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此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。

   

変わらぬ朝陽のように…



鈍く活動する
私の脳の予想に反し

暖かく眩しい朝陽が

窓の隙間から差し込んだことが

とても嬉しかった



新しい一年が始まったことが

思った以上に嬉しかった


私を支えてくれたあなたと

まだ同じ時間を共有して

前へ進んで行きたいから


ありきたりなおめでとうも

こそばゆくて嬉しかった


A Happy New Year !


今年も私を見守ってください

変わらぬ朝陽のように…

私もあなたを見守っていくから




TITLE:変わらぬ温かな光

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海底から僅かだけ顔を出す巨岩


「もしもこの隠れ家が 、現実社会の私に係わり合いのある人に知れたら
雫は時々、ふとそんなことを思う。

そうなれば多分、雫に関わる人たちに迷惑を掛けることは間違いない。
その人たちの生活のリスクになったりするかも知れない。
例えば、身内に精神的に少し普通じゃない人がいるという負い目をその人達に与えると言う意味合いで。)
雫がこのようなメンタル面の変わった人だと知れれば、現実で雫接している人達がトバッチリを食らいかねない。
それほど現実社会の雫と、秘密基地の雫が抱えるギャップは生き辛さを生んでいるのだ。
現実社会の雫はそれほど普通の人だということでもあるのだ。

雫の人生の詳細を知っている人やプライベートを知ってる人は、出来はどうあれ雫が絵を描いたり詩を書くことくらいは、想像の範囲で察しているだろう。
ところが、今の生活に於いて地域生活や仕事関係だけで関わっている人はそうではない。
雫のことを、特に取り立てて特徴もなければ才もない、絵に描いたような平凡な一女性と思っているようだ。
見た目の派手さもなければ、性格的な害もないから余計にそうなのだろう。

仕事場ではみな我先に得意気に自分をアピールする。
人生で積み上げてきたものを密かに優越感を持って披露する。
しかし雫はそういうことをしない。
しないと言うか、雫にはできない。

そう言う話題で盛り上がる空気に分け入る事壊す事できないのだ
雫が大人しくいることでその場は円く治まっていて、もしも雫が「知ってる」とか「できる」とか言ったものなら、そこにいる誰かがその人生で積み上げた経験とプライドは壊れるに違いない。雫は簡単に人を傷付けかねない、そんな事態が生じる。
雫はそのことが恐くて言えないのだ。

こう言うと、雫が自意識過剰だとか人を見下げているとか思う人もいるだろう。
しかし決してそうではなく、『できる』に対する基準が雫と世間では違うことに起因している。
以前はそのことに気付かずに口を滑らせて、他者に無意味な屈辱を味あわせ人間関係を歪めたり、不信感を与えたりすることも多々あった。
雫はそのことを認識するようになったからこそ、必要以上に何も言えなくなってしまったのだった。

そんな雫の周りには、「この娘はまともに料理すらできないのではないか」と心配して、親身になって雫に人生を説いてくれる人さえいる。
抜きん出て聡明と思しき人でさえ、本当の雫には気付きはしない。
あまりにシャクなので、たまらずぽろっと口を滑らせたりしてみるのだけれど、雫の器用さや博識は何故か全く信じてもらえない。
「君でもそんなことを知っていたか」と一蹴される。

世間の人の目に映る雫はどれだけ無知で無能で平凡で苦労知らずで幸せ者なのか。
(雫は周囲からよくそういう風な意味合いの事を言われる。)
極端な言い方をすれば現実の雫は『幸せなバカさん』ということになっているのであろう。
それで迷惑をかけているわけではないし、年上が多いから寧ろ逆に可愛がられていたりする。
それは偽りの副産物ではあるが。

現実社会で雫が接している人たちよりブログ上での雫の情報に接している人たちの方が、明らかに素の雫そのものに接しているように思う。
こちらの雫は現実の雫とは全く違う。
ギャップがあり過ぎて、これがばれたら今の仕事場ではきっと雫に対しての見方が変わるであろう。
『いけ好かない鼻に付く女』扱いされるか、住む世界が違う変人扱いされるに違いない。

それくらい、雫の周りの人たちはとても普通の人たちなのだ。
この秘密基地を訪れる人達は、そんな人ばかりの環境或いは集合体があるのだろうかと疑問を抱くかもしれないが、世間一般の現実は意外にもそのような人間環境が多い。
だからこそ、素のままでその世界に生きられない雫にはこの場所が必要だった。
この場所があってよかったと雫はしみじみと思い、縮んだ心を広げている。

本来なら秘密基地の雫も堂々と胸を張って生きなければならないのに、受け入れられない現実世界。
矛盾しているようだが、最終的には雫が現実世界に生きる自分を受け入れるための、そして受け入れた雫が現実世界を生きていくための、此処は大切なリハビリ施設のような場所なのである。




TITLE:青の中に浮かぶ


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静かな衝撃

 

 

父はもう既にこの世に居ない。
母は、不謹慎かも知れないが、父が亡くなってから水を得た魚のように伸び伸びと生活している。
ある意味、自由奔放に良妻賢母を努める弟のお嫁さんを、寛大な気持ちで受け入れ
(つまり極力、非干渉無関心ということなんだけれど)、母は母のテリトリーを確保している。

これはつい先日の母との電話でのやり取りだ。
弟夫婦の子供(母にとって孫)のことで、その才能や特技の話になった。
弟の小さな下の娘は、踊りがとても大好きで、これがまた幼児と思えないほど上手らしかった。

母は言った。
「おばあちゃん(父方の母)の姉が踊りの先生だったけど、そういう血を引いているのかね。」と。
この場合の踊りの先生とは、当然民謡や日本舞踊などのジャンルだ。
弟の娘が上手いのは、多分今時のダンスなのだろうけれど。
でも、高校卒業後、故郷から離れて暮らす私が初めて耳にした身内の情報だった。

「へ~、そうなんだ。私も小さい時、よく民謡に合わせて踊ってたみたいだけど、
私の場合もそういうことなのかな。(血筋を引いているのかな)」
私にとってこの小さい頃の一場面は、照れながらも自分を遠慮なく表現して、
小さな才能を認めて貰えていたであろう、数少ないお気に入りの思い出だった。


酒宴の大人の煽てに乗せられて酒の肴にされていたとは言え、
子供ながらに私自身もまんざら嫌ではなかったし、逆にその酒宴の流れを待っていたように思う。
そんな事を少し気持ちよく思い出した。

そこへ母がぼそりと抑揚なく呟いた。
「そうだったっけ

いっぺんに大事にしていた小さなものが壊れた音がした。
(やっぱりこの人の記憶には、子供時代の本当の私は少しも見えていないんだ)と、
したくもない再認識をさせられた気がした。

