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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   
廃棄物


普通にする呼吸を
そこだけ四角に切り取る
ぽかんと開いた穴に戸惑う
切り取ったのはワタシ

普通にする呼吸に
居たたまれない罪悪感
息苦しさは償いの具現化と知りつつ
身を委ねるのはワタシ

切り取った其処には
緻密に組み立てた『閉鎖』
誰にも取り壊せない要塞

不安を圧縮して躊躇を固めて
猜疑心で肯定を塗りつぶして
立て篭もっているのはワタシ

混沌とした思考回路を
行き着くところを察知してもなお
機械仕掛けのように回る
望むのは故障か電池切れ

しがみ付いていた場所が
明かりに晒されていくうちに気付く
要塞はただの廃棄場所
ポンコツになっていくのはワタシ




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TITLE:廃棄場所




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そこにいないのが…私



恋はたくさんしたけれど
心から恋をすることは出来ませんでした

これが愛なんだと受け容れてきたけれど
心から愛することは出来ませんでした

生きるために必要だからと
シナリオを描く私がいて
それを演じる私がいて
そこに脚色する私がいて
監督する私がいる

本当の私は
楽屋にも自宅にもいないのです

そこにいないのが本当の私です






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TITLE:空に浮かぶ海




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フルイにかけて



どうして私には
余計なことばかり考える思考回路が
組み込まれているのでしょうか?

脳神経をフルイにかけて
生き易さに必要なものだけ残して
人として生きることの喜びを
理屈ではなく
本能で受け入れられるなら…


人の束縛に
喜びを見出せない者は
結局一生人生を迷い続け…

人として生まれたことの
意義も感謝も知らず…

近付く終点を
じりじりと思い知らされるしか
ないのでしょうか








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TITLE:フルイにかけて



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障害者


世の中に完璧な人間などいない

皆、何かしらの欠陥を持つ障害者だ
ただ、多少個人差と程度差があるだけ…

そう、障害者はあなただけじゃない
かれらも障害者だし、私も障害者

自分は完璧だと思っている時点で
あなたは既に思考回路に障害を負っている
世で言う障害者よりよっぽど性質が悪い

自覚が無いから救いようが無い
それこそ、死ななきゃ治らない


心ではそんなふうに自分に言い聞かせる
みんな同じ人間なんだって受け容れようと努める

でも本当の私は絶対差別している
自分は能無しで役立たずだって認めるのが怖くて
誰かを卑下しなければ立っていられない

優れた者に対する劣等感
劣っている者に対する優越感

みんな同じだなんて
そんなふうに思える方法を誰か教えてよ






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TITLE:自然が為す小さな残酷




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存在



存在…
此処に在りたいと思う

それならいいと
まだそう思っている
自分を確認する

少しほっとする

それでいいと
自分を納得させる






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TITLE:存在





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キミの暗号



閉ざされた扉は
何を意味するのだろうか

その前で佇んだまま
ボクはノックすることに躊躇している

拒絶のシグナルを読み取った拳の甲
持ち上げたまま静止画像になる

喉に痞えた小骨のように
最初から感じていた拭いきれない違和感

見えないバリアで仕切り
最初から擦れ違っていたお互いのアプローチ

キミがそれを望んでいるなら
黙って受け入れるのがルールなんだろう

キミの暗号をもう読み取らない
安心していいよ
ボクはもうキミを追うことができないから






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TITLE:消えた暗号







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叶わぬ理想


人に触れることも触れられることも私は苦手だ。
それは子供の頃からずっと変わっていなくて…。
まあ今は目に見えて確認出来る範囲なら気持ちの準備が出来るからか、昔よりはずっとマシになった。
成長していくにつれ、何とか受け容れる覚悟が出来るようになった。
でも、一時期克服したと思ったのは単なる勘違いで、人並みに恋愛渦中に置かれた時の束の間のブラインドによるものだったようだ。
『恋は盲目』と言う俗世的な言葉をそれなりに体験しただけだった。
当然のめり込むことはなかった。
間もなく恋愛から冷めて正気に戻った時、やっぱり、見えない背後に人の気配を感じるのは堪らなく嫌だった。
背中から抱きつかれたりとか頭を撫でられたりとか…、アニメなんかで主役がよく「俺の背後に立つんじゃねー!」とか言うのがあるが、設定上の基本は違えど、心境は一緒かなと思う。
アニメではその後の台詞に「殺す!」などと言うが、そのくらいの不快感に捕らわれる。
私は敵から身を護るように、触れようとするものを振り払い、心の核はいつも何かに怯えて硬直している感じだった。


そうか、私はいつも見えない敵から身を護ろうとしているのか…。
子供の頃だけでなく、今もずっと変わらず…。


何故なんだろう。
ずっとその原因が気になって、7歳ぐらいの時は既にそんなスキンシップ障害というべく、理解不能な違和感に疑問を抱いていた気がする。
やっぱり肝心な時に親のスキンシップを体験できていないからだろうか。
親とのスキンシップはなかったけど、祖父には抱っこやオンブはして貰っていたというのに。
でも考えてみたら、どちらも無償の愛情の自然な動作ではなく、条件あってのことのようだ。
抱っこは、本を読み聞かせて貰ったり読み書きを教えて貰ったりする為に、膝の上に座らせられる背中のスキンシップ…しっかり向き合った正しいスキンシップとは言えない、歪んだ形のようにも感じる。
確実に心を開いた人が幼い私を背中から包み込む、という100%の安心感があっての接触。
そう100%の安心感がなければ成り立たないスキンシップ。
条件が厳し過ぎて、ある意味、接触(ふれあい)免疫をつけるには向かない。
それに祖父のオンブも、私が喘息発作を起こした時に病院に運ぶ際にとる手段という条件付のスキンシップ。
どちらも私の要望とは違う場所で発生する。

