此処は、人の道の迷子になってしまった『月の雫』が蹲っている場所です。 『月の雫』の心の葛藤の物語と詩を、絵と写真を添えて綴っています。
何の為に…
誰に迷惑を掛ける事も無く、
誰も迷惑を被ることも無く、
悲しむ人も無く、
中傷する人も無く、
私が消滅するという行動がこの世の中の何一つにも作用しないなら、
きっと躊躇無く「バイバイ、この世」って去っていくだろうなあ
そんな事を考えていることが、
最初から『この世で自分が生きる事を否定的な目線で見る』ところからスタートしていることが、
それが問題なんだとある時雫は気付いた。
どうせ生きる選択しかないのなら、
泥だらけのように辛い思いばかりに塗れるより、
少しでも温かい気持ちで生きていける方がいいのかな
今更の諦めにも似た気持ちを抱きながらも、既に手遅れという焦燥感を抱きながらも、
雫は未来の自分の、残りの人生に対する気持ちの持ち方が改善する事を期待して、
(それはある意味、治療とでも言おうか)ある方法を試してみる事にした。
その方法とは、自分のこれまで生きてきた軌跡、生い立ちや記憶を書き出すことだった。
簡単に、原稿用紙にして10枚も書いたら終わるだろうと、明らかに雫は高を括っていた。
しかしまだ、3分の1も済んだのかどうかわからない状態であった。
つまりこれって、
『私ってACみたいだ』と気付いてから、
ずっと自分が抱いてきたもやもやの雲を晴れさせたいという希望が自分の中にはまだあるから、
この雲を取り払ってすっきりしてみたいという願望があるんだ
この『書き出し』なる作業に取り掛かることが出来たのは、
雫の心の根本に救われたいと言う思いがあったからだろう。
この方法は、『原則として、基本的には本人が生き易くなりたいと望む事が必要』とあった。
最初その意味が雫には分らなかった。
何の考えがあろうがなかろうが、どんな心理状態であろうが、治療ならやって然るべきなのではないのか、
雫はそう思っていた。
しかし始めてみてしばらくして雫はその意味がやっと分かった。
「治療の為だから、あなたの半生、幼少の記憶を書き出しなさい。」と人に言われて始めたところで、
『人に言われたからやらなければ』というAC特有の義務感と、
『誰かに治して貰おう』という依存から抜け出すことはできないということだ。
「治療の為に***をすること。」「***しなさい。」とどうして書いてないのだろう。
『本人がACに気付き自覚し、受け容れる事が大事』とそこには書いてあったが、その本意は何なのか。
雫は疑問に思っていた。
治療法ならば箇条書きに書き連ねてあれば問題はないのではないか。
普通は治療とはそういうものじゃないだろうかと。
しかし、書いてみようと思い立ち、実際に取り掛かって雫は気付いた。
そんな簡単なものじゃないという事。
封じ込めていたものを引っ張り出すと、
何かが抵抗するみたいで(虚勢を張って生きてきた子供の自分?)、
悲しくなるし、泣きたくなるし、悔しくなるし、辛くなるし、苦しくなるし…、
頭の中も混乱してきて何を書いていたか分からなくなるし、
読み返すうちに疲れてくるし…
文章を書くことに抵抗があったり、文章を書くことが出来ない人には
ACの治療が難しいのではないかと思うがどうなのだろう?
と言うか、こういう思考回路や、ある意味中途半端にこういう能力があるから、
そういう人がACになってしまうのだろうか?
そういう思考回路を持っていない人は、
悲惨な環境(雫は悲惨な環境とは言えないと思ってるけれど)に生きてもACにならない?
実際には、なってない人も世の中には沢山いるわけだし。
自分は望んでもいないのに、器用に大人の理不尽を吸収する能力があって、
闘いながらも大きくなる事が出来てしまったから、
ACになってしまったのかもしれないと、ふと雫は思った。
望んでもいない中途半端な能力…、
いらないな…
あの環境の中で散々これに振り回された
違う場所だったらもう少し、
「生まれてきてよかった、私を産んでくれてありがとう。」って思えるのかなあ
これからそうなるのかなあ
純粋に、「産んでくれてありがとう」と思えるならそう思いたいし、そうなりたいと、
雫はその感覚を知りたいと望んではいる。
望めるようになったぶん、雫はまだ大丈夫だ。
でも、相変わらず、何の為に生まれてきたのかなんてわからない
生きることは、死ぬ時に、『おぎゃあって生まれて、死ぬまで生きる』という、
一つの人生という一番大きなイベントを味わう、
或いは、その事柄を成し遂げたという達成感を味わう為かもしれない
それくらい、一生を全うするって大変だってことか
そんなことを雫は思い巡らす。
少しずつながら前へ進んでいると願いたいものだ。
TITLE:戸惑う個性
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-28)
(『月の雫』以後、雫と省略)
このタイトルに於ける私的見解~追記
長い間、この限定的内容の物語にお付き合い頂き、読んでくださった方々に感謝いたします。
これはあくまで、雫が雫自身のAC(アダルトチルドレン)の状態に 当て嵌めて導き出した答えです。
沢山の方がACを克服するために、様々なことと向き合い闘っていると思います。
雫が知り合った何人かのACの方は、 その環境が雫と似た要素を持つというものの、全く同じ環境ではありません。
それは似た要素を持ちながら間逆だったりもします。
と言うことは克服方法も千差万別と言えるでしょう。
このテキストが、これを読んで下さったACの皆さんの克服の為に、 何かしら役に立つものがあったかどうかは定かではありませんが、 皆さんが一日も早く、日々の苦しみから解放されることを願っています。
雫は、生い立ちの過去を書き出すと言う方法を知り、 1話、2話…このように書き進めていくにつれ、
回を重ねる毎に何かしら思いも寄らなかったことに気付き、新たな発想が生まれ、 思考が方向を変えていくのに気付いていきまました。
雫のACは、上手くコトバで言い表せませんが何らかの光は見えた気がします。
これまで皆様の貴重なお時間を当物語に充てて頂きました事に心から感謝します。
決してお勧めできる内容とは言えない、寧ろ不快な要素に溢れていると思われる当物語ですが、 今後もご自身の精神衛生上の負担とならない程度に、ご覧になる皆様がご自信でお気をつけ頂き、 今後とも細く長くお付合い頂ければ幸いです。
TITLE:浄化の始まり
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-27)
(『月の雫』以後、雫と省略)
このタイトルに於ける私的見解
その数日後だった。
正月が越えられないかもしれないと言われた父が、まるで正月を迎えほっとしたようにこの世を去った。
勿論、自分が歪んだ機能不全家族を作っていたことも、その機能不全家族の中で雫がもがいていた事も気付かず。
雫と父の親子関係が正常になることは永遠に叶わないままとなってしまったのだ。
生き難さの根源を作った父が雫の前から永遠に消えたことで、雫はその呪縛から解き放たれたのだろうか?
