此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。
そう考えると、雫が投げかけた質問に対して若かりし頃の母がとる様々な態度に、 納得できるところがたくさんあり、数々の合点がいった。
母はクールな訳ではなく、自分の産んだ子供が思春期を迎えるほど成長したと言うのに、 未だ心を凍らせたままだったということなのか。
母のように十代で結婚し二十歳程度で出産する女性は沢山いる。
ギャルママと呼ばれる、一見子供を育てるなど出来そうにない、 当人が未だ見るからに幼くて、とても母親には見えない女性達もいるし、 更に中にはシングルマザーであったりする女性もいる。
しかしそのように母親として頼りなく思われる女性達であっても、 根本的に雫の母とは大きく違うところがある。
それは、彼女達の殆どは、付き合った期間はどうあれ愛した男性の子供を身ごもり、 10ヶ月間お腹の中で大切に育み、やがて溢れるほどの愛情をもって、 生まれてくる子を迎えるであろうということ。
生まれた雫はやがて喘息やアトピーが発覚する。
母は大家族の長男の嫁というプレッシャーの中で、 体の弱い子を産んだという負い目を更に背負う。
間も無く自分も病気になり長期間入院する。
そして雫の幼少期、目の前には母親が不在になる。
妊娠して赤ちゃんを授かると誰もが事情はそっちのけでおめでとうと言う。
子供を授かることは本当におめでたいことなのだろうか。
母は雫を身ごもった時、おめでたい事だと喜んだのだろうか?
雫を身ごもって嬉しいと思ったのだろうか?
身重の身体にも関わらず、大家族の家政婦のように家事や田畑仕事に追われ、 出産後は病気持ちの子供の育児にも追われ…。
雫の誕生には母の愛が見えない。
というより母の愛が存在する余地がなかったのだと思う。
幸いなのは、その母も今は既にそんな過去を割り切って、人生を謳歌している。
雫はそんな姿を電話向うに窺い知ると、母に対する罪悪感が少し薄れ、ほっとするのだった。
雫は自分の与えられた人生に早く慣れてしまえたらいいのにと思った。
雫の誕生に母の愛があったかなかったかなどどうでもいいことなのだと、 未練も拘りも捨てて割り切って生きたいと、日々希っている。
しかしそこに至るにはまだまだ長い道程のようだ。
慣れた頃にはきっと、人生のゴールのリボンが、或いは出口のドアが目と鼻の先か…。
そこに辿り着いたとしても、夢は叶ってはいなくて、雫は相変わらず人生に迷ったままか…。
(終わり )
TITLE:誕生に母の愛がない理由
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