幼い頃、胸に抱き上げられたり、抱きしめられたり、ってあったかどうか記憶がない。
「ママ、だっこー」の記憶がない。抱っこしてもらえなくて駄々を捏ねた記憶もない。
経験がないからに他ならないからなのか。(実はとても聞き分けのいい子だった?笑)
殆どされたことがないから記憶がなくて当たり前なのかもしれない。

何にせよ、今から矯正するのは不可能だと思うし、今更矯正したいとも思わない。
ただ、子供を育てる時、私のこういう障害は何らかの弊害や悪影響を子供に与えそうで、つまりこれがACの連鎖というもののひとつであったりするのかという懸念はある。


私より寧ろ私に接する人の方が、私のスキンシップ障害(恐怖症?)を矯正(治療となると重症だな)して欲しいと望んでいそうだ。
その理由は今のところ、どれも相手側のエゴを満たす為だけで、私自身の為ではなけ、私にとっては苦痛に他ならないことには変わりない。
それが人のために、或いは家族のために自分の心身を捧げる清く正しく望ましい愛の表現であり、行動だと言うならば、私にとってはかなりストレスの溜まる苦痛な課題だ。
その課題をクリアする事が生きることなら、何と高いハードルだろう。
生きることはかなり辛い。





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TITLE:叶わぬ願い





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人の死を願っています



昨日はまた嫌なアイツがきて
暫く来れなかったのは倒れて救急車で運ばれたからだって言った
あまりに嬉しくて笑えそうだった
(ワタシは腹の中で思いっきり笑ってた)
そのまま死ねばよかったのにって思った

アイツがずる賢く嫌なヤツだってこと
ワタシの上司はこれっぽっちも知らない
お得意さんだから機嫌を損ねる訳にはいかなくて
「お体大丈夫ですか」と顔で心配しながら
心の中で早く死ねとワタシは手を合わせる
思わず口に出そうなほど
早く死ねと心の中で呪文のようにワタシは繰り返し唱える


今日はジブンが死んだ方がいいとワタシは唱える
心が歪みっぱなしのクダラナイワタシが死んだ方がいいと
早く死ねばいいのにと呪文のように繰り返し唱える

そんな風に思うジブンは嫌なものに屈したみたいで
とても悔しいと声を殺して泣く

情けなくて
悔しい…
悔しい…
悔しい…



ジブン死ね!もう!




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TiTE:檻の中の欲





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ツカエナイ



ツカエナイ…

ボンミス連発のあのこ
使えないってさ

あいつらは薄笑いを浮かべて
ヒソヒソと耳打ちをする
あいつらの思うツボ

あのこが認められるのが
気に入らないらしいから
あのこに言い寄る男を蹴散らす
あのこのどこがいいんだって

粗探し
大勢の前で晒し者
どうやって追い出そうか

私の中にもやもや
何だろう…このダメさ加減
最悪な気分
アイツの思うツボだから?

頭(学問)がいいやつに限ってツカエナイ
ウツ病になったヤツは二度とナオラナイ
あいつらには笑えるネタで
盛り上がる興味本位の世間話で…

私は悲しくなって
世の中の見方はそうなんだと知った

あのこが私を見つめる
ホントツカエナイジブン
ツカエナイジブン
ダメナジブン

私に映り込む…
あのこの傷心…

小さいことじゃん
もう忘れなよ
お天気のいい週末
そんな沈んでたら勿体ないよ
あんなヤツに気を遣う必要ないじゃん
あんなヤツのせいで落ち込むなんてツマンナイ

誰かをサゲスムコトでしか
強くなれないなんて
嫌なヤツだなワタシ

ジブン
ヤクタタズ






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TITLE:ツツミコメナイ





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太陽と月


太陽と月はどちらが正しいの?

太陽は表で月は裏
太陽は陽で月は陰
太陽は明るく逞しい 月は闇に身を潜める
太陽の下、天使が踊る 月の下、魔物が笑う
太陽の恵み 月のまやかし
太陽のような子 月のような子

太陽と月を漠然と比較したならば、世の中に無条件で賞賛され好意的に受け入れられるのは太陽だろう。
ここで、「太陽だって日照りの干ばつをもたらし…」とか、「月だって控え目でミステリアス…」等という、逆説的な批判と同情のフォローは脇へ置いておく。

正しい?と訊くのは何だかおかしいと思うかもしれない。

しかし単純にこのそれぞれの特色を、人に当て嵌めた時、思考を止めて本能的に或いは直感的に、人が好感を持つのは太陽のような人だと思う。
太陽に掛かる形容は何かと正当で、強引ではあるがその結論から答えを導くと、書き出しの問いは太陽が正しいということになる。

しかし雫にとって、上に挙げた太陽から連想するイメージは、どれも眩し過ぎて重い。
何事にも喜怒哀楽がハッキリしていて考え方の単純明快をモットーとする人、ポジティブで明るく朗らかな人、持って生まれた特質(人徳)だけで努力もなく人に受け入れられていることを自覚していない人…etc.、こういう人を見ると、雫は無性に苛立った。
雫はそういう人に同じ空間に居て欲しくないと思い、胸を押さえ付けられるような息苦しさを感じた。
と共に雫自身が同じ空間に居られなくなるほどの、嫌悪感を覚えた。

(のほほんと幸せそうに見える人に対して無性に腹が立って、「お前らみんな死んでしまえ!」という思いに駆られ、突発的に殺人を起こしてしまう、近頃の通り魔と同じ感情かもしれない。)