もう壊れるものなんかないと自分の事を受け容れたつもりだったけれど、やっぱり悲しかった。
でも、同時に思った。
私の過去には私に興味を持ってくれる母は存在していなかったけれど、
今はごく普通に、あの冷血だった母が孫を可愛がるおばあちゃんとして存在していて、
孫達にはごく普通に可愛がってくれる普通のおばあちゃんがいるという、幸福の図がある。
これで良しとしなければいけないと。

多分母にとって、あの頃は
あの頃に存在した病気がちで母を煩わせてばかりだった私も、
それがもとで家族皆に咎められたであろう母親そして嫁としての自分も、
思い出したくない過去なのかもしれないと思った。

「そう、結局何かを期待した私が馬鹿だった。」
私は母の言葉は勿論の事だったが、心に俄かに立った波を、
慣れたようにそれ以上動じることなくさらりと鎮めてしまう自分が空しかった。


受話器を置いて、暫く抜け殻のように身動きできなかった。
身体の中を風が通り抜けて行くような感覚の後には空虚感だけが残った。
                       

(雫の日記)

 

 

 


TITLE:束の間の静穏

 

 


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『ACの特徴的な心理パターン』との照合リスト


前回、自分がACであることに気付かずに一生を終えれば幸いであるが、
自分が抱えている生き辛さが一般的でないと気付いた時、
そこから葛藤が始まると書きました。

以下はウィキペディアからの抜粋ですが、『ACの特徴的な心理パターン』というのが、
箇条書きでありましたので、ここにアップします。

YESが多いほどACである可能性が大きいということになるでしょう。
しかしながら、当て嵌まるか当て嵌まらないかが問題ではありません。
当て嵌まるからと言って落ち込む必要もありません。
少しでも肩の力を抜いて、今後のご自身の人生を少しでも楽に楽しく、
希望を見出す力の一助にして頂きたいと思います。

ACの特徴的な心理パターン』

1) 正しいと思われることにも疑いを持つ。
2) 物事を最後までやりぬくことが困難。
3) 本音を言えるような場面で嘘 をつく。習慣 的に嘘 をついてしまう。
4) 自分を情け容赦なく批判する。自己処罰癖、自罰傾向がある。
5) 自分のことを深刻に考え過ぎる。
6) 様々なことをリラックス して楽しむことや遊ぶことが出来ない。
7) 他人と親密な(心の通った)関係が持てない。
8) 環境 の変化に過剰反応する。
9) 常に他人から肯定され、受け入れられることを求めている。
10) 他人からの承認、賛同、称賛を必要とする。
11) 自分は他人とは違っていると感じている。
12) 過剰に責任を持ったり、逆に、過剰に無責任になったりする。
13) 従うことに価値 がない場面でも、従いがちである。
14) 衝動的で、ひとつのことに閉じこもる。
15) 衝動的であるためトラブルが多い。
16) 離人感 、自分が自分でなくなるような感覚。
17) 身体性が希薄。
18) 他人への依存。
19) 自立的な判断と思考の欠如・周囲の期待に合わせようとする。
20) 自分を殺して違う自分に成り代わり、期待されている自分を演技してしまう。
21) ストレートに「嫌です」が言えない。
22) 甘えと愛情、依存としがみつきの区別がつかない。
23) 妄想 を持つことがある
24) 喜怒哀楽の表現が不得手で感情 の波が激しい。
25) 無力感を訴え、心身症 に陥りやすい。
26) 自分の判断に自信が持てない。
27) 傷つきやすく、閉じこもりがち。
28) 孤独感、自己疎外感が強い。
29) 自分にはどうにも出来ないことに過剰反応してしまう。
30) 世話やきに熱中しやすい。

Wikipediaより)

 

 
TITLE:青空に希望を馳せる(2)

 

 

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『ACの特徴的な心理パターン』との照合

 

面倒な内容なので、画像だけでも爽やかにします。

これまでこのブログにお付き合い頂いた方は薄々感づいているかと思います。
『RETREAT(秘密基地)』に隠れている『月の雫』はアダルトチルドレンです。
声を押し殺し、開くことのない部屋に子ども期を閉じ込めることで生を未来へ繋げてきた、

アダルトチルドレンです。

成長していく過程で誰もが多かれ少なかれ何らかの問題を抱えているでしょう。
しかし本髄はそう大差なくとも、それに様々な条件や要因が複雑に絡まり、
その後生きる上で、振り払い切れないほど膨れ上がった重石を背負う者もいます。
子ども期を失ったが為にそれらの重石或いは枷(かせ)を外す力を身に付けられずに、
もがきながら大人になってしまう者もいるのです。

どちらにせよ生き辛く苦しい筈なのにその苦しさを正当化して、
それらをさも人の人生に不可欠な懺悔や試練という名の美徳であるかのように,
自分自身に科します。
しかしある時何かの切欠で、それは必要のない苦しみであることに気付くのです。
全ての根源が、正常に機能しない家庭環境によって生まれたトラウマであり、
子ども期を欠落したことに端を発していると気付いた時、そこから葛藤が始まります。

ウィキペディアからの抜粋ですが、『ACの特徴的な心理パターン』というのがあったので、
次回ここにアップします。




TITLE:青空に希望を馳せる(1)

 

 

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呪縛の糸に繋がれたまま、どこまで漂っていくのか…

 

 

久しぶりに電話で母と話した。

この時季、私は、父が亡くなってからずっと、父の好物だったある果物を実家に送っている。

表向きは亡くなった父を偲ぶ娘が、遠く離れて墓参りすら儘成らないせめてもの供養の為に行なっているかのように見えるかもしれない。

けれど、正直なところ、私の中にそんなものはない。

父の生前、私が少女期から長年抱き押し込めてきた父への反発心。

大人になった今、やっと真っ向から向き合う覚悟が出来て挑もうとした時に、身をかわすようにあの世へ行ってしまった父に対して、ターゲットが消滅してしまった後の虚無感を受け容れられず、止むを得ず繋がっているだけの行き場のない気持ちに過ぎない。

私は大嫌いだった父の亡霊のような呪縛に囚われたままなのだと思う。

最近は、私が口を噤むことで私以外の幸福が存在しているなら、私の一生はそれに添うように存在してもいいと思うようになっている。

世の中の人はこれを成長と言うのか、ただの無気力と言うのかは分からないが、気力も体力もピークを越えたのは確かだ。

そんな私と相反して、受話器の向こうの母はやたらと人間じみていて、妙に素直に喜怒哀楽を表に現している。

そこには私を育てた、仮面のように冷たく表情の乏しかったクールな彼女はいない。

あの頃から母は様々な事に器用な人ではあったけれど、世渡りも生き方にも器用なんだと知った。

今の母は連れ合いが死んでから、水を得た魚のように生き生きと自分の人生を満喫している。

どうせなら、その器用さを叩き込んで欲しかった。

今更だけど、私は器用そうに見える蓑を纏い自分もそう錯覚していた、実は酷く不器用な人間なんだと気付いた。

独裁的指導者の消えたその後の日々、まるで若い娘のように身体に染み付いた農作業を無邪気に楽しむ母に接するたび、私の人生って何だったんだろうと思う。

父や母が良い人生を歩む為の道具か、それは言い過ぎとしても、彼らの人生の課題の一つにあてがわれただけなんだろうかという気がしてくる。

彼や彼女のこの世での修行の為に組み込まれた単なる課題として、私(の人生)はこの世に落とされたのか?