その答えは未だ分からない。
しかし明らかなことがある。
父が亡くなったことで雫と言う生き物の培養液が浄化した分けではないが、おそらく質が変わったということ。
その培養液はこれから容易に変化する事はないということ。
その培養液に雫はこれからも、ずっと浸かり続けて行くであろうこと。
多分、雫がこの世のドアを閉める時まで…。
雫の人生はこれからまだまだ続いていくだろう。
『歩んで来た道』だと振り返るには人として未熟である。
人生に結論を出すには早過ぎはするが、敢えて振り返ってみるなら、機能不全の家庭の中の父の呪縛から雫が解き放たれた期間は確かにあった。
過去の雫を知る人が誰一人いない新しい環境で、雫が雫自身を動かす事ができた期間、そう、生まれ育った場所とは殆ど接点のない地で自分の意思で音楽にのめり込んでいた期間である。
雫は、雫自身についてある事に気が付いた。
勿論それは複雑で多様な家庭環境に伴い個人差があることで断言はできないが、AC(アダルトチルドレン)を克服し生き易い自分になることができるには【期限】があるのではないかということである。
【期限】などと言うと、ACを克服する【期限】とはどういうことかと疑問に思うだろう。
ACを克服できる【期限】とは、ある条件により成り立つと考えられる。
ある条件とは、自分を取り巻く人間的環境がまだ流動的で、変化させる事が可能な状態であること。
自分の精神的変化や行動によって人生を変えられてしまうかもしれない人間が、自分の人生の環境にまだ存在しない状態にあること。
その状態に身を置いて居られる時が【期限】なのではないのか。
つまり簡単に言うなら、良くも悪くも一人暮らしが出来、依存と言う繋がりのある同居人が存在しないこと、結婚によって守らなければならない家族が存在しないこと、それが克服できる期限なのではないか。
そう考えると、雫の期限は既に消失していて、その期限を復活させるには今居る環境から独立する方法しかないのだ。
それが出来ない雫が克服するのは不可能なのだ。
そのような結論を導くと、この物語を読み進めて下さった画面の向うの読者の中には、独善的な正義感とポジティヴ思考による救済意識を抱く方もいるだろう。
しかしそれは、あくまでご自身が機能不全家庭の柵を知らないからである。
強い力でぶつかれば跳ね返ってくるダメージも大きい場合がある。
精神的な歪みに於いては特にそうであるように思う。
躁鬱のメカニズムにも似ている。
つまり闘いを挑むだけが生き難さを克服する方法ではないのではないか。
確信ではないが、不治の病を患った時、人は何が何でも闘おうとする。
又それが正しい事だと信じている。
しかし、病も全て自分であるのだと共存して生きる人もいる。
結局、雫が自身のACの克服について導き出した答えは、雫自身のACの克服は不可能だという結論であったが、自身の生い立ちを辿るうち、ACの自分が生きる人生も自分の人生であると、自分のありのままを受け入れる気持ちが目覚め、ACの自分と共存する方法に気付いたのである。
何よりも重要な事は、雫は雫自身のACを知ったことである。
雫は機能不全家庭と言う存在を知り、その影響を知った。
もしも雫が自分のACに気付いていなかったらきっと、ACである事を知らずに連鎖を繰り返した祖父や父と同じように過ちを繰り返しただろう。
そして、その可能性は限りなく100%に近かったであろう。
しかしこれから先、雫が彼らと同じ過ちを必ずするという可能性は100%ではなくなったのだ。
ACの連鎖に関して言えば、『必ず繰り返す可能性』は限りなく0%に近くなったと言い切れる。
雫の存在理由を、ACを克服して自分が生き易くなることではなく、自分が犠牲になった事実を教訓にこの連鎖を断ち切ることに置くなら、そういう答えを導き出したことこそがとても重要な意味を持つのである。
今、過去に満たされなかった思いや出来なかった事を呼び起こして実行したところで、その時にその行動を達成する事にメリットがある分けで、今それをやって何の意味があろう?
それはずっと雫が抱いてきた疑問だった。
あの頃に出来なかったことを今やって、同じ満足感が得られるとは思えなかった。
寧ろ時間と労力の無駄遣いなのではないか、益々精神さえ不安定になるのではないか、そんな恐怖さえ抱いていた。
しかし、これまで分からなかった結論、こうして雫が自分の生い立ちを辿ることで目の前に現れた結論によって、雫のこれからの未来に光が差し始めた。これからの生き方の方向が見え始めたと同時に、雫は嘘のように気持ちが軽くなっていくのを感じたに違いない。
雫が自分のACの連鎖を断つこと、つまり今まで脈々と受け継がれてきたにも関わらず、ACによって祖父が、祖父の子供が、父が、雫が、(雫の妹が)閉ざされ続けててきた才能を次の代に歪みのない形で伝える事が、雫の存在理由なのではないか。
機能不全ではない家庭と家族の中で、閉ざされる事なく才能を開放させてやること、個(マイノリティー)を尊重する事が今の雫の生きる意味であり、今の雫だからこそ出来ることなのでなないか。
そしてもう一つできることがある。
それはACと言う沼の中でもがき苦しんでいる人達の苦しみを理解し、今気付きを得た雫が、きっと何らかの力になれるであろうと言うことである。
生きる為に価値と理由が必要であると言うならば、雫が生きるには十分な理由となるのではないか。
雫が導き出した答えは、あくまで雫自身のACに対する結論である。
他のACの人たちに必ずしもこれに当て嵌まるとは言えないが、まだ克服するに十分な環境にいるかもしれない。
期限にまだまだ猶予があるなら、克服に取り組むことは十分に意味を持っているだろう。きっと答えに辿り着けるだろう。
雫にとって、この『過去の自分を書き出すこと』は、初め、凄く無駄な事で見苦しい事に思えた。
だが今はとても多くの気付きを導きだし、大きな意味を持つものとなったのである。
(完結)
TLTLE:脱皮
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-26)
(『月の雫』以後、雫と省略)
父との別れ…最後の涙
彼等や、彼らと共に歩いた1年は、その後の雫の人生の宝となり、家族以上の絆を作ったようにも思えた。
おそらくこの間、雫から機能不全家族という培養液で育った後遺症は消えていたであろう。
雫は充実した日々の中で父を思い出すことはなかった。
そんな日々を過ごしていた数年後、父が倒れた。
それからは、父は何度となく入退院を繰り返した。
その間、一見完治したかと思われる自宅療養もあったが、それは手の施しようのない末期を過ごす為の医者の計らいにも似た一時帰宅であった。
やがて雫の元に、父が再び倒れて入院したとの連絡が届いた。
年の暮れだった。
「医者が、もうここ数日が山かも知れないって言ってた。正月を迎えられないかも知れない。」
それは母からの電話だった。
幸い年末年始の休暇と重なっていた事もあり、雫は前後に余分に休みを増やしてすぐに帰郷した。
母が病院へ付き添っていた為に家の用事が放置されていたこともあり、暫しの付き添いの交代を兼ねて、雫は実家へは寄らず真っ先に父の入院先の病院へ向かった。
数年ぶりに見た、病院のベッドに横たわる父は、病気になる前のがっしりとした体格とは比較にならないほど小さくなっていた。
元気だった頃の覇気はなく、その足は雫の手指でも回るほど痩せ細っていた。
既に病魔は手の施しようがないほど進行していて、もうじき消える命の火をただ見守るしかなかった。
残り僅かなカウントダウンをじっと聞いているしかなかった。
実は、雫は遠く離れて暮らすようになったことで、父への嫌悪感が少し薄れ始めてきていた。
そして、雫は父に対してこれから対等にものを言ってやろうと、正面から向かい合う覚悟を自分なりに自分に言い聞かせ始めていた。
父が倒れ、その命が長くないと知ったのは、そんな頃だった。
病院の窓際のベッドに横たわる父は、雫に背を向けたまま、何故か頑なに雫を見ようとはしなかった。
そこにいた母が「お父さん、ほら、雫がきたよ。」と声を掛けたが、明らかに聴こえて気付いているであろうに、父は寝た振りをしていた。
雫はというと、本当の親だと言うのに初対面の他人を見るようで、「ただいま」とも、身体を気遣う言葉すらもかけられなかった。
父と雫が一緒に存在する空間は空気がぴたりと止まっているようだった。
検査に来た看護婦に遠慮するように雫は病室から廊下に出た。
それと入れ違いに、見舞いに来た(というより、付き添いの母の手伝いに来た)一番下の妹が病室に入っていった。
さっきまで止まっていた息の詰まるような病室の空気が、重病人の病室とは思えないほど軽やかに動き出した。