雫が捻くれているだけなのか、脳神経の繋ぎ目に不具合でもあるのか、生育環境によって形成された性格的欠陥なのか、環境ホルモンとやらの外的影響なのか、それとももともとホルモンなどを調整する機能に問題のある身体的欠陥によるものなのか…。
挙げたそれらに原因はないとは言えないが、問題なのは、太陽と月の二つのタイプを比較した時、雫は月が好きで、太陽になりたいとこれっぽっちも思っていないことだろう。


いやそれ以前にもっと根本的な問題はそれぞれのタイプを独立させるという基本的なところを、世の中が受け入れていないということだろうか。
何故なら世の中は『太陽ありき』から始まっている。
地球そのものが太陽ありきで存在しているから仕方のないことなのかもしれないが…。

しかしながら、月の引力が生命に大きな影響を与えているという事実もある。
月タイプが自分の存在を卑下する理由はないはずである。
もっと堂々と世の中に存在すればいいのだ。
こういう思考回路も、月タイプの雫だから出来ることであり、太陽が人の行動や外面を象徴するなら、月は精神思考の内面の象徴、つまりメンタル面のスペシャリスト言えるのではないだろうか?

月タイプの存在にはすばらしい役目がきちんとある。
こうして考え悩むことが出来るのは、ある意味そういう人にしかできないりっぱな能力ではないか。
例えば楽観的単純思考の人に「悩め」と言ったところで無理だろうし、目の前の悩める人の心は到底見えないだろう。

太陽タイプへのヒガミ根性だと言われるかもしれないけれど、こんな風に正当化しないとしずくは世の中に対応して行くことができない。
そうすることが現実世界で雫が成り立ち、生きていける理由であり方法である。
雫には今はそれしか思いつかないのだ。

雫が世の中で行きやすくなるためには太陽にならなければいけないのだろうか?
太陽になることを目標に日々を生きるべきなのだろうか?
それとも月である自分を受け入れて生きるべきなのだろうか?





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TiTL:太陽の人と月の人





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人は生まれる場所を選んで生まれてくる?


ある分野で有名な方が、随分前に彼の番組の特番で言っていた。
彼曰く、
『よく親や世間に向かって、「生まれて来なければ良かった」とか
「生んでくれと頼んだ憶えは無い」とか「子どもは親を選べない」とか言う人がいるが、
皆あの世からちゃんと生まれる場所を決めて親を選んで生まれてきているんです。』
と、そんな内容のことを話していた。

「?そうなの?」私の頭の中に、
………編みかけのセーターを広げるように持ち上げてじっと眺め、
「もしかしたらこの糸を選択した根拠から間違ってる?
いや、待てよ、デザインのコンセプトから見直し?』と呆然としている自分………が浮かんだ。
(私の場合セーターだけど、建てかけのビルや家だったら、かなり落ち込むなあ。)
作らされている(依頼主がいる)と思っていたものが、実は、自分が決めた事だったとは。
自分で選んでおきながら、「おぎゃあ」と生まれ落ちたその時、
記憶が無いのをいいことに(稀に有る人がいるらしいけれど)
ちゃっかり責任転嫁していたということか?
「私が生まれて来たかった訳じゃなくて、あなた方夫婦が私を呼んだから来て上げたのよ。」って。

そりゃあまあ、私は基本的に運命主義者というか、自分の前に現れる様々な人との出逢いや、
立ち塞がる困難や災難の壁が、それは自分が神に課せられた人間的レベルアップ
(この場合内面的に)の為の障害なのだと、今の私に必要なことを学ばせようとしているんだと
受け入れることにしてはいる。
が、この世に生れ落ちる時から既に何かの目的を持って【必要な学び(修行?)】を選び)、
あの世からやってきてるということ?

あの世の私…、何を根拠に何を目的に何がしたくて、
あの環境のあの男女(両親)の元を選んだんだ?
6歳くらいの時にはもう、選択肢を後悔していたんだけど。
「○○ちゃん家の子に生まれたかったなあ。」
「私のお父さんお母さんが、○○ちゃん家のお父さんお母さんだったら良かったのに。」って。
私の育った環境は決して悲惨じゃないし、どちらかと言うと恵まれていた方だと思うが、
他所の家庭とはどうも何かが違ってた。
親の考え方や思想がどうも常識と違ってた。
地味に、非常識(常識との境界が難しいけれど)な思想と教育環境の中で
有ってはいけない思想をサブリミナルのように混ぜられながら調合した中で、
私と言う生き物が培養されたように思う。
今思うと、潜在意識に親の名言ならぬ迷言が座右の銘としてインプットされてたような…。

私は結構その方の特別な能力を認めてる。
(横にいるお釈迦様のような方は、沢山の経験と知識と多少の第六感で、
その方の言葉表現の足りない部分をサポートしているのだと、私は思っている。)
だから、「自分が、両親を選んで生まれてきたんだよ」という言葉を、頭から否定できない。
なんとか、この言葉を否定するも納得するも、ちゃんと考え至った所で、答えを判断したいのだ。

いい加減な男女の間に生まれてきて、あっという間に命を絶たれてしまう子が、
その人間達(男女)を親として選んだ意味は?
地獄のような暴力が蔓延り荒んだ環境で生活する人間達(男女)を、親として選んだ意味は?
いずれその矛先が生まれ落ちた自分に向けられるだろうに、なぜ?
子どもが欲しくて欲しくて堪らない、愛情溢れる人間達(男女)がいるのに、
どうしてそこへ真っ先に行かない?選ばない意味は?
私が何か根拠や理由や目的があってあの親を選んで生まれてきたのだとしたら、
やはりその真意をはっきりしたい、知りたいと思う。

