忍者ブログ

此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
培養液(3)

培養液(3)

月の雫』と言う生き物の培養液(28-3)
(『月の雫』以後、雫と省略)

父、祖父、その位置付け 

その数年後、村が開けてくると、町病院への交通手段も増え、診療所は閉鎖され、その女医先生も何処かへ行ってしまった。 

この頃、雫の父は仕事が遅かったりあちこちの仲間内で呑んだりしていて帰りはいつも遅く、帰宅後、子供に関わるということはあまりなかった。
父だけが特別な訳ではなくて、父の職業の人たちの日常はそれが当たり前のようだった。
7歳くらいまで、保育園と診療所の記憶はあるのに、雫には父母との幸せなスキンシップの記憶は殆どない。
日常、あまり接していないから当たり前といえば当たり前だが。 


でも、父は、正月など親戚縁者が集まった時に限って、それなりに成績良く賞状なども多かった雫を自慢話の引き合いに出した。
雫の父はそれ以外の時は、決して雫を褒める事がなかった。
まるでただの父の見栄とプライドの為の道具であるかのように、雫は父の都合のいい時だけ人前に引き摺り出され晒された。
この時ばかりは無理やり膝の上に座らされて、役目が済むと、「子供の寝る時間だから、早く寝なさい。」と追っ払われるのだった。 


ただ、父母とのコミュ二ケーションはなくとも、祖父が親代わりのように、教育や教養など様々な面で面倒を見ていた。
おかげで雫は小学校に入る前には読み書き、足し算や引き算ができた。
夜は毎夜、昔話やお伽話、祖父の体験など、興味深い話を眠くなるまで聞いた。
祖父は繰り返し強請(ねだ)る雫に嫌な顔ひとつせず、根気よく付き合ってくれた。
雫は毎日、夜、寝入る前の布団の中のお伽話を聞く時間が楽しみだった。

それだけでなく、夜間に雫が喘息発作を起こした時、雫を背中におぶってバイクにまたがり、真っ先に病院へ飛ばすのも祖父だった。
両親はというと、発作で苦しんでいる雫を別段気に留める様子もなく、「いつものことだから」と暢気に放っておく始末で、父は相変わらず晩酌に興じていた。
祖父はそんな二人を何度か叱り飛ばしたことがあった。
雫は家族の中で、両親とは比較にならないほど、祖父と過ごした時間が多く、雫のことを一番親身に気に掛けてくれたのも祖父だった。 


回りの人は冗談で、「おじいちゃんの子だ」と言ったが、本当に雫は祖父の子供のようであり、祖父が雫の父親のようだった。
それほど、雫にとって祖父は身近であり、逆に本来、密接な関係でなければならない父母との関係は希薄だったということだ。
(念を押すが、祖父と雫は親子ではない。) 


この頃、家の殆どの権限はまだまだ祖父にあり、大黒柱的存在も祖父だった。
家族は父を筆頭にして、何かを取り決める時も、行動する時も祖父に伺いを立てるのが常だった。
その状況はある意味、父が30歳をとうに過ぎたというのに、相変わらず自分を認めて貰えず親離れすることも許されない、できない、体の大きい息子のままの状況だった事を意味していた。 




(続きます) 


5b09a5c8c8059cc872c5edae7994feac.JPG














TLTLE:居る場所

 






読んで頂きありがとうございます。
お手数ですが下のバナーをクリックして頂けたら光栄です。
 にほんブログ村 小説ブログ ノンジャンル小説へ       人気ブログランキングへ

拍手[0回]

PR
   
Comments
NAME
TITLE
MAIL (非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS (コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます
 
Trackback

TrackbackURL

Copyright ©  -- RETREAT~星屑と月の雫 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by The Heart of Eternity / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]