妹にあれこれ我侭を強請る父の声や妹の笑い声や、母が父の我侭を叱る声が聞こえて来た。
雫が父の元を逃れてから、父も世の中の事を知り、年齢を重ねるにつれそれなりに父親らしく成長したのだろう。
病室から聞こえてくる母と妹と父の会話は、仲睦まじく暖かい親子の極々普通の会話だった。
あの父が優しい子供思いの父に変わっている状況を、雫は当然すぐに受け入れられる筈はなかったが、目の前の状況そのものが雫を拒絶しているかの様でもあった。
そこに雫が介入できる隙間はなかった。
翌日も、その翌日も、雫と父の空間は凍ったように止まったままだった。
相変わらず父は窓際の壁に顔を向け、雫に背を向けたまま寝たふりをするか、言葉を発しても雫に対してではなく、わざわざその場にいる母に話しかけるだけだった。
父にとって雫は、決して弱いところを見せてはいけない、一緒に生活していたあの頃の子供としての存在のままだったのだろうか。
雫も父もお互いが、あの正常とは言えない家族生活の中の親子関係のままで時間が止まっているかのようだった。
雫の滞在中、それは鎮痛剤(おそらくモルヒネ)の効き目が切れる時であったろう、父は何度となく病院のベッドで襲ってくる激痛に悶絶していた。
「なにくそ!このやろう!負けて堪るか!」と言葉を吐き、噛み潰すように身体を小さく縮め激痛に絶えていた。
看護婦に向かって、悪いもの全て切り取ってくれと皮肉を突きつけることもあった。雫の前では絶対に弱いところを見せない、おそらく身体に染み付いて最早取り除く事の出来ない、父の最後のプライドだった。
意識はしっかりしているものの、父は既に身体の自由は体力的に儘ならず、自力ではトイレに行けない寝たきりに近い状態だった。
尿は定期的に病室内で導尿管を使い処理していた。
しかし雫が病室に居る時は、自力でトイレへ行こうとし、母や看護婦を困らせた。
だが所詮それはとっくに不可能で…。
その時は束の間雫は廊下に出るのだったが、部屋に戻ると父は声を押し殺して泣いていた。
惨めな姿を雫の前に晒さなければならない悔しさだったに違いなかった。
雫が滞在する間、父の容態は落ち着いているように思われた。
雫の家族は殆どの時間を病院で費やし、その年の正月を過ごした。
長く取った休暇の日数も過ごし終え、仕事や諸々の都合上このまま居る訳にもいかず、雫は一旦実家を後にするといつもの生活環境に戻った。
その数日後だった。
正月が越えられないかもしれないと言われた父が、まるで正月迎えほっとしたようにこの世を去った。
勿論、自分が歪んだ機能不全家族を作っていたことも、その機能不全家族の中で雫がもがいていた事も気付かず。
雫と父の親子関係が正常になることは永遠に叶わないままとなってしまったのだ。
(続く)
TLTLE:父との別れ…最後の涙
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-25)
(『月の雫』以後、雫と省略)
運命的な出会い…それは奇跡の出会い
彼ら4人と歩いたあの数年間は、18年間雫が過ごした忌まわしい事実、父に押え付けられ外部社会から隔離された機能不全家族という世界で育った事実を、確実に時の過去へと押しやるかのようだった。
彼らとの出会いはそれほど、雫の人生或いは運命と言うものに大きな影響を与えたのだった。
話は少し前へ戻るが、雫が就職した当時、会社には社員寮があり、雫はそこで日々を送っていた。
雫が就職して始めての年の暮れ、雫の父は、母と、当時長距離トラックを乗っていた叔父(雫がギターを借りていた叔父→培養液19参照)に道案内をさせ、着の身着の儘で突然雫の勤め先の寮にやって来たことがあった。
母は正月準備の割烹着姿だった。
まるで時空を瞬間移動してきたかのようなその姿は、明らかに強引に父に連れ出された事を物語っていた。
雫はその時既に、友人達と年末年始の予定が決まっていた。
しかし目の前の、傲慢な父の下僕のように駆り出され自動車でも十数時間掛かる道程を運転させられた叔父と、正月の御節の準備で目が回るほど忙しい母(煮物も途中で火を切って、台所も散乱した儘だとぼやいていた)を目にした以上、これを徒労に終わらせるのは相当な親不孝になる覚悟が要った。
当然友人との予定を全てキャンセルするしかなかった。
自分勝手で気まぐれな父の愛情を押し付けられ、雫は帰省せざるを得なかった。
今まではっきりとはさせていないが、郷里から今雫が住んでい場所まで、ほぼ1000km離れている。
(北海道から沖縄までの凡そ4分の1くらいの距離になるだろうか?)
この遠路を何の準備もなしに走るなど、正気の沙汰とは思えない。
ギターの購入(培養液21参照)と言い、この出来事と言い、父による、周りの迷惑や都合を省みないワンマン振りが理解頂けると思う。
そんな出来事があってからは、必要以上に予定を攪乱されないように、雫は2年~3年に一度は帰省することにした。
帰ったからと言って、家に居る事は殆どなかった。
数年ぶりの帰省だから当然ではあるが、毎日毎夜、友人達と豪遊していた。
取分け外面のいい父しか知らない世間近所の人は、そんな雫を親不孝と見るのか、若い時は当たり前と見るのか。
だが、雫から見れば、父の愛情はいつ何時も自分の都合しか考えておらず、相手の都合は二の次なのだ。雫が今までこの偏見的な愛情に縛られ続けてきたことを誰が知るだろう。
雫が愛情に疎く、愛情を鬱陶しいと感じてしまうのはそういう父の影響によるものかもしれない。
雫の潜在意識に、『愛情とは束縛であり、自由を奪うもの』と言う認識が摺り込まれているのかもしれない。
雫にとって愛情とは、自分が欲する欲しないに関係なく、理不尽に、いわば強制的に与えられ、しかも拒む事を許されない、従わなければならない縛りだったに違いない。
体裁や聞こえのいい、人を容易に幸せそうに見せる事のできる『足かせ』が、雫の知る愛情なのだ。
ただ、そんな中に沈められながらも、多分雫は、幸運としか言いようの無い他力に支えられてきた。
とても大きな力を秘めた、幸運で幸福な他力に。
それは肉親に可能性を奪われ潰されていく雫を救う教師であったり、偏見的な言葉の刃に晒される雫を救う、独自の価値観に裏付けされた広い視野を持つ友であったりした。
彼らは、幾度も生きる気力を失いかけた雫を、未来への可能性の光が見える場所へと導いた、かけがえのない力だった。
話を戻そう。アパートの住人という繋がりで知り合った彼らとバンドを始動させ、某ライブハウスの出演オーディションを受けた。
雫の不安を余所に、雫達のバンドは余裕でそこに受かってかった。
その後諸々の事情を抱えながらも、月一回ではあったが定期的にライブを重ねた。
始めはたった2曲携えてのライブだった。回を重ねる度に曲数を増やしていく内、熱心なファンも定着した。
彼らに支えられ、、最終的にはほぼ半年間で7曲を演奏するまでに至った。
そうこうする内、バンド結成から一年が経ち、音楽と共に目まぐるしく過ごした時間に終わりが訪れた。
冷静に考えれば、その終わりは予測できる事だった。
何故なら彼らは其々が全く違う場所から集まっていて、たまたま大学で知り合ったというだけであり、バンド活動を続けるに都合のよい条件など何一つなかった。
更に就職活動に本腰を入れなければならない大学生活最後の一年に雫と出会ったのだ。
何よりも、一番のネックは雫を含め、4人ともが長男長女だと言うことであった。つまりは皮肉な事に、雫を含め4人ともが、この場所での期限を定められ、いつかは地元へ戻らなければならない立場にあったのだった。
反逆を企てた雫は、実家に戻る事を拒否した身だが、彼らはそうではなかった。
皆いずれは一家の大黒柱となり、親や家族を支える事を義務付けられていた。
彼等自身もそのことに疑問を抱くことなく受け入れ(この部分が彼らにとって幸福を意味するポイントだと思う)、それを実行するのが自然の流れであった。
何か特別な力が働かない限り、終わりは最初から決まっていたことだった。
そのことを踏まえて考えると、雫が彼らと出会ったことは奇跡に等しかった。
この奇跡の時間を過ごしている間の雫は、自分の考えや行動を発信する事に何の障害もなく実に自由であり、雫に関わる誰もが雫が主張することを待ってさえいた。
バンドのメンバーに至っては寧ろ、雫が遠慮したり躊躇したりすることを咎め戒め、雫が音楽に込める思いや考えを常に全力で受け止めることを望んだのだった。
彼等や、彼らと共に歩いた1年は、その後の雫の人生の宝となり、家族以上の絆を作ったようにも思えた。
おそらくこの間、雫から機能不全家族という培養液で育った後遺症は消えていたであろう。
雫は充実した日々の中で父を思い出すことはなかった。
そんな日々を過ごしていた数年後、父が倒れた。
(続く)