「あなたは彼らの人生を支え、助けたんだよ。」とでも思えというのか?

もしも私が捻くれてたら、私がこんなに荒んだのはあいつらのせいだと、きっとこんな解釈は逆恨みに転じかねないのだろうが、幸い気力と言うものが失せている今、何かもう、「好きに使ってくれ」といった心境でもある。

劣化して萎んでいくだけのフワフワ漂っている風船の心境とでも言うか。

何もない、虚無という時間の流れにプカプカ漂っている心境だ。
いつまで続くのかな……
何処までも細く伸びていく呪縛の糸……




 


 

TITLE:呪縛の糸に繋がれたまま漂う


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親は無くとも子は育つ

反吐(へど)が出るほど大嫌いな言葉だ。

子育てに対する至らなさ、ある意味、親としての無責任を正当化した言葉。
働く事と生きる事を美化し(尊いことではあるが)
子供のパーソナリティーを蔑ろにしたにも関わらず、
それを言い訳にして自分が子供に行ってきた愛情の放棄行動を正当化する言葉。

これほど子供に対して、親として無責任な言葉はないと思う。

こういう会話がなされている場に否応なしに居させられる時、
込み上げてくる反論したい怒りを呑み込む苦しさと、
それを抑えつけて作り笑いをする自分への嫌悪と憤り、
そんな親の前で一生懸命いい子でいる子供の、
言葉にできない心の叫びを察しているかもしれない私、
生き易い自分に近付くほど、世の中の鈍感人間達にいつ爆発するか、
最近突然現れる、周りを敵に回す自分の〈素直〉という感情の暴走が、怖いです。

天使の顔をした真実や正義は、実は世の中を生きるには〈悪〉なのではないのか?
周りに合わせて生きる〈悪〉の方が、世の中を生きるにはずっと生き易いのではないのか?
 
ならば私がパーソナリティー(自我同一性)を獲得することは危険な事なのではないのか?

生まれてから人間としての環境が固定し過ぎた今、
そういう私によって悪影響を与えられる周囲が確実に存在する今、
私は私らしくなってはいけない、最早手遅れかもしれない、
私はそんな結論に辿り着こうとしています。
 
 

 
 
TITLE:鉄格子の部屋から裏の月と表の萩を見る

 

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ありがとうが言えない(3)


こんな風だから、自分が当たり前だと思ってやっていることや、
助けなしでもなんとかやれる事を、
褒められても手助けされても嬉しくないんだと思う。
 


私の祖母が、何でも褒める人だった。

でも祖母はこれと言って特別な知識も教養も才能もない、
祖母の時代なら致し方ないことではあるが、
本当に何にも知らない人だった。

そんな祖母に、できて当たり前のことを褒めちぎられても、
私はちっとも嬉しくなかった。

褒められれば褒められるほど、
分が出来損ないだと蔑み皮肉られているようで、
ただただ惨めな気持ちになったのを憶えている。

人の好意を心から素直に受け容れることは、
私にとってとても難しい課題だ。


だが、子どもの頃から本音を文字に綴ってきたせいか、
文章での気持ちのやり取りは素直に受け容れてしまうところがある。

これは文面だけで人を判断しかねないということで、
ともすると本当は下心と悪意に満ちた人間を、
善人と勘違いしかねないということでもある。

やさしい言葉を並べ本性を偽装した文章に惑わされ、
されないようにしなければと思う。


そういえば、人に何かをして貰ってもあまり嬉しくないのは何故か、とか、
何かをして貰っても心から感謝の気持ちが浮かばないのは何故か、とか、
そんなことを考えてふと気付いたこと。

私は何かをする時、本当は一人じゃなくて、
誰かと一緒にやりたいんだと、思った。

子どもの頃の炊事や膨大な量の食器の後片付けも、
母と一緒にやっている時は決して嫌じゃなかったし、
農作業や家畜の世話も誰かと一緒にやっている時は、
決して嫌じゃなかった。
寧ろとっても、とっても楽しかったな…。

そんなことを思い出した。 


お終い

TITLE:さりげなく…在る

 


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ありがとうが言えない(2)

 

 

こんなに大人になってしまってから、

最近はやっと人の助けを受け容れる事が出来るようになったが、
根本にある気持ちは全くかわっていない。

 

私の嫌なところは、自分がそうだからだと思うが、
相手が何かをする時に困っていても、
手を差し伸べてあげることができないというところだ。

私が出来ることに関しては、
「こんな私でもできたんだから、自分で何とかしなさいよ」
冷たいかもしれないがそんな風に思ってしまう。
酷い時は「あなたも困ればいいんだ」と思ってしまう。

でも、私には到底出来そうもないことで、
相手が処理や対処に苦戦している時はどういうわけか、
躊躇なく手を差し伸べる事ができる。
そこにはおそらく羨望と尊敬が生まれているように思う。

ただ、今、私が常識だと思ってやれていることは、
意外にも世の中では結構難しいことだったりする。

私が、育った環境でこんなことも出来ないのかと
『どん臭さ』のレッテルを貼られてきたことが、だ。

しかし、出来るから得したと言うことはあまり無く、
相手に劣等感を与えるばかりで、
相手を嫌な気分にさせて毛嫌いされることが多かった。

だから出来ない振りをして、相手をバカみたいにおだてて、
ひたすら目立たないように生きてきた。

こんな風だから、自分が当たり前だと思ってやっていることや、
助けなしでもなんとかやれる事を、
褒められても手助けされても嬉しくないんだと思う。
 

続く…

TITLE:さりげなく…在る

 

 


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ありがとうが言えない(1)

 

 

人に何かをして貰ってもあまり嬉しくないのは何故なんだろう
何かをして貰っても心から感謝の気持ちが浮かばないのは何故だろう

ずーっと前から、人に何かを手助けしてもらう度、

顔は微笑み口ではありがとうと言いながら、
いつも、心の底から感謝できない私がいる。
ありがとうと言うことに抵抗を感じている私がいる。

大体のことは、私が自分から手助けを求めたわけではなく、

相手本位の善意が多いからかもしれない。

どもの頃から、自分ひとりで物事をもこなす癖がついていて、
キツイと感じながらもそうすることが当たり前の環境で育ち、
どんな場合も自分から他人に助けを求めることは、まずなかった。
どんなに辛くても苦しくても、