セーターや家を、作らされていようが作っていようが、そのモノ(人生)に愛着と誇りを持てたら、
きっと、充実した良い一生だったと思えるのかも知れない。
そのためには、自分の浸かってた培養液の分析が必要に思う。
ゆっくりマイペースで紐解いていきます。


そしてこの物語のカテゴリー《月の部屋1》の
培養液(1)~(28)が始まりました。




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TITLE:選択






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本意を見る


いくつかの記事は汚い言葉で人を罵り、読むに堪えないような酷いことを書いている。
特に男性が見たらきっとかなり不快なことを書いていると思う。
図星だと苦笑するくらいの寛大な懐を持ち合わせていればいいが、
大抵の男性は私の女としての資質を蔑み嘲笑うであろう。
このブログの私が、読む人にどういう人間としてイメージされているのか想像すると、
随分酷い像が出来上がるが、そうなるような要素を吐き出しているのだから、
当然と言えば当然のこと。
故に特に私自信はそのことに対して何の感情も浮かばないのも当然と言えば当然のこと。

人は自分の限られた経験で作られた物差しで人を測る。
私も同じだ。
だから、人を信じることは正しいと疑わずに生きて来た人の物差しで、
歪んだ心は測れないのかもしれない。
またイビツに歪み、色のくすんだ物差しで、真っ直ぐでピュアな心は測れないようにも思う。

ただ、ゆがみを正すことは可能であり、真っ直ぐなものを歪ませることも残念ながら可能だ。
しかしどちらも、用途の意味をなさない適切でない物差しで測るのは迷惑であり、時に危険である。
また、仮に用途が適切であっても、自覚のないものを無理に当て嵌めようとすれば憎悪を増長し、
それを導火線として発生した価値観の相違は其々の人格を侵し、
度が過ぎれば争いや攻撃の火種になり、ともすればそれらから争いを引き起こす。

想像力の乏しい人はそのことに気付かず、本人の無意識のうちに、
推し量ることのできない大きな傷を相手に与えていることも十分ある。
そんなことには全く気付かず、正当を主張したりもする。

私が酷い言葉を綴り特定の人間を攻撃する理由を明らかにしていない限り、
おそらく読み手は皆其々の物差しを当てて解釈しているのだろう。
そうするしかないから、私もどんな風におもわれようとそのことに関しては非難などしない。


ただこの明確でない言葉のたまり場から、私の本意を読み取る人がいたら、
私自身どんなに嬉しいだろと思う。

その人はきっとすばらしいカウンセラーかセラピストか超能力者か神か…。
単純なところで言えば、同じ境遇にいる人か…。

真剣に唯の独り言。





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TITLE:眩む空





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私の目



私は自分の目が好きだった。
見た目や形状ではなく、自分の目の機能が好きだった。
その機能に自信があり、自分の所有物(物質も含め)の中では一番大切なモノであり、
私という人間の存在価値を示す、唯一、人に誇れるモノだった。
目と言うより眼球と言ったほうがいいだろう。

今思えば、自分の目に愛着を持っていたその頃の、
一般人の齢相応のレベルと比較した時に多少優れていただけで、
プロに比べたら足元にも及ばないし、
天才的レベルの機能ではないから、大したことではないのだけれど。

どんなところに惚れ込んでいたかというと、先ず、視力が良かった。
右2.0で左1.5~2.0。今は随分落ちたけれど、それでも1.2くらいはキープしている。
遠くは良く見える。でもそれだけじゃない。
絵とか何かを見た時、その形の読み取りや色の分解ができる。
数値変換は無理なので、勘のようなものでの分析と分解だ。
それは『勘(或いは感性)』又は『脳の機能』の方が優れているんじゃないのかと疑問が湧くけれど、
やっぱり眼球そのものの質なり出来が良くないと成り立たない。
と言っても分かりにくいか。

筆跡を真似るとか模写をイメージするといいのか?
子どもが人物画を描くと目も鼻も口も実物とは似ても似つかぬほどちぐはぐだ。
本当に見えてるの?と言うくらい、写実と言う目線で見たら酷い。
その頃の私の絵は、既に子どもの描く人物画ではなかったようだ。
(決して自慢してるつもりはない。)
上手下手はともかくとして、子どもらしい絵としての魅力がない。
何かを見た時、細かなところを目で分析する。
常人がルーペを使わないと見えないようなところまで見えた。
手もそこそこ器用なので、見えたものを手に伝え、
別なものに投影させる機能もそれなりにあったからなのだけど、
目と手を使った細かな作業は得意だった。
そして月のクレーターなんかも見えるほど、遠くも見えるのだから
遠近両用OKだ。結構凄い機能だと自分で思う。

ある時ふと考えた。
「死んでしまったら、このすばらしい眼球も火葬してしまうんだ…、勿体ないじゃないか!」
もしも私が不慮の事故とかで命を落としたら…
そう考えた時浮かんだことは、
「この眼球は大きな将来のある若者に使って貰おう。そうだ、アイバンクに登録すればいいんだ。」

そう考え、取り敢えず身近な人にその考えを伝えた。
一応、『自分』は自分のものであって、自分だけのものではない。
死んだら悲しむ人がいる(たぶん)。
一人でこの世に出てきたわけではないし、自分だけの力で育ったわけではないから、
一番身近で支えてくれてる人には伝えておく必要があると思った。
世間的には事後報告で済ますような軽いことではない気がして、
とにかく耳には入れておいて貰おうと思った。
肝臓も胃も丈夫だから、使って貰えそうなところは全て登録するかとか、
頭の中ではそんな事も考えて。

ところが返事は予想外。
凄い剣幕で、答えは「ノー!」私は「何んで?」である。
「身近な大切な家族の者が死んで、その体にメスが入れられ切り刻まれるなど、誰が望もうか?」
それが答えだった。

私は、愛されているのだということ、必要とされているのだということを思うより、
普通はそんなものなんだと思った。
普通はそんな重大なことなのだと思った。
ああ、だから、臓器バンクとかが世間に浸透しないのだと気付いた。
私以上に私以外の人に『私』と言う人間が執着されているということを知った。
知ったからと言って、その事実に何の感情も起こらない。

私はその執着という重い感覚にフタをするかのごとく、そのことを考えるのはやめた。
そうして月日が流れ、誇りに思っていた機能は衰え、最早、推奨品ではなくなった。
自分が一番自信を持っていた大切なものの価値がなくなったことが悲しかった。





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TITLE:目





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七夕




どうして

「7日に会おう」
って

言ってくれないの?

