此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-19)
(『月の雫』以後、雫と省略)
高校生活、思いもしなかった展開(中編)
詩を書き、それにメロディーを付けるようになった雫はそのうち、それらを記録する方法として音符による楽譜の他にコード譜があることを知った。
民謡邦楽一色の一家にあって、たまたま父の一番下の弟(雫にとっては叔父)が異色の洋楽マニアだった。
彼はアコースティックギターとエレキギターを所有し、洋楽でも取り分けハードロックを主に聴いていた。雫はこの叔父にコード譜メインにギターを教わり、こっそりと作詞作曲の楽しみを見出した。
この叔父は幼少期から問題児で、子供の頃からかなり喧嘩早かった。
近所の上級生と一戦交えては相手に怪我を負わせ、父母(雫の祖父母)は毎日のように相手宅へ謝罪に出かけていた。
成人してからも何度か結婚離婚を繰り返した。結婚前も結婚後も何かとトラブルばかり起こして、両親(雫の祖父母)や兄姉の悩みの種だった。
当然叔父は親兄姉には嫌われていて、家族の鼻ツマミ者といった感じの存在だった。
しかし雫の目には、この叔父が家族の中では一番、外社会と世間に通じているように見えた。
叔父は、生鮮食品を運ぶ長距離トラックの運転手をしていたため、北から南まで日本全国の土地の観光や特色を知っていた。
築地市場を始め、各地の市場に出入りすることで様々な情報を得て、世の中の流行や常識についても、おそらく雫の両親よりよっぽど豊富な知識を持っていたに違いなかった。
この頃、雫の友人達はテレビで流行のアイドルやバラエティー、若者のあらゆるジャンルの音楽に浸っていた。
雫はと言うと、音楽と言えば民謡や浪曲、演歌が主流の閉鎖された環境に閉じ込められ、歌謡曲や日本のポップスなどの世間で流行の音楽というものに全く縁がなかった。
そんな中にあって、既に独立して、雫の生活する本家とは目と鼻の先に住んでいた叔父の家に出入りしては、叔父の所有する洋楽や叔父の弾くギターを聴けるのがせめてもの救いだった。
こういう経緯や環境のせいなのか、雫の性格的なものなのかは分からないが、雫は演歌が大嫌いだった。
(演歌=生き辛い家族環境のBGM)それは雫にとって唯の苛立ちしか生まない不快なものであり、気持ちや体が既に受け付けなかった。
余談だが、そういう意味では、人の性格は生まれ付きとは言い切れない、後天的な環境の影響で形成される部分もあるのか。
また、雫に詩を書くことと曲作りの切欠をくれた女友達も同じ高校に入学していた。
入学当初、雫は授業の合間の休憩も昼食時も、校内を探索する時も、この女友達とよく一緒に行動していた。この頃、雫が一番心を許している唯一の存在であったろう。
(以下、彼女の事をK子と記す。)
K子は雫の声を、当時彼女が好きで聴いていたある女性ミュージシャンによく似ていると言い、雫が電話をする度、そのミュージシャンのラジオのDJの声にそっくりだと喜んでいた。
雫には実際のところ、どこがどう似ているのかよく分からなかったが、雫の声を好意的に受け容れてくれたのは、彼女が一番最初だったかも知れない。
彼女のおかげで声や歌に対する忌まわしい封印の氷が融けていくような気がした。
彼女が貸してくれたそのミュージシャンのアルバムを聴くうち、雫もだんだんとその音楽が好きになっていった。
その歌詞に世の中の文化や流行や生活や人間模様まで、雫の知らない世界を見、その表現に今まで触れたことのない溢れんばかりの感性を感じ、雫自身の感性もまた多くの刺激を受けて育っていった。
中卒での就職を考えていた雫は、幾つかの出来事の中で意外な人達に後押しされ進路を考え直し高校に進学したが、大学進学という進路選択は既に無かった。
高校生と言う、自分の人生の一部分を確認し浸るように日々を過ごした。雫は、高校に入ってからは思いのままの自由を手にしたような日々だった。
親の目が届かない事を幸いに学業そっちのけで、文化部ばかりであったが、部活に没頭した。
そう、入学した時にK子に誘われて思い切って入った、軽音部にのめり込んでいた。
軽音部では先輩部員が皆、何らかの楽器、主にアコースティックギターを手に歌を歌っていた。
雫は、初めは自分が歌うなどと言う事は考えておらず、音楽に触れていることができるならと思い切って入部したのだった。
一番の関心元の美術部には入部に踏み切れずにいたが、こちらも同じように油絵に興味を持っていたK子の勢いに引っ張られるように入部した。
この高校の芸術の授業は選択教科(美術・音楽・書道)になっていて、雫は当然美術を選択していた。
雫はこの時に油絵に出会った。
(ただ、軽音部と掛け持ちをする雫に、美術教師はあまりいい顔をしなかったが。)
軽音部では、何れはアコースティックギターの弾き語りや何かしらの楽器の演奏で、ステージ発表することを目標に掲げていた。
雫は、この時点で自分が歌う気はさらさらなかった。
ただ作詞や作曲することが楽しかった。
浮かんでくる、季節や人間模様や恋愛のイメージを詩にしては次々と曲を作った。
出来れば自分の作った曲を誰かに歌って欲しいと思っていた。
ところが入部して一ヶ月ほどたった頃、楽器がろくに出来ない雫やK子のような新入部員は、初ステージは先輩の演奏で歌を披露するのだと知った。
それは部の通例になっていて、当然例に漏れず、雫とK子も従わなければならなかった。
歌に対するトラウマはあったが、この時雫は、折角手に入れた自分にとっての自由と生甲斐が存在する部をやめることは考えられなかった。
先輩の厚意により、雫の場合、K子と一緒でもよいことになった。
そして、あの忌まわしい正月以来封印していた『歌うこと』に、雫は再び挑んだのだった。
(続く)
TLTLE:高校生活、思いもしなかった展開2
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