「お願いです。助けて下さい。」と人にすがることは、
私の中では屈辱だったように思う。

だから、大抵の場合に於いて助けは無用で、

苦しい状況でも放っておかれた方が、私自身は楽だった。
出来ない時は自分の無能を目の当たりにすることが出来るわけだし。

手助けがされると、自分の不出来を指摘されているようで、

ただ屈辱に突き落とされるのだ。
だから、「ありがとう」と口にすることに対して、

感謝どころか悔しさばかりが膨れ上がった。

こんなに大人になってしまってから、

最近はやっと人の助けを受け容れる事が出来るようになったが、
根本にある気持ちは全くかわっていない。
 

 

続く…

TITLE:さりげなく…在る

 


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成分と構成物質(月の雫の覚書)



これは月の雫の覚書です。
人間という生き物は一言では言い切れない複雑な性格や感情を持っています。

それは遺伝的に持って生まれたものもあれば、幼い頃の環境や教育によって組み込まれるものもあり、

そういうものが人間性を構築してしまう場合も多いと思います。


ここに『月の雫』の人間としての資質を分析したものを記します。
このようにご自身を分析してみると、見えなかった部分や隠れていた部分、
そこから新しい自分が見えるかもしれません。

それが前向きであることを祈ります。

私と言う人間を構成しているもの。
私の成分。                                        

【祖父から学んだ事】
開拓精神、発掘力、斬新な発想、独創性、創造、探究心、
緻密な計画性、勇気、決断力、独立独歩、
非依存、自立、質素、倹約、謙虚、寛容、寛大、
理解力、聴く耳、受容性、包容力、責任感

【祖父から植えつけられた物】
正義感、無欲、忍耐と我慢、非宗教心、頑固

【父から学んだ事】
発想力正当なことは見当たらないが、敢えて挙げるなら、祖父から引き継いでいる発想力くらい
闘争心(人を蹴落としてでもという思想)しかし幸いというか、学んでも身に付いてはいない。

不当なことではあるが、策略、巧妙性。
父曰く、「世の中、正直者が馬鹿をみる、ずる賢く要領よく立ち回れ。」
常々そう言っていた父も、悪人でなかったのが救いか
しかし、学んでしまった私(大嫌いな私)は、時々こういう行動をとる。

【父から植えつけられた物】
・自己満足なプライド
    そのことから私自身が見出した結論自己満足なプライドは人を孤立させる。
    そこからの生産性は低い。無いに等しいかもしれない。

・物事の強要
    そのことから私自身が見出した結論物事の強要は人を萎縮する。
    強要されることにより信頼が崩れれば不審が募る。望む物(欲しい物)は遠退いて行く。
    
・劣等感 
    私の魂は劣等感に侵食されている。

・虚勢(見栄)
    いつも自分の周りの才能あるものに脅え、自分の誇りが消滅することを懼れている。
    自分の中に確実なもの(自信)がないことの不安。
    ・そのためのずる賢さ
    ・超依存性

・忍耐と我慢

・頑固、独断的思考、批判的思考、偏見、拝金的物欲、非計画的突発行動       

【母から学んだ事】
長いものには巻かれろ。
事を荒立てても何の得にもならない。
見て見ぬ振り。
ポーカーフェイス
客観視

【母から植えつけられた物】
非情、冷淡

【学ばなければいけないのに学ばなかったもの】
奉仕、リーダーシップ、積極性、貢献、向上心、慈悲、思いやり、家庭性(母性)、親切心
自己犠牲、人を信頼する気持ち

【自分自身で身に付けたもの】
柔軟性、孤独

【身に付いてしまったもの】
優柔不断、意志薄弱 幼稚性、中立、受動性、危険危機回避、自分自身の偽装、自制心
虚偽の人格による自己防衛、自己拘束
臆病、消極性、猜疑心、怠惰心、軽率、
支配性、傲慢、我欲


【祖父から学んだ事】と【父から学んだ事】に共通している事は発想力、
そして【両方から植えつけられたもの】は忍耐と我慢だ。
一番人間らしくあるために学ばなければいけない、自己犠牲や奉仕や思いやり等、
心の在り方に影響する大事なものが尽く欠落している。

祖父や父母から学んだものは対極にあるようなものばかり。
なのに全てにおいてその結果、私が身に付けてしまったものは中立であり、
つまりどちらにも寄れず双方を共有しながらの、無の立場であるように思う。

×、白と黒とグレー、正義と悪と中立、その三様の自分が同居している。
三様の行動や思考があるなら、どんな物事も乗り切れそうに思われるかもしれないが、
結果的には私自身は、真の私の不在に戸惑い、混乱するばかりである。
相反するものとウヤムヤにしようとするものが私の中に混在して、その居場所を共有している。

時々感じる自分に対する不自然さや違和感は、そのせいなんだろうか。
こうして見ると、中身はぐちゃぐちゃだ。
ここまで共存してきたら仕方ないかなとは思う。
最早、生きることにしがみ付こうとは思わないが、せっかく貰った命なら
(欲しいと言った憶えもないのだけれど)、最後まで見てみようか
こんなつくりの自分の人生とやらを。



TITLE:私の成分と構成物質


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偶然に意味はあるか(3)

彼女が口でそう言った訳ではないが、雫が見てきた10年間の彼女の人間性や性格に照らし合わせた時、雫は彼女の曇った表情をそう受け止めずにはいられなかった。

感性の違う者同士が同じ環境で時間を共有するという事は、我慢出来る範囲の短い時間ならそれは日々、何らかの気分転換でやり過ごすことができるであろう。
しかし長い時間となるとそうもいかない。
それはそれぞれの水質の違う水で育った魚を一つの水槽に入れるようなもので、中には逞しく適応して生き延びるものもいるかもしれないが、大抵は時間の経過と共に弱り、最悪死んでいく。
合わない水の中で生きること、その中で受けるダメージは想像以上に大きいのだ。
ましてその水槽に入れられたもの同士が合わなければ尚更ダメージは大きい。
そのダメージは、より水に適応性のない方に作用し生気を奪っていく。


人間も同じに思えた。
人間もその環境(水)によって、あまりにその水が合わなければ、どんなに必死に小さな生きる糧を探し縋り付こうが、生き延びようともがき足掻こうが、力尽きてしまうことがあるんじゃないだろうか。
合わない水の中で、自分を奮起させようとすればするほど力を消耗し沈んでいく。
雫が何とか自分の水を生き延びようと、縋りついた小さな『偶然』と言う藻は、当に藻屑となり、何の意味も力も持たなかったのだ。