TLTLE:奇跡の出会い
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-24)
(『月の雫』以後、雫と省略)
運命的な出会い
雫は生活費などを節約する為に、彼女とアパートの一室で共同生活を始めた。
弟妹のいる雫にとって、年下の彼女はまるで妹のように違和感のない存在だった。
一人っ子の彼女も雫のことを姉のように慕い、毎日が擬似姉妹のような生活だった。
その頃から状況は大きく変わってきた。
彼女と出会い、やがて何かに引き寄せられるように、雫の人生に大きなウェイトを占めるあの4人が現れた。彼らとの出会いは、紛れもなく雫の人生に雫が存在するべく大きな光をもたらした。
雫にとって彼らがなくてはならない大切な存在であるように、彼らにとってもまた雫は必要な存在であったのか。
それは突然眠っていた運命の歯車を動かし、未来へ続く新たな扉を押し開き始めたかのようだった。
雫と彼女が共同生活を始めたそのアパートの部屋は、畳一畳もないシャワールームとシングルのガスコンロが設置された小さなキッチンがあり、それらを含めて6畳という狭い空間だった。
全室ワンルームだったが、部屋によって広さはまちまちで、トイレや洗濯場は共同だった。
当然家賃はかなり安く、雫達以外は全ての部屋が大学生だった。
中にはもう少し広い部屋もあり、そういう部屋は雫達のようにルームシェアをする者もいた。
彼らと出会ったのは、引っ越してアパート生活も馴染んできた頃だった。
その頃雫は既にたまたま縁が繋がった社会人のバンドにボーカルとして加わっていた。
いつかはどこかで発表することを小さな将来的願望とするような明らかに趣味の領域から出ないであろう、バンド音楽を楽しむことを目的としたコピー主体のバンドだった。
雫の後輩が高校時代に作ったデモ音源のギターフレーズをコピーする事すら難しく、オリジナル曲をアレンジする技量はなかった。
声や音感をキープするために止むを得ずそのバンドに参加していた雫にとって、自分のやりたい事とは違うバンド練習は常にジレンマとの闘いだった。
「自分はここで何をしているのか。」
練習に費やす時間と雀の涙ほどの給料から消えていくスタジオ代に、常にそんな疑問が雫の脳裏に張り付いていた。
他のメンバーのように楽しむことは出来なかった。
あれは未だ夏には早い、ある週末の夜だった。
隣の部屋に住む男子大学生の所に何人かの友人が訪れているらしくやけに賑やかだった。
彼らは少し大きめの音量で音楽を流し、仲間で盛り上がっているようだった。
だが、否応無しに聴こえてくる盛り上がりは些か変わっていた。
雫と彼女はついつい耳を欹(そばだ)てた。
彼らはあるミュージシャンの、それもある1曲だけを途切れ途切れに聴いていた。
途中で再生と停止を繰り返しては、突然静まり返ったり歓声のような奇声を上げたり、話し声が聴こえたかと思うとピタリと声が止み、かと思うと行き成り合唱を始めたり、音楽しか聴こえて来なかったりする時もあった。
明らかに彼らは普通の人達のように、流行の音楽をBGMにして交友を楽しんでいる様子ではなかった。
が、雫と彼女はそんな様子に心当たりがあった。
何故なら雫と彼女もこれと同じようなことをすることがあったからだった。
それから月日の経過と共に、雫と彼女はアパートの通路で隣の住人と何度か顔を合わすようになった。
挨拶をしたり面識を重ねていくうちに随分と親しくなった。
月末は、財布の金も底を付く金欠病に貧窮する彼に、雫達が作り過ぎた夕食を差し入れすることもあった。
日常的に会話を交わすようになり、雫たちはやがてあの夜の出来事の真相を知った。
それはこうだった。
彼は隣の部屋に女二人で住む雫達に非情に深い興味を抱いた。
というのも、大学のサークルのバンドでギターを弾いていた彼ですら聴いたことのないロックのような音楽が、女性二人が住む部屋から不思議な会話と盛り上がりに混じって頻繁に聴こえて来るからだった。
聴きなれない音楽もそうだが、この狭いアパートにどう見ても学生には見えない女二人が住んでいることに、スリリングな好奇心を抱いていた。
そしてその事を知らされた彼のバンドメンバーも雫達に興味を抱き、探りを入れる為に集ったと言うことだった。
雫の低い声も原因のひとつだったか、つまりレスビアンやゲイだと思っていたらしかった。
そんなこんなで彼らと雫達は親しくなると、やがて彼らは雫の音楽にも興味を抱いた。
雫の曲を試しに演奏した彼らは思いの外意気投合して雫の曲にのめり込み盛り上がった。
更には雫の技術的要求をも楽しむかのように意欲的に受け入れ、曲が仕上がれば皆で喜び合い、短い期間にバンドとしての結束が深まっていった。
あれほどメンバー探しに奔走した雫だったが、彼らとの出会いは、何か目に見えない力によって引き寄せられたかのようだった。
まるで赤い糸が存在するかのようだった。
彼らと雫達の出会いは、こうなるべくしてなった運命的な繋がりのようだった。
その後間も無く、同じ職場に勤める雫と彼女の共通の女友人(雫の後輩でもあり、彼女の先輩でもあった)がキーボードとして加わった。
雫は彼らに対して、これまで家族や友人にすら抱いたことのない『失いたくない』と言う気持ちを強く抱いていた。
口にこそ出すことはなかったが、異性という壁を越えた、同じ目的の為に歩む者としてお互いを尊重し合い必要とする、強い仲間意識を抱いていた。
それは生まれて初めての感情だった。
そしてこの頃には、高校から音楽で雫と繋がり雫の音楽に命を吹き込み、その情熱を支え続けた彼も、東京に拠点を置き自らの音楽の道を歩き始めていた。
二人で作るバンドという夢はいつしか消滅していたが、雫と彼はとても自然に其々の道を歩き始めていた。
雫の音楽人生は新たに現れた4人と共に動き始めた。
偶然にも寄り集まったE・ギター、E・ベース、ドラムス、キーボードという4人の演奏者と、共同生活をしていた彼女と雫の奇跡的な出会いだった。
それからの活動は共同生活していた彼女が持ち前の人脈を元に、スタジオ確保やライブハウスの出演交渉やマネージメントを請け負い進められていった。
彼らと同じ目的を共有して突き進む雫は、初めて真剣に生きていることを実感し感謝した。
その頃は、6人で一つの同じ目的を共有し日々前へ歩む事が、雫自身を納得させる、雫の存在理由だった。
バンドこそが雫の存在価値を証明するものであった。
彼ら4人と歩いたあの数年間は、18年間雫が過ごした忌まわしい事実、父に押え付けられ外部社会から隔離された機能不全家族という世界で育った事実を、確実に時の過去へと押しやるかのようだった。
彼らとの出会いはそれほど、雫の人生或いは運命と言うものに大きな影響を与えたのだった。
(続く)
TLTLE:運命的な出会い
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-23)
(『月の雫』以後、雫と省略)
脱出・同志を探し求め…
かくして雫の脱出計画は実現し、雫は自分の手で切り開いた未来に向かって歩み出す。
表向きは2年間の期間限定の就職体験、実際は二度とこの場所に戻らないかもしれない、音楽活動という夢を叶える為の、また閉鎖された機能不全の家族環境から脱出する為のエスケープにも似た旅立ちだった。
3年間の高校生活を終え、新しい年、雫は誰一人知る人のいない見知らぬ土地で、社会人としてスタートを切った。
右も左も分らぬまま、日々流れ作業的な仕事に追われた。
バンドの為に何か行動を起こせるのは休日しかなかったが、それでも雫は精神的な自由を感じていた。
その年々の新入社員の性格的傾向があるのか否かは分らないが、同期の新入社員は他人と行動を共にすることを嫌うタイプが多かった。
おかげで雫はプライベートの行動を詮索されたり中傷されたり、社外での付き合いを強要されたりする事もなく、人間づきあいの煩わしさに縛られることもなく、思い通りに音楽の為の活動に奔走した。
月々の給料を手にする度に、練習可能な範囲で集めたメンバーの元へ足を運んでは、共に音楽活動をしていくに相応しいかを確認するために顔合わせをしていった。
バンドメンバー(同志)として活動する人材の条件は、雫の曲に対する嗜好の度合い、曲のイメージを表現する為の想像力、音楽の趣味、実際のその人のプレイサウンド、勿論容姿にまで及んだ。
この時の雫は多分、物事を批評する父が憑依したかのように厳しい評価を下す、かなり冷酷な人間だったと思う。
しかし相手も皆、思いの深さと意志の固さを持っているが故、初めての面識にも拘らず雫の厳しさを真っ直ぐに受け止めてくれた人ばかりだった。
(雫はふと思った。彼らはあれからどうしているだろう?自分の求めるものに出会っただろうか?)