七夕なのに…









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TITLE:星は見えない





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男に生まれたかった。
今でも思う。
男に生まれていたら、人間に執着することができたかもしれない。

思春期の頃から、ずっとそんな思いを抱いている。
そして、そんな詩も書いてみたりした。
高2の頃に、星空を眺めて流れ星に思いを馳せる、一見するとそんなソフトにメルヘンチックに心を表現しているかのような、ちょっとした思春期の甘酸っぱい恋心を表わしているように見える詩だった。

でも、実は自分の抱えている自分自身に対する認識の異変を誰かに気付いてほしいシグナルなんだと、見る人がみれば分かる。あ、この子の中の何かが狂っていると。
根底にあるものは、物心ついた時からずーっと抱いている、自分自身に対する所在無さだ。

詩から読み取れるもの。それは自分の性に対する執着(愛着)のなさだった。
《男に生まれたかった…そうすれば…》と条件付けて、自分自身をなんとか常識的状態にしようと思考転換しようとしているが、『性』ではなくもはや人間に対する執着がない。

歌詞の中では、さり気無く自分の常識的でない思考を暴露していて、それに対して滑稽そうな顔で相手が気付きの反応をしたことになっているが、それは理想であって実際に気付く人はいない。
歌詞の中でさえ、自分から暴露しておきながら異端視されることを懼れ恋愛話で誤魔化そうとしている。

この詩には、もともと脳細胞は感情的思考とは繋がってないから口にする言葉を信じてはダメという、そんな意味合いのくだりがある。自問自答で、異端な思考回路の自分を常識的で寛容な思考回路の別の自分が慰め、無理矢理納得させようとしている。

あの時は言葉遊びのように楽しんでいるつもりだったけれど、本当はそこしか逃げ道がなかったのだと、今、自覚している。
それなりに受け入れて諦めている今の私より、まだまだ往生際の悪いあの時の私の方が、今の私から見たらずっと可哀相だと思うけれど、異端な思考を個性と錯覚していられたから幸せだったのか。

今も、たまたまこれを読んでいる人がいるとしても、私はその人、或いは全ての人のために分かりやすく説明してはいない。なぜなら、私は今、このことを理解できない人、理解しては困る人達にとても近い位置で生活しているからだ。理解されない方が寧ろ生き易いと判断しているからだ。

今の私にはこの異端な感覚から脱却することにメリットはない。理解してもらいたい、異端な自分を克し常識の中で生き易くなりたいと闘いを選択した時、失うものや弊害が大き過ぎるから。
隠れ家として作った場所さえ、戦々恐々いつ何時…の不安はあり、抽象的である。
それでもここは、以前よりも安心していられる私の防空壕である。





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TITLE:滑り込む星空




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確か、平家物語の冒頭文と出逢ったのは中学の国語だったか?

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕はす。
奢れる者久しからず、ただ春の世の夢の如し。
猛き人も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ。

誰もが知っている平家物語の冒頭。
初めてこの文に出逢ってから、ずうーっと心の奥に何かが引っ掛かっている。
悔しいような、諦めきれないような、いつまでたっても割り切れないような、
それでいて懐かしいような切ない感情。
別に私が体験したわけじゃないのに、息苦しくなるような感情。

私は決して日本史好きではない。
近頃は歴女だの武将隊だのが流行っているが、
私自身は歴史小説や歴史ドキュメント、戦国時代物(時代劇も含め)、
それらに関わる武将など、全くと言って興味がない。
映画だって邦画より断然洋画の方が好きだし、
日本のことなのだから興味を持てと言われても、体が受け付けない。
(当然だが、歴史は成績が悪かった。)
なのにこの平家物語の冒頭文に関しては何故か不思議な感情に縛られる。


それと同じ感覚に囚われるものがまだある。
松尾芭蕉の『奥の細道』で有名な句。

夏草や兵どもが夢の跡

これも平家物語と繋がりがある。
でも私は、平家物語どころか、義経のこととか全く詳しくないし、大河ドラマも観ない。

ただ、松尾芭蕉の句は習い始めた子どもの頃から好きだ。
でもこの句は私の心に、芭蕉の他の句とは何かが違って響く。
この句を見ると見ると切なくて、涙が出そうになるのだ。


そして最後に極め付けがこれ。
とても古い昔の歌謡曲。
既に16年も前に亡くなった『三橋美智也(1930年11月10日-1996年1月8日)』の楽曲。
かなり年配の人しか知らないと思う。