今雫は、最近水槽に投入された元気な(その水に適応性を持った)魚と、その魚によって適応力を呼び覚まされた魚(信頼関係がほつれつつある経営者)とによって、水槽の外へ追い出されようとしている。
合わない水の中をどんなに必死に泳いだとしても、現実はいとも簡単に費やしてきた全てから、努力や一生懸命という価値を消し去るのだ。
そこには偶然など意味も必要もない。
そして本当に必要なのは、その人間が伸び伸びと喜びをもって、生き生きと時間を重ねられる人生、つまりはその魚に相応しい水なのだ。


魚なら、その水が合わなければすぐに合う水を準備し、新しい水槽に移せばよい。
手遅れでなければ息を吹き返すだろう。
しかし人間は、最初の水槽の水が合わないからと言って、新しい水槽に出会うことなど滅多にない。
最初から最後まで会わない水の中で瀕死の苦しみに縛られ一生を終える者は五万といる。
雫もそうして人生を終える一人となるのか。


このことを、雫の思い過ごしと受けとるも、被害妄想と受け取るも、それはこの四角い画面のそちらにいるあなたの自由ではあるけれど。

(お終い)



TITLE:一期一会の光

 

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偶然に意味はあるか(2)

彼女は人の情にとても冷めていて、割り切りがよかった。
つまり人間への対応が非情に事務的なのだった。
そしてプライベートでは徹底して、外部とは必要以上の接触をしなかった。


そんな彼女がこの仕事をしていること、同様にこの仕事に向いているとは思えない雫がこの仕事をしていること、更に珍しい姓の一致という偶然は、その間に何か運命的なものでもなければ成り立たないようにさえ思えた。
だからこそ雫は、10
年以上もこの仕事を続けていられるのだろう。
雫は彼女の、人に媚びない仕事上のスタンスと揺るぎないポリシーに惹かれていたように思う。
なぜならこの職は寧ろそういうものは必要なく、というより邪魔と言ってもよいもので、この逆のスタンスでこなさなければ長続きしないといっても過言ではないのだ。
この仕事に携わる殆どの女性は、当然のことながら彼女と真逆だった。
それほどこの経営者はこの職種に於いては人間的には不向きな浮いた存在だった。


今日初めて雫は、彼女と自分の出会いの不思議を、彼女と向かい合って、それとない話の流れで話題にした。(勿論彼女がこの仕事に向いてないなどとは言えないが。)
普段は世間話ばかりで、プライバシーに関わる話は殆どしたことがなかった。
初めてしたプライベートな会話は、しみじみと雫の心に沁みていた。
ただそれだけのことではあったが、雫にとっては運命の不思議で、どこか嬉しいプレゼントにも似た喜びが心に芽生えていたのだった。


しかし、喜ぶ雫を余所目に彼女は違っていた。
その表情は明らかに迷惑そうに曇り、表面的にでも雫との繋がりを喜ぶ嬉しそうな様子は微塵もなく、重く暗かった。
それは片思いのショックのように、雫の彼女への信頼心に、不信感という小さいながら深い傷をつけた。
雫と繋がったほんの小さな共通点は彼女にとっては受け入れ難い汚点で、潜在意識に宿る彼女ですら気付いていないプライドを傷付けたのか…

もしそうであれば、彼女にとっては雫は自分と比較して欲しくない存在で、彼女は雫を見下しているとも思えてしまう。
彼女が口でそう言った訳ではないが、雫が見てきた
10年間の彼女の人間性や性格に照らし合わせた時、雫は彼女の曇った表情をそう受け止めずにはいられなかった。


(続く…)



TITLE:一期一会の光

 

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偶然に意味はあるか(1)


雫が今の仕事に就いて、彼是10数年経つが、彼女はつい最近知ったことがある。
長い10年もの間、四六時中顔を突き合わせていた経営者(女の旧姓が、そうそうありえない雫の母の苗字と同じだということだった。
それも本人の口から聞いたわけでなく、たまたまその経営者不在の場で、たまたま居合わせた経営者の知人からという経路でだった。
勿論その知人と雫は出身地も育った場所も職種も違う。
経営者(彼女)とは、可能な限り遡って先祖を辿っても、全く親戚関係はない。
雫にとっては人生でベスト3に入れてもよいくらい、不思議な偶然に思えた。


今のこの仕事は、上下関係を超えたところで腐れ縁的に携わることになった仕事で、有る意味それは見えない赤い糸かもなどとロマンティックな妄想さえ巡らした。
雫の中では、彼女(経営者)と自分の間にこのような特別な繋がりを見出したことは、信頼関係を深めるに十分な要素を含んでいた。
第三者からすれば、そこまでミステリーなことかと一笑に付されるかもしれないが、18歳で見ず知らずの土地で頼るものもなく生活を始めた雫にとっては、大きな支えとなる糸を見出したに等しいのである。


さらにそのような運命的なものを感じた理由は、その経営者(彼女)が性格的にこの仕事に向いているとは到底思えないからだった。
喜怒哀楽の表現が豊かでそういうものに対する反応も激しく、人間臭くなければできないような職なのに、彼女は人の情にとても冷めていて、割り切りがよかった。
つまり人間への対応が非情に事務的なのだった。
そしてプライベートでは徹底して、外部とは必要以上の接触をしなかった。


(続く…)



TITLE:一期一会の光

 

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生まれ変わった私


あなたのおかげで
私は生まれ変わりました。

あなたに私のすべてを受け取ってもらって、
旧暦の誕生日に、私が浄化された気がしたんです。
すごく気持ちが軽くなりました。

今まで、じぶんの人生、誰かにやってもいいと思っていた。
何なら、自分の身体のパーツも内臓も、
欲しい人がいるならやってもいいと思っていた。
今までは自分の必要性や存在価値が分からなくて。

私が持っている能力や才能、それに没頭することは、
実は社会の中で生きていくためには全く不要なことだし、
生きていくには寧ろ迷惑で邪魔でさえある。
特に一緒に人生を共に歩んでいく伴侶にとっては。

私は未だにずっと思ってる。
彼にはもっと、似合いの女性がいるはず、って。
アーティストでもクリエーターでもなく、
女性的で家庭的で典型的なサラリーマンの奥さん。
実際、彼と結婚したがってる女性は結構いる。
彼はなんで私と結婚したがるんだろう?って思った。
多分、彼の知らない世界にいる私に興味を持って、
私を独占したいだけなのかなあと思うし。(笑)

子供が出来たらなおさら、
別の世界の私も私の持つそれらの才も能も必要なくて、
必要なのは甲斐甲斐しい「主婦&母親&妻」。
私はそれに徹していく覚悟で、
私の私たる部分(特に音楽に関わる部分)に封印するのだろう。

それからの日々は…、
突然私が居なくなっても誰かが私の代わりをやるような、
それくらいの人生。
私が何かの弾みで死んじゃっても、
数ヶ月後には奇麗な2番目の奥さんがやってきて、
愛情いっぱいに旦那の世話をしていると思う。