一緒に練習していくにつれて、やっと決まったメンバーであっても技術的な理由で脱退して貰う事もあった。
メンバーを入れ替え、バンドを作っては解散し、何度となく繰り返したが、音源を作った彼と対等に高め合うに等しい人は見つからず、そうこうしているうちにその彼も高校を卒業して進学の拠点を東京に移し、生活を始めた。
そしていつか、雫が最高のメンバーを見つけて来る事を待ちながら、お互い離れた場所で音楽という繋がりを維持していた。
おそらくこの頃までは、きっといつか一つのバンドで一緒にプレイできると信じていた。
彼も雫も強いエネルギーを漲らせ、夢は叶うものとまだ信じていた。
雫はその頃、同じ会社で働く一人の女性に出会った。
彼女は雫と同じ職場で働いていた。
彼女とは音楽や思想や日常生活で意気投合し、社外でもよく一緒に行動するようになっていた。
そしてよく飲みにも行った。
彼女は兎に角不思議と、職種を問わず幅広い人脈を持ち、人間関係が広かった。
かの有名な大物ミュージシャンM・T(老いも若きも知らない人はいない)と郷里が近いこともあり、彼女が十代の頃、もう既にミュージシャンとしてその地位を確立していた彼に妹のように面倒を見てもらったという、にわかには信じ難い経歴の持ち主だった。
雫は生活費などを節約する為に、彼女とアパートの一室で共同生活を始めた。
弟妹のいる雫にとって、年下の彼女はまるで妹のように違和感のない存在だった。
一人っ子の彼女も雫のことを姉のように慕い、毎日が擬似姉妹のような生活だった。
その頃から状況は大きく変わってきた。
(続く)
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-22)
(『月の雫』以後、雫と省略)
脱出計画
その頃から雫と後輩の彼は、本格的にロックバンドを結成する方向へ舵を向けた。そのことはその後、雫の就職という進路にも大きく影響していった。
高校に入って外の世界を知れば知るほど、雫は自分の育ってきた環境や家族が世間とはあまりにも違い過ぎる事を知った。
軽音部で出会った後輩に影響されバンドでの音楽活動に夢を抱き、その夢を叶えたいと湧き上がる情熱に少しずつ突き動かされ始めた雫は、何が何でもあの拘束された『井の中の蛙』達の閉鎖世界から脱出しなければという思いも膨れ始めていた。
高校3年生になり、いよいよ進路を決定する時が来た。
雫の頭の中には、兎に角父から逃れなければと言う思いがあった。
そうしなければこの先、自分自身の未来には何も残らないと感じた。
社会の常識や日常を知れば知るほど、自分の置かれている環境の異常さに恐怖さえ憶えた。
この異常な家庭環境から脱出することは当然として、さらに運命のバンドメンバーを探すためにも、そして音楽活動をする為にも雫は県外へ出ようと決めた。
そして進路指導室の資料を漁り、この学校からの県外就職者、それもできるだけ遠くに就職した人の前例がないかをくまなく調べた。
この学校は進学校であった為に、県内なら兎も角県外への就職者を探すのは容易ではなかった。
しかし何事も新規で事を進めるにはリスクが大きいもの、せめて前例さえあれば、会社の求人を申し込むにも、あの父を説得するにもきっと上手く事が進むに違いないと雫は考えたのだった。
そして雫は辛うじてたった一件の前例を探しあてた。
その会社はその県内、或いはその分野では名の知れた大手の会社だった。
大きく括れば芸術的要素も持つ製品の製造会社だった。
高卒程度で実際にデザイン的なものに携われる訳などある筈もなかったが、そういう会社である事が、美術系思考の雫が恰も強く希望しているかのようにカムフラージュするには必要だった。
周囲を信用させ欺くには打って付けの会社だった。
そしてさらに驚いたことは、偶然にもそのたった一件の例と言うのが、雫に高校へ行く事を助言してくれたあの弟子の遠い血縁ではあったが、親戚にあたる人だと言うことだった。
父が特に目をかけて信頼していた弟子の親戚だという幸いであり奇妙な事実だった。
それは神が雫にくれたチャンスのようでもあった。
雫は様々な理由を並べて、父にその会社へ入りたい旨を主張し、懇願した。
分かってはいたが、そう簡単に父は首を縦に振らなかった。
だが進路確認がある度に雫は父に何度も繰り返し頼んだ。
そうこうして、同じような停滞した日々が過ぎていった。
とうとう最終確認になった時、これまで一度も口を開かなかった母が口を開いた。
そして一言、父に言った。
「1、2年、他所のご飯を食べて苦労すれば気が済むでしょう。若い時は外へ行ってみたいと思うものです。1年か2年間だけ行かせてはどうですか。」
意外な言葉だった。
すんなりそれに従った父も予想外だった。
案の定、父のお気に入りのあの弟子の人柄や仕事ぶりが良いこと、その縁者が就職した会社であるということが大いに父の気持ちを解いた理由に影響していた。
その夜、雫が母と二人で食事の後片付けをしている時だった。
母がぼそりと言った。
「私も一度くらい県外へ行ってみたかったけど、高校卒業してすぐ結婚したからね。今じゃもう無理。若い時しか出来ないから、あんたは行って来なさい。但し、2年経ったら帰って来るんだよ。」
そう、母には母なりの辛いものがあったんだと雫は思った。
しかし同時に、もう此処へ帰らないかもしれない雫は、心の中で「御免なさい。」と呟いていた。
雫は母の事は好きだった。
雫と母との関係は妙に他人行儀ではあったけれど、適度な距離感で付き合う母との関係も、かなりクールなその性格もそれなりに雫は好きだった。
だから、父が憎い反面、母を欺こうとしている自分に罪悪感もあった。
しかしその罪悪感こそがこれまで雫をこの環境に雁字搦めにしている根源であることを雫は気付いていた。
だからこそ断ち切らなければならないという覚悟も強かった。
かくして雫の脱出計画は実現し、雫は自分の手で切り開いた未来に向かって歩み出す。
表向きは2年間の期間限定の就職体験、実際は二度とこの場所に戻らないかもしれない、音楽活動という夢を叶える為の、また閉鎖された機能不全の家族環境から脱出する為のエスケープにも似た旅立ちだった。
(続く)
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-21)
(『月の雫』以後、雫と省略)
運命の出会いと転機
雫はバンド音楽の面白さを知る切欠となったこの後輩と特に親しくなった。この出逢いが、雫の人生をいつの間にか予期せぬ方向へと動かしていった。
それは雫の心の中に燻っていた「この環境から脱出したい。」という思いを、「脱出する!」という強い決心へと変えていった。
高校へ進学してからは、部活で遅くなる雫と、仕事後の仲間との呑み会で遅くなる父とは、殆ど顔を合わすことはなかったが、そんな父が雫に関わってきたことがひとつだけある。
それは雫が試験期間前で部活がなく、いつもより早く帰宅した日のことだった。
雫は、当然父は在宅していないだろうと、小さく「ただいま」を呟いて玄関のドアを開けた。
壁際に徐に新品のギターハードケースが立て掛けてあった。