【古城】

歌手:三橋美智也
作詞:高橋掬太郎
作曲:細川潤一


松風騒ぐ 丘の上
古城よ独り 何偲ぶ
栄華の夢を 胸に追い
あゝ 仰げば侘びし 天守閣

崩れしままの石垣に
哀れを誘う病葉(わくらば)や
矢弾(やだま)のあとの ここかしこ
あゝ 往古(むかし)を語る 大手門

甍(いらか)は青く 苔むして
古城よ独り 何偲ぶ
たたずみおれば 身に沁みて
あゝ 空行く雁の 声かなし


息苦しい…。
読むだけで息苦しい…。
たまにテレビ番組で『懐かしの…』とかで流れたり、出かける場所によっては有線で、
三橋美智也の声で歌われるこの歌が聴こえてきたりすると、
咽び泣く時のように喉の奥が詰まりそうになる。
死んだ父親の声が似ていたこともあってか、
重く悲痛なそれでいて懐かしい、矛盾した感情に圧し掛かられる。
涙が出そうなくらい息苦しくなる。

私が泣けない性質(たち)の人間だからかも知れないけれど…。

この気持ちの根拠が何なのか、全く意味が分からない。







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TITLE:時間の渦




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出産、子どもを手に入れるということ【後編】




私はいくつか嫌いな言葉がある。

それは「子供が欲しい。」と言う言葉、
「子供が出来た。」と言う言葉、
やんわりとした言い回しだが「子供を授かった。」と言う言葉。


前回、「子供が欲しい。」と言う言葉に対しての思いを書いた。

次は「子供が出来た。」と言う言葉。
ここで言う「子供が出来た。」は、命を預かる責任を肝に銘じ、待ちに待った子供を身ごもることが出来た、
という意味ではない。
巷でよく言う、『出来ちゃった婚』でよく耳にする初めの言葉である。
考えてもいなかった、思いもかけなかった、
つまり命に対する何の準備も責任も覚悟も考えていなかった時に出る言葉だ。

世間では芸能人などがやたら堂々と婚前交渉の予想外な結末(妊娠)を、
「命は尊い」という美言でくるみ、あたかも正当なことのように公表する。
一般人は洗脳されて正しいステータスだと思い込み、
責任を考えない子作りに対する罪悪感が薄れる。

私がそこに導かれた命なら、私は産んで欲しくない。
『命は尊い』なんて、軽々しく言って欲しくない。
その子供の先の未来がどうなるかなんて、誰も知らないくせに。

私は『出来ちゃった婚』は認めない。
自分に対してもであるが、自分の子供に対してもである。
私自身は絶対に『ない』と言い切る。
けれど、もしも自分の子供が、常日頃そのことを訓じていたにも関わらず、
そういう事態になってしまった場合、受け容れない分けにはいかない。

だが、もし、そうなってしまった場合、私はしっかり考えさせるつもりではいる。
予定してないのに出来ちゃったとか、出来ちゃったから仕方なく産んだとか、
本当は要らなかったとか、橋の下で拾ったとか言う捨て子的比喩や、
最悪、産まなきゃよかったとか、決して冗談でも子供に言ってはいけないのだということを。

その言葉は、子供が自分の存在を否定する引き金に為り得る危険な言葉である。
その言葉を切欠に、子供は自分の存在を否定し始める危険を含んだ言葉である。
その言葉だけではないかも知れないが、十分切欠には為り得る恐ろしい言葉だと思う。

「子供が出来た(できちゃった)。」と言う言葉、時と場合によっては簡単に使ってはいけないと思う。


「子供を授かった。」(コウノトリが運んできたともいう。)
この言葉も違和感がある。
言葉の前後に、子供を受け容れる条件が揃っているにも関わらず子供に恵まれない、
という事情あっての流れで使うのは構わないと思う。
ただやはり、どこか、自己責任を曖昧にして、神様なるものに責任転嫁しているようで、
いい気持ちはしない。

ただ、命を受け容れる心と人間性の準備がきちんと出来ている夫婦に使われることが多いのが、
まだ救いかと思う。


『人は子供と共に成長する』や『子供に親にしてもらう』や
『子供が親を人として成長させてくれる』は、よく言われることだ。
子供を育てるに値する条件を備えた大人ならば、さらに成長するから、
それは人としてすばらしいことだと思う。
しかし、条件を満たしていない大人が、『子供に親にしてもらう』なんて、ふざけるな。
子供はあなた達大人を育てる道具ではないし、
そんなものにされては、子供にとってはいい迷惑だ。


子を産み育てるという事。

無責任な恋愛の衝動の果てや、大人の所有物的思考の果てに作られてしまった命、
全てがそうとは言わないが、そこに様々な悲劇を背負わされた子供が生まれる事は、
否定できない事実だと思う。




追記:
私は淘汰されるはずだった自然の摂理に逆らう、
医学に頼りすぎる延命治療やモルモットじみた一部の救命にも疑問を感じている。
ただの人間のエゴではないのか?


これらはあくまで私の勝手な意見であって、皆色々な考えを持っていると思う。
読んだ方は、くれぐれも感情的にならないようにお願いしたい。






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TITLE:出産という責任





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出産、子どもを手に入れるということ【前編】




私はいくつか嫌いな言葉がある。

それは「子供が欲しい。」と言う言葉、
「子供が出来た。」と言う言葉、
やんわりとした言い回しだが「子供を授かった。」と言う言葉。


この3つの言葉の言い回しには、どれも、子供の側の意志が存在しない。
発言の何れにも、子供を作る機能を手に入れた大人という人間の、
自分勝手で無責任な意味が存在する。

「子供が欲しい」って、恋愛真っ只中の男女は結構簡単に口にする。
「あなたの子供が欲しいわ」快楽の中で盲目の女は、
愛する男の子供ならきっと一生愛していけるに違いないと錯覚する。
未来ほど不確かで曖昧なものはないというのに。
育てられるだけの自分自身の成長も環境も、条件は何も満たしていないというのに。