私の育てる子供はきっと人ウケがよく、ものわかりがいいから、
後からきた新しいお母さんにも馴染むだろう。
何の問題もない。
子供はそのうち自立するし。
私は現実を受け入れて、ただ平凡に過ごしていく覚悟をして…。

でもネットを知り、ブログに出あってからは、
この場に及んで、ちょっと悪あがきしてる。

だからあなたによって救われた今が信じられない。
また音楽作ったり、本気で色んなことを考えてる自分がいる。
本来の私がいる。(本来の私を必要としてくれている人がいる)
それは夢のよう。
それを信じたら、また奈落に突き落とされるようで、
拭いきれない恐れがいつまでもあるけれど。
 
でも初めて自分で自分を抱き締めていたいと思ったよ。
私自身を必要としてくれる、必要とされている実感がある。
『私』が、居ていいんだと思った。
私がここに居ることを愛おしいと思った。

理解できないかもしれないけど、
私はあなたに救われたと思う。





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TITLE:暖かな夜明けの光


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いつも『RETREAT~星屑と月の雫』に訪れて下さりありがとうございます。

日記的なものがなく、淡々と物語が更新されるばかりなので、表面上は伝わらないかもしれませんが、日々とても励みになり感謝しています。

来て下さる方はご承知のように、此処は大変暗くひっそりとした、決して心地いいとは言えない多くのものを置いてある場所です。
汚物で膨れ上がった『雫』が全ての汚物を掻き出し、その身を浄化され、やがて消滅する為の場所なのです。
吐き出したものを目を逸らさずに見据え、証拠としてその事実を受け入れ、確実に葬る為の場所なのです。

訪れて下さる皆様はおそらく、物語として割り切ってお付合い頂いているものと勝手に解釈しています。
寧ろそのようにお付合い頂く事を望みます。

あまり頻繁に更新できませんが、これからもどうぞそのような気持ちで、あまり深刻に受け止めずにお付合い頂けると嬉しいです。

いつ終わるとも分からない物語ですが、今日は是非感謝の言葉を記したく、この記事を挟む事にしました。
どうぞ今後もゆるりとお付合い頂ければ幸いです。





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TITLE:雨に咲く





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雫の本質とは?



ネット社会に暮らす雫は、そこで様々な情報を得て、AC(アダルトチルドレン)の項目に一番、自分との多くの共通点を見出した。
あくまで一番共通点が多いというだけで、違う部分も勿論多くあった。

基本的に大きく違うのは、実生活の中で雫は、感情が高ぶってヒステリックになったり、破壊的になったり、暴力的になったりすることはないという点だった。
そういう衝動に駆られたりすることはあるがあくまでそれは衝動に過ぎなかった。

何故衝動だけで止まるのか?
それは、衝動を爆発させたら、その時の雫は負の高ぶりを発散してすっきりするかも知れないが、必ずその後の始末や自業自得の情けない姿や、とばっちりを食らって損をしている迷惑そうな未来の自分が容易に想像できてしまうからだった。
しっかりと人間として生きていくための損得を冷静に計算し、自分をそれに従わせているのであろう。
現在の雫は未来の雫に操られているとも言える。

心の病と括られる中に、AC以外との共通点はないのか、雫は別の符合点も調べてみた。
パニック障害ではない。OD(オーバードーズ - overdose.薬物過剰摂取)でもない。
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder心的外傷後ストレス障害)でもない。
解離性同一性障害でもない。
性同一性障害の傾向があるかとも思ったが、男女どちらにも強い性的愛情は持てないので、それとは違うと思われ、それも問題とするほどでもない。

雫を一般的に言われる心の病とするなら、そこには明らかに矛盾することがある。どの心の病もそうだけれど、基本的にはどの人も、人を心から愛し愛されたいと願い、そうなれる自分を欲している。
そうなることを目指している。
しかし雫は違う。

大抵の人間が、目指す人間像を無意識に目標として抱いているように、雫にもいつか死ぬまで生を続けていくための目標は必要だとは思う。
ただ、これまでの流れを考えると、それを支えるものは愛情ではない。
雫に必要な目標とは愛ではなく、理想として掲げておけるに値する揺るがない信頼と尊敬。しかしながら、言葉にするは簡単で、実際は生身の人間にあまり期待しておらず、それすらも単に生きるための目的として無理矢理設定しているような気さえしてくる。

こういう意識しかないのは、雫が何か普通と違う欠損部分があるからなのか?
それとも、人間として未熟なだけなのか?

今まで何とか雫は、人間でいることを喜び楽しみ、その生業を受け入れ、人間であることに執着しようとしてきた。
でも最近、何故そうしなければいけないのかとか、そう思えない自分は変なのかとか、どんどん執着意欲がなくなっている。

人間でいなければいけない以上、人と大きく違うその意識の根底にある原因が知りたい。
そうしなければ最後まで、演じる事を苦痛として抱いたまま一生を終えかねない。
感情の希薄な雫でもそれがいいこととは思えない限り、せめてその答えは見つけたい。
雫はそんな思いで秘密基地に身を置き、自らを救う方法を模索し続けている。

同じような人がいればもっと情報や成果が得られるだろうが、なかなか一筋縄ではいかない。
答えに辿り着けるのはいつなのだろうか。
辿り着ける日があるのだろうか。





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TITLE:本質は何処




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共生(2)



雫は泣くことに対して、強い敗北の念を持っていた。
子どもの頃から滅多なことでは泣かない子だった。
しかしこの作業に取り掛かってからは、過去の出来事を思い出す度に(封印したものを掘り起こす度に)、
胸が苦しくなり、涙が否応無しに込み上げてその頬を伝った。
涙が零れたからと言って、声を出して泣くことが出来た分けではない。
そこには思い切り泣くことは出来ない雫が相変わらず存在していたが、
その涙が流れるという自分自身の感情に驚く雫が存在し、
またそんな自分が雫にはとても新鮮だった。

ふと気付くといつしかそこには、
あの機能不全家族が営む歪んだ時間の中に放り込まれた子どもの自分を、
まるで母親のように慰める雫がいた。
子どもらしさを奪われ失い、暗闇の中で小さく蹲っていた子どもの自分を、
そっと抱きしめるような感情と眼差しで包み、彼女の生きた時間と彼女自身を慰める雫がいた。

一番近くにいるにも拘わらず、本来一番自分自身を認めて欲しかった人には、
褒められる事も認められることなく過ごし、女である価値さえ否定された子供の頃の自分を、
「よく頑張ったね」と、今の大人になった自分が代わりに褒めてあげたのだった。
それは『過去の幼い自分の存在を認める』というプロセスだった。