勿論中には、特別高価ではなかったがそこそこ値段の張る、有名メーカーのアコースティックギターが入っていた。
雫が帰宅した気配を察知して奥の茶の間から行き成り父が出てきて、玄関で驚いている雫に向かって言った。
「あいつ(叔父)のギター、今すぐ返して来い。」
父は、音楽を楽しむ雫の為に新品のギターを準備したのではなく、娘が厄介者の叔父のギターを借りている事が気に入らなかったのだった。
雫は曲作りにギターは必要だったけれど、欲しいわけではなかった。
ギターを買ってくれなどと一言も言っていなかった。
なのに父は、雫の話など聞くことなくギターを買ってきた。
雫は何でも勝手に決めてしまう父にうんざりした。
父にとっての雫は愛する子供ではなく、結局自分の見栄を満足させる為の道具なのではないかと感じずにはいられなかった。
幸いギターは無いよりは有ったほうがマシで、一々叔父から借りてくる手間がなくなったことを思えば、頭では「ギターが欲しくても簡単に買えない人もいる」と自らの幸運を納得させることで苛立ちを鎮め、割り切る事も出来た。
だが、やはり父に押し付けられるように与えられたギターには素直に喜べなかった。
その日以来、雫が叔父のギターを借りる事はなく、結果的には作曲する時や部活にもそのギターを使用した。
しかし家の中でその音が聴こえることはなかった。
何故なら雫は、ギターの音やメロディーを口ずさむ声が絶対に部屋から漏れないように、又家人に聴こえぬように兎に角静かに作業を進めていたからだった。
家でギターをまともに弾いている音がしないので、父が一度、「ギター弾かないのか」と雫に訊いて来た事があった。
ギターを買ってやったのに弾いている気配がないと、不思議がっていた。
もし曲を弾いている音が聴こえようものなら、父はきっと自分の前で弾くように命令し、ああだこうだと非難だらけの批判をしまくるに違いなかった。
勿論、雫が人前で歌を歌っているなど家族は知らなかったし、当然父も知らなかった。
雫は追求されないように極力父とは顔を合わせないようにした。
そんな出来事もあったが、有り難いことにこの頃から、高校の学歴の無い父は、教育に関する諸々は母に任せ切りになっていた。
しかし母は母で極端に干渉しない人だった(というより、雫と母はそういう関係だった)ので、日々の畑仕事や大家族の家事に追われ疲れ切っていたことや真面目な雫に対しての信頼と安心感も相まって、雫が高校で何をしていようがあまり興味はなかったようだ。
高2になり、軽音部に数人の新入部員が入ってきた。
その中に一人、高校生レベルを超えたギターの上手い男子部員がいた。
雫は恋愛感情抜きに、彼の弾くギターの音質や繊細さ、丁寧さ、華やかさ、癖など含めてセンスのいい音が純粋に好きだった。
部活で音楽を介して先輩後輩の付き合いが深まっていくにつれ、二人の音楽観が一致していった。
将来的に一緒にバンド活動をしようという熱い想いが生まれた。
彼が雫のバンドのメインギターを受け持つことになった。
二人は他のパート(ベース、ドラム、キーボード等)を捜す為に、先ずは雫のオリジナル曲のデモ音源を作ること始めた。
「僕はあなたのバックバンドとしてずっと付いて行くから」と彼は言った。
才能と言えるかは分らないが、彼は雫の音楽的な能力を認め、雫の為に自分の持つ音楽的な力を尽くそうと言った。
雫は後輩のこの言葉に突き動かされ『何か一つでいい、自分の好きなことを成し遂げたい』と強く思うようになった。
彼と音楽を作っていくうちに仲間というものを意識するようになった。
それまでは『仲間』と言う言葉に、つまらない連帯意識のような弱さのかばい合いと言う印象を抱いていた。
物心付いた時から孤立だった雫が、仲間ということばを初めてしみじみと実感した時だった。
そして、あらゆるものを父によって封じ込められてきたこれまでの人生、せめて何か一つくらい、誰の束縛を受けることも無く没頭し、自分の意志で気の済むところまでその達成感を掴みたいと雫は思った。
この時から雫は、雑誌のメンバー募集に告知を出したり、日本中、これはと思う人に片っ端から手紙や電話でコンタクトを取った。
人間嫌いで消極的と言われ続けた雫からは想像もできない、当に人が変わったとはこの事かと思えるほどだった。
この時の雫のバイタリティーは別人のようだった。
某レコード会社に音源を送ったこともあった。
そのことで、音楽業界に繋がった訳ではないけれど、とても印象深いことがあった。
大量に送られてくるであろう音源のたかが一つに
「とても個性的な声なので、思いっきり声を出し、ロックに挑戦してみることをお勧めします。」
と、とても客観的で丁寧なアドバイスを受け取ったことだった。
自分の持っているものを初めて正当な目で評価して貰った気がして、雫は嬉しかった。
その頃から雫と後輩の彼は、本格的にロックバンドを結成する方向へ舵を向けた。
そのことはその後、雫の就職という進路にも大きく影響していった。
(続く)
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培養液(20)
『月の雫』と言う生き物の培養液(28-20)
(『月の雫』以後、雫と省略)
高校生活、思いもしなかった展開(後編)
ところが入部して一ヶ月ほどたった頃、楽器がろくに出来ない雫やK子のような新入部員は、初ステージは先輩の演奏で歌を披露するのだと知った。
それは部の通例になっていて、当然例に漏れず、雫とK子も従わなければならなかった。
歌に対するトラウマはあったが、この時雫は、折角手に入れた自分にとっての自由と生甲斐が存在する部をやめることは考えられなかった。
先輩の厚意により、雫の場合、K子と一緒でもよいことになった。
そして、あの忌まわしい正月以来封印していた『歌うこと』に、雫は再び挑んだのだった。
雫が音楽の授業以外で赤の他人の前で歌うのは、生まれて初めてのことだった。
自分が誰かのギター伴奏で、それも観客のいる前でポップスを歌うなど、想像すらしなかったことだった。
雫の意識の中では、自分の歌は人に聴かせるに値しないものだった。
人の心に何かの感情を残すなど有り得ない、程度の低いものと、雫は思っていた。
しかし、蓋を開けてみれば、人々の反応は違っていた。
それは、雫がこれまで抱いてきたコンプレックスを覆す、信じ難いものだった。
思いも寄らぬ、雫がこれまで経験してきた『仕打ち』とも言える反応とは、180度真逆だった。
そのことは雫が今後救われる道を指し示すと同時に、これまで雫が浸かってきた培養液の異常さをも証明しているように思えた。
雫の育った生活環境や雫が教え込まれた父の教育思想は、雫と同年代の人々のそれとはあまりに違っていた。
同年代の彼らは流行の歌謡曲やポップスに敏感に反応し、何の抵抗も無く日常の娯楽のように流行歌を口ずさみ、振りを真似てふざけ合ったりしていた。
そこには彼らの日常の家族生活や過ごし方が反映されているかのように思われた。
自由に伸び伸びと振舞う彼らの姿からは、その個性を受け容れられているであろう温かな家族環境を推察できた。
雫はというと、どうだろう?
