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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
培養液(9)

『月の雫』と言う生き物の培養液(28-9
(『月の雫』以後、雫と省略)
 


父によって課せられる目標 


人生には生きていく過程に沢山の障害が存在するだろう。
雫にとって父こそが、雫の人生の最大の障害だった。
そして、その障害を乗り越えたとしても、踏み潰されてしまった未来への可能性の芽は、そこには最早存在しない。
運よく生き伸びていたとしても、それを形成する根本は変形し、社会の中で生きるには終わりの見えない苦痛を強いられるのだ。 



最初に記したが、雫の父は手先の器用さと美的感覚が必要とされる職人だ。
だからなのかもしれないが、芸術に対して高い理想を持っていた。
それ故に、雫の父は滅多なことでは人を褒めることもその作品を褒めることもなかった。
それは相手が子供だろうと変わりはなかった。
特に美術的作品(書道等も含めた創作全般)に対する評価の基準が恐ろしく高かった。 


世間の子煩悩の親は自分の子供の作品ならばよっぽど下手でない限り手放しで喜び褒めるだろうし、まして目を惹くほどならば無条件で「上手だね~」などと褒め千切るだろう。
しかし雫の父は違った。
雫以外の子供に対しては、その年齢の子供にしてはかなり上手い場合のみ(少し上手い程度は問題外)、本当に感動した表情で褒めることはあっても、雫を褒めることは決してなかった。 


では雫に対してはどうだったか。
年齢相応の基準ではなく、国宝だったり日本一の作品だったりを基準に父が判断した。
子供に、葛飾北斎や横山大観に匹敵する絵を描けと言っているようなものだった。
そのことを作家の名を挙げて具体的に言葉にしていた訳ではないが、雫の作品に対する父の全ての批評や批判がそれを物語っていた。 


確かに父は彫刻にしても絵にしても、その道のプロと比較できるほどクオリティーの高い作品を生み出していた。
当然雫がそんな父の足元に及ぶ筈もなかった。
作品を評価する時、ランクの最低ガイドラインが父なのだから、雫は一度も父にそういうものを褒められることがなかったのだった。 


母はというとどちらかといえば、そういう芸術的なセンスはなく、この分野に口を出すことは一度もなかった。
雫が自分の作品の出来栄えに評価を求めたとしても、母は作品に対するアドバイスどころか良し悪しの感想すら述べることはなかった。
雫が父の評価の重圧から逃れる為に、単純に褒めて貰いたい時でさえ、母の言葉は「わからない」の一言だった。 


それほど褒めるに値しないのか、雫にその手の才能が皆無だったのかというと、客観的に判断するならば、それなりに自信を持って才能と自負してもよいレベルにはあったと思う。
小、中学生時分は絵や書道に関しては、県内展レベルなら、常に何かしらの上位の賞を貰っていた。
まず、賞から漏れることの方が珍しかった。
しかし、どんな賞を貰おうとも、雫の父の評価はいつも厳しかった。
その言い方も何かしら遠回しに皮肉っぽく、辛辣な言葉ばかりだった。 


例えば、雫が絵と書で特賞を貰った時のことだった。
「特賞?これは一番か?」
「違います、二番です。」
「一番は、何と言う賞だ?」
「推賞です。」
「ちゃんと誰かが取ってるんだろう?何でお前が取れないんだ?」
「…」
それは推賞を取れなかった雫を責めるだけで、何一つアドバイスらしいものもなければ、励ましの言葉もなかった。 


また普段苦手な教科のテストが90点台だった時も、父が言う言葉は決まっていた。
「なんで
100点が取れないんだ?」
そう言って雫をなじるばかりでその努力を褒め称えることはなかった。
成績に関しても、通知表の学年順位欄を見るなり「何で一番じゃないんだ?」と雫を咎めるばかりだった。 


子供の気持ちを思うと、とても理不尽で気の毒である。
が、雫は嫌いな父とは言え、この頃は子供ながらにも、父のその才能と能力は認めていた。
だから、自分を責めるばかりの父を非難するどころか、寧ろ父の要望に応えられない自分が出来損ないなのだと己を責め、弟子を抱え尊敬されるべき父の名誉と存在を傷付けているという罪悪感に縛られていた。 


雫が一般的な子供より抜きん出ていた事と言えば絵を描くことであり、何より好きなことも絵を描くことに変わりはなかった。
しかし雫が家人の目に付くところで絵を描く事はあまりなかった。
それは挫折感を味わうだけの父の酷評に晒されることを意味していたからだった。
大抵部屋でこっそりと描く程度で、目に付くようなところに貼ることもなかった。 


小学校も中学校も、一番には親が恥ずかしい思いをしないように、雫は優秀に見えるスタンスで、周りの顔色を伺いながら揉め事を起こさぬように、『いい子』を維持して過ごした。
問題を起こして親が学校に呼ばれるなどと言うことがなかった代わり、必要以上に注目されて親の目を引くなどと言うこともなかった。
極力目立たないように、ひっそりとすごした。 


通知表にはいつも『何でも大変そつなくこなすが、消極的である』そんな事が書かれていた。
積極的になって父を刺激し、必要以上に父から『期待』を背負わされないための、雫なりの自己防衛であり、調子に乗った父が恐ろしい理想を雫に求めないようにするための回避策だった。 


この期間、楽しい事などなかったけれど、雫は静かな年月を送った気がした。
それに、幸いというか(本音は残念というか)、中学には美術の授業があっても美術部なるものがなかった。
だからこの中学の3年間で雫が絵と言うもので自分を主張或いは表現する事もなかったが、父を刺激することもなかった。
学校と言う、唯一雫が父の目から逃れて自由でいられる場所が在るということが、雫にとっては何よりの幸せだった。 


しかし絵を描きたいという心がなくなった分けではない。
ある人の言葉により、雫の絵に対する気持ちは消滅することなく保たれ、支えられていた。
「美術部がなくて残念だけれど、貴方に油絵を描かせみたい。この道へ進みなさい。」
それは中学で巡り会った担任教師の言葉だった。
この時はまだほんの僅かではあるが、雫の中には夢として存在しているものが何かしらあった。 






(続く) 





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TLTLE:難題







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