吐き出すことの出来ないトラウマはまだまだ雫の中に燻っている。
雫は全てを処理しきった分けではない。
だが、雫はそれを抱えていることが以前ほど苦痛ではなくなっていた。
焦らずに向かい合うことが出来、今は共存と言う方法で折り合いをつけている状態に思える。

雫はそれらをいつか全て吐き出すことができるのかもしれない。
もしかしたら今後様々な人生模様に染まるうちに、
吐き出すことはそれほど重要ではなくなるかもしれない。
ただ、焦らずに付き合っていける、穏やかな気持ちで向かい合っていける、
そんな心境になったことは確かだった。

最近、些細な細波のような心動とも言うべき揺れを、
詩や絵で綴ることでやり過ごすことが出来ているのは、
雫がそういう状況にあるからだと思う。






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TITLE:共生




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共生(1)



深層で燻る得体の知れないモノ、その存在が有なのか無なのかも分からず、
雫は自身の中で同化し溜まったそのモノに蓋をして生きてきた。
苦しさや辛さに直面すれば、それは甘えで取るに足らない小さなことなのだと自分を騙し、
非とされる悪い感情に囚われる度、自分の弱さ故と自己嫌悪に陥り、
自分の存在を肯定することが出来ずに生きてきた。
雫はねっとりと纏わり付くような生き辛さと共生していた。

ある時、自分が機能不全家庭で育ったACと言う状態なのだということを知った。
同じACの悩みと向かい合っている四角い画面の向うのネット世界の人々の情報から、
過去を書き出すと言う方法でこの苦しみから逃れられる可能性があることを知った。
これまで雫を苦しめ続けている得体の知れないそれらの正体を暴き出し処理することで、
原因の分からない生き辛さから脱出できるかも知れないと知った。
希望を見出したのだった。
雫は自分自身の生き辛さに潜む魔物に挑むべく戦いの場所として、ここに秘密基地を作った。

そうは言うものの初めは意気込みも表面的で自身もそれほど深刻にのめり込む事はなく、
その安易な気持ちの根拠は成果に対する猜疑心であったろう。
そんな疑心暗鬼の状態で、雫は手始めに記憶の掘り起こしに取り掛かった。

雫の記憶は何故か虫食いのように、と言うより、殆ど虫に食われてしまった葉のように、
葉脈すら消滅した葉のように欠落していた。
その欠落した幼少期や少女期の過去の記憶を掘り起こす作業に、
雫は僅かずつ空いた時間を費やし向かい合った。
日を重ね作業を重ねていくうちに、何かに取り憑かれたように可能な限りの時間を費やすようになっていた。
書き出すにつれ、忘却の記憶は網に引っ掛かった獲物のように次から次とその姿を現した。
忘却というより、それらは封印していたもの…。

それらは恰も涙というものに姿を変えて、目という網目から、
暗闇から開放してくれと言わんばかりに、這い出してくるかのようだった。



…(2)に続きます。




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TITLE:共生




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錆(さび)



四六時中背筋をぴんとしていると
時々猫背になりたくなってね

ふうっと空気の抜けた風船みたいに
萎んでる方が楽だったりするんだ
良くないな…と思うんだけどね

背中をピンと伸ばしているのがツライ
セスジを伸ばして生きるようには
できてないのかな

小さく丸まる癖がついてる身体と心は
伸ばそうとすると
あちこちが軋んでぎぃぎぃ言うんだ

まるでリハビリ…

錆付いて
いつかポンコツになって

錆を削り落としているうちに
私がなくなって…


やがて…


無…






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TITLE:錆





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願い





神様どうか

生きたいと願う人から

命を奪わないで下さい







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TITLE:
通り過ぎた時間と残されたもの





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ACの認識


メンタルクリニックへカウンセリングに通っているある方のブログに、
ACに関するある著書による診断テキストとその方の回答が記されていた。
結果、その方と私自身の回答が9割強一致していた。

あえて違う所と言ったら、その方の母親は病的に過干渉だが、
私の母は感情がいたって希薄で冷淡で人に関わらない、と言ったところだろうか。
私が物事の相談や判断を仰いでも「お父さんに聞きなさい」が常だった。
彼女は『傲慢な夫には逆らわない堅実』を知ってか、自分の意見を言った事がない。
仕方なく父に振ったところで、結局私の殆どの主張は受け容れられることはなく、
逆説的な父の意見に強制的に従わされ、要求や要望は却下された。

私とその方はテキストの回答はほぼ一緒なのに、育った環境は似て非なるものなのだ。
その方(Hさんとする)は、テキストにその環境の事例として、病気の時の事を挙げていた。
Hさんは、病気の時、ヒステリックなほど過干渉な母親に、
四六時中ののしられ非難されわめかれ、干渉されるのだという。
日常がそうらしいのだが、「病気の時くらい放って置いて欲しい」と、
母親の病的束縛に縛られた苦しみを嘆いていた。
私はと言うと、熱を出して寝込んでも、母を含め農作業に負われる家人達には放っておかれ、
田舎の人気のない大きな屋敷の中にポツンと寝かされていた。
いつも放っておかれた気がするが(放任とは違う)構って欲しい時も構って貰えなかった。
いつのまにか仕切られた空間に人と関わらずに一人でいることが、当たり前になった。
孤独慣れだ。慣れてしまって、そちらの方が居心地が良くなった。

病気の時と被るが、アトピー或いは喘息の対応でも、Hさんと私は真逆の対応を受けている。
不可思議な親に翻弄されて…。

「褒められる」と言うことについては、人事と思えないほどよく似ている。
頑張って良い結果を出せば出すほど否定され、逆に茶化されたり非難されたり、
更に高みを要求され、何よりも「褒められた事がない」と言う状況は同じだ。

ACの(疑いのある)人は、幼少期などにアトピーや喘息を患っている人が多く、
物事に飽きっぽいこと、常に『~しなければならない。~であるべきだ。』という、
義務的な観念を抱いていることも特徴だそうだ。
これを知った時に「ACの自分」を認識した。

それと、こうしてこの類の色々な方のブログを読むにつれ気付いた事がある。
大抵の方が、何らかの芸術的センスや才能と感性を持つがために、
世の中を生きる上で、物事を必要以上に客観視できてしまったり、
他人や自分の心の細密な分析を無意識にしてしまうのではないのだろうかということ。
そういう思考により次から次と話題が変わっていったり、内容が散漫だったりするようだ。

それと他にも思い出した。(この流れが散漫なACの特徴か?)
関係あるかどうかは分からないが、世の中電話依存症が多い中、
私は異常なほど電話恐怖症だ。
漠然と電話が苦手なんだと、自分自身あまり深刻に捕らえていなかった時、
電話業務に就いて、ノイローゼになった。
毎晩電話が鳴り響く夢に魘され、直に聞える電話の音だけならまだしも、
遠くの他家の電話音や似通った音にまで、過敏に反応し恐怖を覚えびくびくしていた。
頭の中で常に電話がなっているような強迫観念に縛られていた。
あれから電話業務が出来なくなり、今も電話にはなかなか出られない。
原因が何なのか未だによく分からない。

