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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
培養液(16)

『月の雫』と言う生き物の培養液(28-16)
(『月の雫』以後、雫と省略)

高校進学という選択(後編) 



このやり取りの後、進路指導がどのような方向に、どのように流れていったか、雫の記憶は定かではないが
担任が、雫の将来にとっての進学の必要性を懇々と説いたようである。
そしてその後、雫の進路は担任教師の異例の行動によって、進学へと方向転換していく。 



冬休みに入って間も無く、少しずつ年末の慌しさも増してきた頃だった。
初冬は比較的雪の少ないこの地域には珍しく、午後から振り出した雪が深々と積もり始めていた。
夕方からは一層冷え込みも厳しくなり、吹き始めた風と共に雪の勢いは更に増していた。
そんな田舎の車の往来も少ない細い道は、辛うじて残る轍を辿らねばならぬほど足場が悪くなって、やがてあっという間に雪に埋もれていった。 


雫の家は一般の家より比較的夕食が早かったが、夕食を終えた頃は辺りの景色もすっかり夜の闇に呑まれていた。
外灯もなく暗い田舎道、村では見かけない品の良い黒のロング丈のオーバーコートを着用した一人の中年女性が、一足一足雪を跨ぎながら雫の家へ向かっていた。
雫の担任教師だった。
担任が直々に生徒の家を訪れるという、それはこれまで例のないことだった。 


担任教師は、町の家とは少し勝手の違う玄関で恐縮しながら深々と雫の両親に頭を下げると、少し雑談を交わし、やがて雫の進路の話をし始めた。
「娘さんはすばらしい才能をもっている。是非進学させてその将来性を伸ばすべきです。」
担任は雫を高校へ進学させるよう、平伏すように雫の両親を説得していた。 


雫の母はいつの間にかその場を立ち、台所で雑用を片付けていた。
担任とのやり取りは雫の父にその役目が委ねられていた。
担任は、歩むべき将来の道筋など未だ選択できない、人間として未熟な15歳の人生の指標を、せめて示してやらなければならないという思いに違いなかった。
教師としての誇りと信念と責務によって突き動かされるが如く、その説得には熱意があり、力が込もっていた。 


雫は自分の意思とは違うところで起こっているこの光景を、不思議な気持ちで、いわば他人事のように眺めていた。
数十分繰り広げられていたこの光景に終わりが見えたのは父の言葉が切欠だった。
父は言った。
「先生が学費を面倒見てくれるのかね。」
言葉に詰った担任に、父は続けて言った。
「先生が学費を面倒みてくれるというならそれも考えるが、本人が進学しないと言っているし、私たち親もまだ他に3人の子供がいる。先を考えれば雫が就職してくれた方が助かる。」 


確かに本人が進学を望んでいないのだから、他人がどうこう言う事ではない。
しかし、教師とは学問を教えるだけではなく、子供がやがて成長して社会で生きていくための豊かな人間性を育てることも大きな役目である。
人間を育てるからこそ聖職なのだ。
明らかにその子供の人生の生甲斐となるであろう個性や才能が消滅する選択を、黙って認める訳にはいかないのだ。
担任は、子供の人生の責任を負わなければならない義務教育の責任者である親を説得し、人生の先輩として子供の将来を考えて貰おうと必死だった。
しかし雫の父は言い放った。
「これはうちの問題だ。」 


その数分後に担任は雪の降りしきる真っ暗な寒い夜道を、寂しそうに肩を落として帰って行った。
教師を教師と思わない、父の無知極まりない言葉と、帰っていく担任の後ろ姿が雫の記憶にこびり付いた。
担任とは言え、自分の為にこれほどまで力を注ごうとしてくれる他人の姿は、雫の心の湖面を揺らした。
何か力強いエネルギーを目覚めさせていた。 


中卒の女子が職人に弟子入りし、職人として生きたいとその道を目指す事など、口で言うほど簡単ではない。
結局そのうち、平凡に誰かと結婚して子供を産んで、これが女の最高の幸せだなどと望まぬ洗脳を強いられるのだ。
母性を知らない雫が、世間の求める母性を身に纏い、自身の母性の欠落を隠し通す人生を生きることがどれほど苦痛で大変なことか。
生きていければいいが、母性を持たぬ女が子供を虐待する、精神疾患を患う、薬物依存になる、挙句は自殺する、そんな最悪な方へ転がり落ちないとは言い切れない。
こんなことはよくある話なのだ。 


だが、思い返せばやはり雫の人生は良い教師に支えられていたのだと思う。
このことがなかったら、雫の人生はどんな道を辿ったのだろう。
運よくありきたりか、全く違う墜落の方向か…。
言わば父と同じフィールドで職人仕事を目指すなど、逃れられないプレッシャーに縛られ続けて、果たしてどれだけの人生を歩めるものか。
雫を心の弱い人間だと思う人もいるかもしれないが、この教師の心から生徒を思う行動は、確かに雫の人生の危険な方向へと続く進路を確実にひとつ断ったと言えよう。 


担任教師が訪れたその夜、父はいつものように晩酌し酔いつぶれて寝ていた。
家はまだ薪ストーブで、寝る前は必ず残り火が消えるまで、誰かが見張ることになっていた。
それは、弟子の誰かだったり母だったり雫だったり。その時間はとても静かで、まだストーブの余熱が残る温かい空間で、誰ともなく取り留めない世間話をする、父の威嚇も縛りもない束の間のほっとする時間だった。 


その夜は、当時の職人の弟子には珍しく普通高校を卒業して、他所で数年修行したという、職人の世界では稀な一般社会人の弟子が、火の番をしていた。
雫がたまたま居間を通りかかった時、彼が話しかけてきた。
「高校行かないのか?」
彼は進学についてのやり取りを聞いていたようだった。
ストーブの炎の明りが彼の顔をぼんやりと赤く照らしていた。 


雫もそこへ腰を下ろした。
「うん、あまり勉強、好きじゃないし。」
雫がそう答えると彼は静かに言った。
「小学校より中学校の方が面白かったなあ。中学校より高校の方が面白かったなあ。俺は大学へ行ってないけれど、高校より大学の方が面白いんだろうなあ。」
ふと雫は「高校より大学の方がずっと面白いよ」と言っていた先輩を思い出した。
ストーブの小窓の火を見つめながら彼は言った。
「高校、行けるんなら、行っておいた方が絶対いいぞ。」
その言葉で、雫は妙に素直に高校へ行ってみようかと思った。
そして翌日、進学する意向を担任に伝えた。 




(続く) 




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TLTLE:人生の樹3

 

 





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