雫の生活環境は、全くと言っていいほどテレビや新聞などの外部情報に触れることのない世界である。
音楽どころか日々の話題ですら彼らと噛み合う事はなく、最早そのような同級生達に付いて行けず、雫は常に浮いた存在だった。
というより、そういうことを楽しむ感覚が雫には備わっていなかったといった方が正しいだろう。
外部情報が遮断された封建的な環境で育ったが為に、備わるべき感性が備わっていないのだ。
この学校に通ってくる生徒達は誰もが、広い柔軟な視野と自由な趣味と、それを楽しむ事が出来る心の余裕が備わっているように思われた。
皆伸び伸びと高校生活を送っているように見えた。
実際に個々の事情がどうかはわからないが、少なくとも雫にはそう見えていた。
それが十代の健全な姿なのだと感じられた。
そんな彼らは雫の歌に対しても素直な反応を示した。
聴いた人は一様に何かしら好意的な驚きと感動を示し、中には涙する人もいた。
しかしこれまで声や歌で非難され続けてきた雫は、自分が歌うことは人を不快にすると洗脳されているに等しく、そのせいか、自分の歌が人にどういう風に聴こえているのかと、人の反応に対して猜疑心が根強くあった。
しかし、数ある様々な反応は好意的なもので、少なくとも、歌うなと言う人は一人もいなかった。
雫はこれまで経験したことのない嬉しさと喜びに満たされた。
こうしてこの部活動によって、本来の歌が好きな雫が徐々に解き放たれていった。
部活では、初めに伴奏してくれた先輩を発端に、それを見たギターの上手い先輩達が更に雫の曲に興味を抱き、演奏に取り組んでくれるようになった。
そうして雫の歌の伴奏を担当してくれるようになった。
先輩グループのボーカルを頼まれることもあった。
月日が経つにつれ、部の定期コンサートなどの発表の場では自分のオリジナルの曲を歌うようになった。
実に充実した学校生活を送っていた。
しかし、同時に雫は懼れていた。
「こんな事が父の耳に入ったら、又ずたずたに罵倒されて、初めて味わった小さな愉しみさえ奪われるかもしれない」そんな、父への警戒心だった。
「知られないようにしなければ、秘密にしなければ…。」雫は常に家ではいつもそんな恐怖を抱いていた。
極力生活に変化を見せないようにすごした。
そんな家と学校の生活は、まるで時空を行き来しているようなギャップがあった。
そんな日々の中で、雫も学校と家での二つの顔を使い分けていた。
そのせいか後々も、雫は自分が極端な二重人格のように感じる時があったが、それはこんな生活から形成されてしまった性格なのかもしれない。
雫自身、理解できない部分である。
二度と人前では歌わないと決めた雫だったが再び歌うことになり、皮肉にもそのことが雫に夢を与え、前へ歩き出す意欲と勢いを生み出した。
大きな力を与えてくれる切欠になった。
実は雫は歌を歌ってはいたが、この時、何よりも、一曲を公開出来る完成形にするまでの、打ち合わせや編曲作業が楽しかった。
その思いは雫が進級した翌年、後輩のバンド活動に感化されたことで、バンドでの音楽活動と言うものへの興味に変わっていった。
やがて自分のバンドを作ってオリジナル曲を演奏したいという気持ちに変わっていった。
雫の中に、同じ志の仲間と音楽を作りたいという夢が生まれていた。
雫はバンド音楽の面白さを知る切欠となったこの後輩と特に親しくなった。
この出逢いが、雫の人生をいつの間にか予期せぬ方向へと動かしていった。
それは雫の心の中に燻っていた「この環境から脱出したい。」という思いを、「脱出する!」という強い決心へと変えていった。
(続く)
追記:そういえば書きそびれたが、雫が声の事で、一つ嬉しい思いをしたことがある。あれは高2の時のことだ。担任が英語教師(男性)で、その英語の授業の時の事だった。
教科書の英文の音読に当たった雫は、当然普通に読み始めたが、通常終わりそうな段落を通り過ぎても、先生からのストップがかからないので、そのまま次の段も読み進めていった。不思議に思いながら二人分を読み終えた辺りで、やっと先生は気付いたように言った。「いやあ、いい声だなあ。思わず聞き惚れてたよ。はい、ありがとう。」
たまたま先生がボーっとしていて、苦し紛れでその場を繕っただけかも知れないが、雫はそんなことはこれまで全くもって経験の無い事だった。あまりに嬉しくて、暫くそのことが頭から離れなかった。雫がいい声だと、大人に言ってもらったのは、生まれて初めてだった。慣れないことに雫は戸惑いと照れ臭さを感じた。
それが前向きな気持ちに繋がったのは確かである。
TLTLE:高校生活、思いもしなかった展開3
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-19)
(『月の雫』以後、雫と省略)
高校生活、思いもしなかった展開(中編)
詩を書き、それにメロディーを付けるようになった雫はそのうち、それらを記録する方法として音符による楽譜の他にコード譜があることを知った。
民謡邦楽一色の一家にあって、たまたま父の一番下の弟(雫にとっては叔父)が異色の洋楽マニアだった。
彼はアコースティックギターとエレキギターを所有し、洋楽でも取り分けハードロックを主に聴いていた。雫はこの叔父にコード譜メインにギターを教わり、こっそりと作詞作曲の楽しみを見出した。
この叔父は幼少期から問題児で、子供の頃からかなり喧嘩早かった。
近所の上級生と一戦交えては相手に怪我を負わせ、父母(雫の祖父母)は毎日のように相手宅へ謝罪に出かけていた。
成人してからも何度か結婚離婚を繰り返した。結婚前も結婚後も何かとトラブルばかり起こして、両親(雫の祖父母)や兄姉の悩みの種だった。
当然叔父は親兄姉には嫌われていて、家族の鼻ツマミ者といった感じの存在だった。
しかし雫の目には、この叔父が家族の中では一番、外社会と世間に通じているように見えた。
叔父は、生鮮食品を運ぶ長距離トラックの運転手をしていたため、北から南まで日本全国の土地の観光や特色を知っていた。
築地市場を始め、各地の市場に出入りすることで様々な情報を得て、世の中の流行や常識についても、おそらく雫の両親よりよっぽど豊富な知識を持っていたに違いなかった。
この頃、雫の友人達はテレビで流行のアイドルやバラエティー、若者のあらゆるジャンルの音楽に浸っていた。
雫はと言うと、音楽と言えば民謡や浪曲、演歌が主流の閉鎖された環境に閉じ込められ、歌謡曲や日本のポップスなどの世間で流行の音楽というものに全く縁がなかった。
そんな中にあって、既に独立して、雫の生活する本家とは目と鼻の先に住んでいた叔父の家に出入りしては、叔父の所有する洋楽や叔父の弾くギターを聴けるのがせめてもの救いだった。
こういう経緯や環境のせいなのか、雫の性格的なものなのかは分からないが、雫は演歌が大嫌いだった。
(演歌=生き辛い家族環境のBGM)それは雫にとって唯の苛立ちしか生まない不快なものであり、気持ちや体が既に受け付けなかった。
余談だが、そういう意味では、人の性格は生まれ付きとは言い切れない、後天的な環境の影響で形成される部分もあるのか。
また、雫に詩を書くことと曲作りの切欠をくれた女友達も同じ高校に入学していた。
入学当初、雫は授業の合間の休憩も昼食時も、校内を探索する時も、この女友達とよく一緒に行動していた。この頃、雫が一番心を許している唯一の存在であったろう。