携帯電話のメールはまだ大丈夫だが、往復3回位の返信で終わらせたくて、強制終了する。
でもHさんと自分の性質がとても似てて、読みながら随分共感させられるところが多くて驚いている。

今までは、自分だけが異質だと諦めていたけれど、
同じような人がいると分かっただけでほっとすると知った。

ただ、ほっとして受け容れていけばいくほど、離れて保っていた人への依存の距離が縮まって、
私の場合、私が今まで疑問も辛さもなく受け止めてきた寂しさや孤独と言うものが、
逆に辛く生き難い障害へと変わっていくようで不安になる。

受け容れること、回復する事で自分が逆に壊れていくようで怖い。
私が一番、自分表現の手段としている、『詩を書くこと』、『絵を描く事』の基盤にある感性は、
長年ACと共生してきた自分が存在する事で成り立っている。

ACじゃない私に、この自分が一番傾倒している自己表現の、
源となっている感性はこのまま存在するのか?
『自分』だと認識していた、一番大きい部分が消滅するようで怖い。





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TITLE:認識の入り口








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※過激な内容のため、読む際には注意が必要です。
読まれる場合は如何なる場合も自己責任を以ってお読み下さい。
当方は一切の責任を負いませんのでご了承下さい。





消命





小さな命を消した


あの時はそうするしか思い浮かばなかった

そうすることが最善だと思った


ひとつ…

ふたつ…

みっつ…

よっつ…

いつつ…


まだ目も開かぬ…

それは闇の中で

ヌクモリを探していた


鎮まった昼下がり

幻聴のような小さな叫びを

袋に入れた


ごめんね…

ごめんね…

ごめんね…

ごめんね…

ごめんね…


苦しまなくて済むように

力いっぱい…

一度で済むように

力いっぱい…


コンクリートの硬い地面に叩き付けた

感触が亡霊のように残った

私は人間であることを捨てた

か細い鳴き声が続いてた


苦しまないで

お願いだから早く天国へ行って

もう一度

私は人間であることを捨てた


叩き付けたそれは

波打つ私の心臓にしがみ付くように

小さく蠢いていた


苦しまないでと望むのに

怖くて力が入らない

罪深い自分がいた



これが最後でありますように…






シンと空気が止まった







川原に降りた

誰の目にも付かない

お墓を作った




間も無くお墓は

夏草に呑み込まれていった







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TITLE:イキル キミ










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見ない?見えない?見たい?見たくない?



見ない?見えない?見たい?見たくない?

できれば何も見たくない
見えなければいいと思う

後戻りできない
私はもう未来に繋がっている

でもそこに何の意味も見えない
世間の人は敢えて言葉にしないだけなのか
生きる人はそれでも目でものを言う
見る必要はないと

見てはいけないのだろうか
私が私を見つめることは
最早許されないことなのか

何も考えずに
人間らしく世の中に流されて
寿命とやらを迎えることこそが
生きるということなのか

世間に存在する人々は皆
満足気に一日を終えるように見える
何の疑問もなく『人で居る』ように見える

私は
自分が人として存在することに
疑問を抱いている




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TITLE:見ない?見えない?見たい?見たくない?






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取るに足らない誇り




子供の頃、友人の家へ遊びに行くと、お昼には決まってその家の親は、「何もないけど一緒にご飯を食べて行きなさい。」と食事に誘ってくれました。一緒に遊びに来ていた他の子は昼食は勿論のこと、その後も一緒に遊び続けて、夕食まで頂くこともあったようです。

私はと言うと、親戚と言えども其処の家の食事に肖るということはありませんでした。なぜならそれは私にとって、と言うより私が受けた我が家の教育方針が、他所の家庭の食事に肖ることは施しを受けることであり、施しを受けることは恥であるという教育だったからです。

他所の家の食事を食べると言うことは、食べ物を恵んで貰うということに変わりなく、それはみっともなくて恥ずかしいことで、家族や家系に泥を塗り、祖父や父のプライドを傷つける行為に他ならなかったのです。それほど私の親家族は人の世話になることを尽く嫌っていました。

他所で一緒に遊んでいた友人達が、そのお宅でお昼ご飯を食べている間、私は一人だけ自分の家にわざわざ戻って食事を済ませ、再び足を運びました。戻って食事が出来ないような遠い場所の時は、一人だけ午前中で遊ぶのをやめて、友人と別れて帰宅するのでした。

今思うと、その頃から私は、本来経験すべき子供の世界や人間関係を築くチャンスを奪われ、子供なのに大人の環境に縛り付けられて行動範囲を制限され、結局は行動をコントロールされて、『子供』を体験する事を許されなかったのです。

大人にとって都合のいい子に着々と育て上げられていた訳です。人の世話になる事は恥ずかしいことなんだとすり込まれ、苦しくても苦しいと言えず、辛くても辛いと言えず、助けが欲しくても助けてと言えない、終いには自分から人の情を拒絶するようになってしまったのです。人に弱さを晒す事が屈辱と感じるようになってしまいました。

全くもって、大人になって世の中を渡って生きていくには、絡みづらく可愛気のない人間です。男性からみたら、女としては最悪でしょう。

厄介なのが、そういう人間であるが故か、自分より年上の男性に甘えられる事が許せません。出来るであろうことが出来なかったり、子供じみていたり、甘えてくる男性が許せません。時々、男性に甘えられると母性本能を擽られ嬉しいとか、大人の男性の中に見える少年の部分が魅力的だという女性がいますが、私はありえません。

ただ、兄弟の一番上で育ったせいか、男女問わず年下に対しては、守らなければいけないという使命感と責任のようなものを無意識に抱いてしまいます。なのに、年上の男性に甘えられるととても不快なのです。(正直に言うならムカついてヘドが出ると言ったところでしょうか。)

それほど、自分の全てをいつ何時も安心して委ねられる相手しか認められないし、信用できなくなってしまっています。根底は大人を信じられない人間不信なのでしょう。

それでも最近はそのような男女関係に身を置くこともあまりなくなったこと、私自身も人生経験を積むにつれ、自分の意思表示が出来る神経の太さも徐々に持ち合わすようになってきたようで、多少は人間に馴染んできたかなと感じています。

どんな家族にもきっと様々なその家族だけのルールがあると思います。今ふと思い出しても、子供教育にも家族間の愛情にも何のメリットもない、ただ大人のエゴに重きを置いた、随分と理不尽なルールで縛られていたものだと思います。






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TITLE:見守る?見張る?



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