きちんと子供を育てられるだけの人間性や生活、資産を保有しているキャリアウーマンが、
シングルマザーを覚悟して「子供が欲しい」と言うのは、まだ許せる。

だが、恋愛の衝動に駆られて、メクラ状態で子供を作るなど、冗談じゃない。
そんないい加減なことで、この世に引き摺り下ろされた命は、たまったもんじゃない。
一生幸せの中で成長していける保障は何もない。
こういう衝動的に作られた子供に限って、物心付いてあたりを見回すと、
愛のない場所にポツンと取残されていたりする…あまりによくあること。

子供が欲しいというなら、その前に、
子供を育てるだけの責任を自覚してほしい。
せめて、生まれて来てよかったと思える人生を与える義務を自覚してほしい。
生まれてきた命が自分の人生をその足で歩き始めるまで、
支える責任があるということを自覚するべきだ。

それが出来ないなら、100パーセント避妊するべきだ。
子供は物じゃない。
『欲しい』と言って簡単に作るなと言いたい。
あまりに命の持つ意思に対して、無責任すぎる。


(続く)






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TITLE:出産という覚悟








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6月


息の詰まるような鉛色の空
命を搾り出したその傷を隠すように
アッシュに灰色を何層にも重ねた

手の平で押し潰して
これでもかと塗り重ねた絵の具の痕
心の傷を隠す代償にした

沁み込みはしない
痛みは感じない
ボクが鈍感になっただけなんだ
決して痛むわけじゃない

年月が忘却を耳元で囁き
ボクは坦々と洗脳されていく

何にも干渉などしない…
キミは目を閉じ耳を塞ぎ口を噤み
今が現実だからと…
ただ…降り続く…ただ降り続く雨に
時折り小首を揺らし身をまかせる

それは神様が捕まえた青空…
流れない、動けない、永遠ではないというのに
僕の目には満面の笑みにさえ映る
可愛そうなほど美しく咲き出す青空

無造作にあちらこちらに放り投げられて
何の懺悔だと言うのだろう
誰かが美しいと心安らげば安らぐほどに
君は生気を失いみすぼらしく枯れていく

それがキミに与えられた役目で
それがキミの意思を持たない悦びで
そこにキミは何の疑問も抱いてはいない

青からゆっくりと暖かな日溜りの色を差し
キミのいる6月は胸が潰れそうな沈黙で
ボクの存在を責める








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TITLE:キミノイロ





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月の雫と星屑

 

 

 

 

内面を投影した絵を添えて書かれた詩が納められている場所を【月の雫】とし、外世界から感性に作用を受けて封じ込めた写真というものを添えて書かれた詩が納められている場所が【星屑】である。
単純に「絵詩」と「写真詩」であるが、どちらも絵や写真からインスピレーションを受けて生まれた詩が添えられている訳ではなくてあくまで詩が先行であり、絵も写真も言わば挿絵的存在であることは否めない。
そうなると、恰も『そこにきちんと思い入れやテーマが存在する』としたような上記前述は矛盾するが、そこは深く追求しないで下さい。

つまりは絵や写真も詩同様に其々に楽しんで下さいということなのです。
『暗さ』を楽しむのもどうかと思いますが、私のような人間は明るすぎると息切れを起こして時々死にそうになってしまうものだから、過呼吸対応に酸素の薄い状態を与えるのと同じで、明るい場所で生きるためには明るすぎない暗い場所が必要なのです。

灰色のグラデーションの薄闇に静かな寝息を立てるように浮かび上がる木々のシルエット…
ここは云わばそんな場所と言ったところでしょうか。
明る過ぎる場所より、私は好きです。


 

 

 




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TITLE:薄暮とシルエット




 




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水無月の記憶



誰もいないがらんとした奥の部屋で 
誰もが脳に組み込まれている筈の 
思考とは切り離された動作を 
私は一つ一つ強いられて繰り返す 

辛さから逃れる方法をもがきながら探した 
圧し掛かるような苦しみを逃す方法を探した 
窓辺にもたれる… 
そんな簡単な事に頼らなければならない 
出来損ないの体が情けなかった 

塞がれたように細い気道とそれを拒む酸素 
思うようにならない身体が疎ましかった 
誰でも当たり前の呼吸するということ 
そんな簡単なことに苦戦する自分が疎ましかった 

私が産んでって頼んだわけじゃないと 
悔やんだって後戻りできる訳じゃないけれど 
あなたの重荷になる私の存在を 
あなたの歪んだ顔は声すら消えた沈黙の裏で責める 
まるで生まれた私が悪いと… 

自分の中の気道を窮屈に震わす 
勝手迷惑な雑音に聞き耳を立てて夜に彷徨う 
眠りを奪われるのはいつものことで 
引き換えに笑えるほど想像力は豊かになった 

そう、私は私を薄命のヒロインに重ねて 
オルゴールのように奏でる水無月の雨を見ていた 
この身を侵食し脆さを小突き続けるように 
雨足を強める水無月の雨を見ていた 
この存在が呑み込まれ 
やがて音の中に意識が消滅していくのを願って 

毎日馬鹿の一つ覚えのように繰り返し願う 
どうか今日は眠れる夜でありますように 
どうか雨音が子守唄になりますように 
夜明けが動き出せば拭えない不安に囚われ 
夕暮れに追われて迷い込む夜を恐れる 

叶わないと分かっているつまらない願いを抱く 
このまま夜明けが来なければいいなって 
いっそこのまま朝が来なければいいなって 
ガラスに映る私を連れて空想に逃避行する 

水無月の記憶は雨とガラスに映るモノクロの私 





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TITLE:水無月の記憶





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光と影の境界線 




やっぱり 
こっから先へ行かなきゃ駄目かなあ 

足下にしゃがみ込んでるキミが 
ボクを見上げながら面倒そうに言う 

ほら行くよ 
いつも無理矢理手を引っ張って行くのはボクで 
人生を懇々と説くのもボク 

自虐的に罵り駄々を捏ねるキミは 
時々辛辣な悪態をついて 
取り繕うのをボクに任せて知らん顔してる 

いっそのことキミを影の世界に押し込めて 
いっそのことボクは身軽になって光の世界へ行く? 

