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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
培養液(20)

培養液(20)

『月の雫』と言う生き物の培養液(28-20) 

(『月の雫』以後、雫と省略)

高校生活、思いもしなかった展開(後編) 


ところが入部して一ヶ月ほどたった頃、楽器がろくに出来ない雫やK子のような新入部員は、初ステージは先輩の演奏で歌を披露するのだと知った。
それは部の通例になっていて、当然例に漏れず、雫とK子も従わなければならなかった。
歌に対するトラウマはあったが、この時雫は、折角手に入れた自分にとっての自由と生甲斐が存在する部をやめることは考えられなかった。
先輩の厚意により、雫の場合、K子と一緒でもよいことになった。
そして、あの忌まわしい正月以来封印していた『歌うこと』に、雫は再び挑んだのだった。 



雫が音楽の授業以外で赤の他人の前で歌うのは、生まれて初めてのことだった。
自分が誰かのギター伴奏で、それも観客のいる前でポップスを歌うなど、想像すらしなかったことだった。
雫の意識の中では、自分の歌は人に聴かせるに値しないものだった。
人の心に何かの感情を残すなど有り得ない、程度の低いものと、雫は思っていた。 


しかし、蓋を開けてみれば、人々の反応は違っていた。
それは、雫がこれまで抱いてきたコンプレックスを覆す、信じ難いものだった。
思いも寄らぬ、雫がこれまで経験してきた『仕打ち』とも言える反応とは、180度真逆だった。
そのことは雫が今後救われる道を指し示すと同時に、これまで雫が浸かってきた培養液の異常さをも証明しているように思えた。 


雫の育った生活環境や雫が教え込まれた父の教育思想は、雫と同年代の人々のそれとはあまりに違っていた。
同年代の彼らは流行の歌謡曲やポップスに敏感に反応し、何の抵抗も無く日常の娯楽のように流行歌を口ずさみ、振りを真似てふざけ合ったりしていた。
そこには彼らの日常の家族生活や過ごし方が反映されているかのように思われた。
自由に伸び伸びと振舞う彼らの姿からは、その個性を受け容れられているであろう温かな家族環境を推察できた。 


雫はというと、どうだろう?
雫の生活環境は、全くと言っていいほどテレビや新聞などの外部情報に触れることのない世界である。
音楽どころか日々の話題ですら彼らと噛み合う事はなく、最早そのような同級生達に付いて行けず、雫は常に浮いた存在だった。
というより、そういうことを楽しむ感覚が雫には備わっていなかったといった方が正しいだろう。
外部情報が遮断された封建的な環境で育ったが為に、備わるべき感性が備わっていないのだ。 


この学校に通ってくる生徒達は誰もが、広い柔軟な視野と自由な趣味と、それを楽しむ事が出来る心の余裕が備わっているように思われた。
皆伸び伸びと高校生活を送っているように見えた。
実際に個々の事情がどうかはわからないが、少なくとも雫にはそう見えていた。
それが十代の健全な姿なのだと感じられた。 


そんな彼らは雫の歌に対しても素直な反応を示した。
聴いた人は一様に何かしら好意的な驚きと感動を示し、中には涙する人もいた。
しかしこれまで声や歌で非難され続けてきた雫は、自分が歌うことは人を不快にすると洗脳されているに等しく、そのせいか、自分の歌が人にどういう風に聴こえているのかと、人の反応に対して猜疑心が根強くあった。 


しかし、数ある様々な反応は好意的なもので、少なくとも、歌うなと言う人は一人もいなかった。
雫はこれまで経験したことのない嬉しさと喜びに満たされた。
こうしてこの部活動によって、本来の歌が好きな雫が徐々に解き放たれていった。 


部活では、初めに伴奏してくれた先輩を発端に、それを見たギターの上手い先輩達が更に雫の曲に興味を抱き、演奏に取り組んでくれるようになった。
そうして雫の歌の伴奏を担当してくれるようになった。
先輩グループのボーカルを頼まれることもあった。
月日が経つにつれ、部の定期コンサートなどの発表の場では自分のオリジナルの曲を歌うようになった。
実に充実した学校生活を送っていた。 


しかし、同時に雫は懼れていた。
「こんな事が父の耳に入ったら、又ずたずたに罵倒されて、初めて味わった小さな愉しみさえ奪われるかもしれない」そんな、父への警戒心だった。
「知られないようにしなければ、秘密にしなければ…。」雫は常に家ではいつもそんな恐怖を抱いていた。
極力生活に変化を見せないようにすごした。 


そんな家と学校の生活は、まるで時空を行き来しているようなギャップがあった。
そんな日々の中で、雫も学校と家での二つの顔を使い分けていた。
そのせいか後々も、雫は自分が極端な二重人格のように感じる時があったが、それはこんな生活から形成されてしまった性格なのかもしれない。
雫自身、理解できない部分である。 


二度と人前では歌わないと決めた雫だったが再び歌うことになり、皮肉にもそのことが雫に夢を与え、前へ歩き出す意欲と勢いを生み出した。
大きな力を与えてくれる切欠になった。 


実は雫は歌を歌ってはいたが、この時、何よりも、一曲を公開出来る完成形にするまでの、打ち合わせや編曲作業が楽しかった。
その思いは雫が進級した翌年、後輩のバンド活動に感化されたことで、バンドでの音楽活動と言うものへの興味に変わっていった。
やがて自分のバンドを作ってオリジナル曲を演奏したいという気持ちに変わっていった。
雫の中に、同じ志の仲間と音楽を作りたいという夢が生まれていた。 


雫はバンド音楽の面白さを知る切欠となったこの後輩と特に親しくなった。
この出逢いが、雫の人生をいつの間にか予期せぬ方向へと動かしていった。
それは雫の心の中に燻っていた「この環境から脱出したい。」という思いを、「脱出する!」という強い決心へと変えていった。 




(続く) 


追記:そういえば書きそびれたが、雫が声の事で、一つ嬉しい思いをしたことがある。あれは高2の時のことだ。担任が英語教師(男性)で、その英語の授業の時の事だった。 
教科書の英文の音読に当たった雫は、当然普通に読み始めたが、通常終わりそうな段落を通り過ぎても、先生からのストップがかからないので、そのまま次の段も読み進めていった。不思議に思いながら二人分を読み終えた辺りで、やっと先生は気付いたように言った。「いやあ、いい声だなあ。思わず聞き惚れてたよ。はい、ありがとう。」 
たまたま先生がボーっとしていて、苦し紛れでその場を繕っただけかも知れないが、雫はそんなことはこれまで全くもって経験の無い事だった。あまりに嬉しくて、暫くそのことが頭から離れなかった。雫がいい声だと、大人に言ってもらったのは、生まれて初めてだった。慣れないことに雫は戸惑いと照れ臭さを感じた。 
それが前向きな気持ちに繋がったのは確かである。 







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TLTLE:高校生活、思いもしなかった展開3






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