことについては悔しいかな、最終的には年明け後3ヶ月で軌道修正をするのだった。 


世間の中学生は本格的に受験のシーズンに突入する。
雫も遅いスタートではあったが、参戦することになる。
そして、丁度この間に雫を縛り付けるもう一つの出来事が起きる。
このことが引き金となり、父に縛り付けられたこの忌まわしい環境からの脱出計画が、雫の中で秘密裏に始動する。 





(続く) 




a0e90d7dc268d69b62d9a2df59195156.JPG
























TLTLE:言葉の刃2

 




読んで頂きありがとうございます。
お手数ですが下のバナーをクリックして頂けたら光栄です。

人気ブログランキングへ

拍手[0回]

PR
   
Comments
NAME
TITLE
MAIL (非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS (コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます
 
Trackback

TrackbackURL

Copyright ©  -- RETREAT~星屑と月の雫 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by The Heart of Eternity / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]