ごめんね 
そんな事できないの分かってる 
だからキミの気が済むのを待っててあげる 

ずーっとずーっと昔から 
頭のテッペンで誰かがボクらのシナリオ書いて 

ずーっとずーっとボクらこうして演じて… 
もうどれくらい歩いてきたのかな… 

いつまで経っても 
光と影の境界線を行ったり来たりしてる 




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TITLE:光と影の境界






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孤独(ひとり)好き




ひとりの時間が染み付いている 
ひとりの空間が染み付いている 
ひとりで過ごす事が染み付いている 

だからひとりになるとほっとする 

それが居心地いいっていうと 
あたしはいつも淋しい人扱いされて 
ひとりを好むと可哀相な人扱いされて 
此処がいいって言ってるのに 
強がらなくてもいいよと 
誰かが私の手を引っ張っていく 

あたたかいでしょう? 
愛が溢れているでしょう? 
これが人が望む幸せなのよ 

干渉してあげる 
構われることに感謝しなさい 
束縛してあげる 
大切にしたいのだから喜びなさい 

くれるものをいらないと言うあたしは悪い子? 
いらないのにありがとうって貰うあたしはいい子? 

逆らいもがけばもがくほど 
人の茨は絡みつき無数の棘が食い込むから 

あたし淋しいんだって言ってみせる 
独りぼっちはイヤだって言ってみせる 
孤独が辛い振りをしてみせる 

そうするとみんながヌクモリを誇示してほっとする 
あたしは苦しくて堪らないのに 
それには誰も気付きはしなくて








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TITLE:孤独(ひとり)を抱いて佇む






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僕らが巡りあったこと



見えない力で夢に集う 
万象を紡ぐ糸を辿って… 
それが不確かなものだとしても 
繋がった空の下で僕らは出会う 

一筋の光が導く先へ 
僕らをいざない引き寄せる波 
その時にその場所で出会うために 
それぞれの道が交わる交差点 

僕らが出会ったあの瞬間の座標から 
何十年の未来へ不安だらけで向かって行く 
時間と絡み合いながら織り上げる夢は 
きらきら輝いて僕らの礎になって行く 

透明な真実は未完成な僕を支えて 
誰かを守る美しい青銅の盾になる 
僕らが出会った事実は未来へ続く 
そうしてここに今の僕がいるんだ 

残酷な挫折に背中を押されても 
鎧の下の僕は精一杯しがみつく 
僕らが巡り会ったことは 
確かに僕である証だから 



すぐに挫けそうになる覚束ない足元 
時おり危うくて未来は揺らいだりするけど 
限りなく薄っぺらで儚そうに見えても 
手探りの両手は温もりと自信に気付いてる 

透明な真実は未完成な僕を支えて 
誰かを守る美しい青銅の盾になる 
相変わらずふらつく足をなにくそと 
精一杯踏ん張ってる今の僕がいる 

残酷な挫折に背中を押されても 
鎧の下の僕は精一杯しがみつく 
僕らが巡り会ったことは 
確かに僕である証だから 

僕が此処にいる証だから 





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TITL:出会う







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恋愛



恋愛はいままでずっと
次の成長に行くための課題のようなものだった
人間らしく生きるための
必要不可欠な体験にすぎなかった

例えば『会いたい』という気持ちを学ぶために
あの人をターゲットに据えた
『ずっとそばにいたい』という気持ちを学ぶために
別の人をターゲットに据えた
『キス』を知るために
それに見合った人をターゲットに据えた
次の段階を学ぶためにその都度
新しい恋愛と言う課題を自分に科していた

少しはときめいたし
愛しさも切なさもそれなりに知った
けれども恋愛で嫉妬をすることはなかった
(天性の才能を有する者への嫉妬は抱いたが
恋愛の嫉妬などその比ではない陳腐なものだったから)

頭で恋の図面を描いて恋をして
頭で愛の図面を描いて人を愛してきた
恋愛に伴う感情を自分で作り演じてきた
そうしてしか人を愛することができなかった
そんなのは愛じゃないと分かっていても
心で人を愛することができなかった

だから私の大切な人たちごめんなさい
私にはよくわからないのです
私の大切な人たちは私にとって
義務と責任の上ではあくまで他人以上の存在で
けれどそこに愛しているという感情が存在するのか…
私にはよくわからないのです

ただこれだけはわかって下さい
私の中の最上級の慈しみであることに偽りはない
それが私の愛という感情の代わりであることを
どうか理解して欲しい…(と言っても無理かもしれないけど)
だからこれからも愛が存在するように振る舞い
人並みの愛情表現をし続けるしかない

時にびっしりと愛情が詰った愛情過多の人に接すると
得体の知れない嫌悪感や不快感に焦げ付きそうになり
いつしか相手への憎悪に変わります
私は愛情の免疫不全なのかもしれません
今さらだからもう治らないのかもしれないし
もしかしたら治るのかもしれない
ただそれの重要性を残念なことに
今の私自身は少しも感じていない

ただ、ずうっと昔の子どもの頃
そう、本当に純粋だったずうっと昔の子どもの頃…
初恋は少しだけ人並みだったかもしれない
純粋な恋という感情に突き動かされた
人並みの恋だったかな…

そんなことを思い出した






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TITLE:幕間のシルエットのように








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