(以下、彼女の事をK子と記す。)
K子は雫の声を、当時彼女が好きで聴いていたある女性ミュージシャンによく似ていると言い、雫が電話をする度、そのミュージシャンのラジオのDJの声にそっくりだと喜んでいた。
雫には実際のところ、どこがどう似ているのかよく分からなかったが、雫の声を好意的に受け容れてくれたのは、彼女が一番最初だったかも知れない。
彼女のおかげで声や歌に対する忌まわしい封印の氷が融けていくような気がした。
彼女が貸してくれたそのミュージシャンのアルバムを聴くうち、雫もだんだんとその音楽が好きになっていった。
その歌詞に世の中の文化や流行や生活や人間模様まで、雫の知らない世界を見、その表現に今まで触れたことのない溢れんばかりの感性を感じ、雫自身の感性もまた多くの刺激を受けて育っていった。
中卒での就職を考えていた雫は、幾つかの出来事の中で意外な人達に後押しされ進路を考え直し高校に進学したが、大学進学という進路選択は既に無かった。
高校生と言う、自分の人生の一部分を確認し浸るように日々を過ごした。雫は、高校に入ってからは思いのままの自由を手にしたような日々だった。
親の目が届かない事を幸いに学業そっちのけで、文化部ばかりであったが、部活に没頭した。
そう、入学した時にK子に誘われて思い切って入った、軽音部にのめり込んでいた。
軽音部では先輩部員が皆、何らかの楽器、主にアコースティックギターを手に歌を歌っていた。
雫は、初めは自分が歌うなどと言う事は考えておらず、音楽に触れていることができるならと思い切って入部したのだった。
一番の関心元の美術部には入部に踏み切れずにいたが、こちらも同じように油絵に興味を持っていたK子の勢いに引っ張られるように入部した。
この高校の芸術の授業は選択教科(美術・音楽・書道)になっていて、雫は当然美術を選択していた。
雫はこの時に油絵に出会った。
(ただ、軽音部と掛け持ちをする雫に、美術教師はあまりいい顔をしなかったが。)
軽音部では、何れはアコースティックギターの弾き語りや何かしらの楽器の演奏で、ステージ発表することを目標に掲げていた。
雫は、この時点で自分が歌う気はさらさらなかった。
ただ作詞や作曲することが楽しかった。
浮かんでくる、季節や人間模様や恋愛のイメージを詩にしては次々と曲を作った。
出来れば自分の作った曲を誰かに歌って欲しいと思っていた。
ところが入部して一ヶ月ほどたった頃、楽器がろくに出来ない雫やK子のような新入部員は、初ステージは先輩の演奏で歌を披露するのだと知った。
それは部の通例になっていて、当然例に漏れず、雫とK子も従わなければならなかった。
歌に対するトラウマはあったが、この時雫は、折角手に入れた自分にとっての自由と生甲斐が存在する部をやめることは考えられなかった。
先輩の厚意により、雫の場合、K子と一緒でもよいことになった。
そして、あの忌まわしい正月以来封印していた『歌うこと』に、雫は再び挑んだのだった。
(続く)
TLTLE:高校生活、思いもしなかった展開2
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-18)
(『月の雫』以後、雫と省略)
高校生活、思いもしなかった展開(前編)
この事は全て、雫が弱いだけで、雫が犠牲を厭わず反抗しさえすれば済む事なのかも知れない。
また、上記の事を寧ろ希望する人(しなくていいのが羨ましいと思う人)にとっては、雫の苦悩は永遠に分からないだろう。
ただ、『犠牲を厭わず』と言うことは『迷惑を掛ける事を承知の上で』ということになる。
『人に迷惑を掛ける』ことほど、辛く耐え難い事はなかったあの頃の雫に、親に反抗すると言う選択肢は考えられなかった。
世の中の大半の受験生は中高大学問わず、既に進路を定め合格という勝利を目指して受験と言う戦の真っ只中にいた。
土壇場で進学を決めた雫も今更と思えるほど遅れて参戦した。
最下位くらいまで落ち込んだ数学の成績を挽回し、その地域ではそれなりに有名な進学校に目標を定めて受験に挑んだ。
数学に不安がなければ、本来は十分合格圏内の評定を持っていた筈の志望校だった。
商業科を受けろという親を説得しての、滑り止めのない普通科一校だけの受験だった。
問題の数学の成績を挽回したとは言え、合格発表当日は流石に雫自身も緊張と大きな不安を抱いていた。
おそらく数学はあまり良い成績ではなかったと思われるが、結果は合格だった。
雫はほっとした。
合格発表の日、雫も日本国中の受験合格者同様に背負うプレッシャーや不安感から開放され、心の底から合格を喜んだ。
だがそのような喜びを感じていたのは雫本人だけで、親も教師も誰一人おめでとうよかったねなどと声を掛けて褒めてくれた人はいなかった。
合格発表の日、担任教師は合否が心配される生徒に付きっ切りだった。
そんな教師が雫に掛けた言葉はとても寂しいものだった。
雫が教師に歩み寄り受かった事を報告しようとすると、すかさず合否に不安のある生徒の報告を耳にした教師は雫が言葉を発する前に、「あなたはいいね」(多分、大丈夫ねと言う意味)と背中をポンと叩いてその場を立ち去った。
雫の合格に向けられた言葉はその一言だった。
雫の合格発表の日の光景は、普通よく見るそれとは凡そかけ離れたものだった。
「一緒に同じ高校行こうね。」などと約束を交わした相手もいなかったから、周りだけが慌しかった。
雫は真空状態のような静かな空間に、まるで映画のシーンを傍観するような心地でポツンと一人立ち尽くしていた。
人によっては、というより大抵の人にとって高校受験は大きな人生の節目であり、その人の今後に大きく関わってくる重要な人生の選択肢を意味するものであろう。
その節目は子の成長の責任を担う親にとっても重要なはずである。
だが、雫の場合は違っていた。
高校に合格したからといって、雫の喜びとは裏腹に、そのことは雫に関わるあらゆる人と両親にとって大したイベント性もインパクトもなく、すぐに坦々と変わり映えのない日常に吸い込まれていった。
そもそも雫が高校へ行く事を両親は望んでいたわけではないから、雫が合格したからといって、それは彼らにとってさほど喜ばしい事でも素晴らしいことでもない。
雫の父にとっては合格は高校進学選択の前提で、当然と言えば当然のことで、落ちるなどと言う事はあってはならないことなのである。
父の見栄やプライドにとって、子の受験失敗と言うレッテルを貼られずに済んだ事の方が重要だったかもしれない。
大して夢も希望も無く雫の高校生活が幕を開けた。
高校に入ってからは、よぽど問題が無い限りは、中学のように学校が頻繁に親と連絡を取るなどということはない。
ある意味それは、雫にとって親が干渉する事のない嬉しい世界であった。
夢も希望もない中で、そんな小さなことがとても大きな意味を持っていた。
何故なら雫は親にばれないように、少しずつ縛りから逃れつつあったからだ。
実は中学の終わり頃から、雫は女友達の影響で詩を書くようになっていた。
そしてそれにメロディーをつけることを覚え、こっそり楽しむようにもなっていた。
雫は楽器を演奏することは出来なかったし、歌うこともなかったが、頭の中で何度も繰り返すことでメロディーを記憶していた。
楽譜の読み書きも出来ないから、とにかく何度も何度も繰り返し記憶に叩き込んだ。
そういえば前回の話で【父による禁止事項】に『ピアノを習う事の禁止』という項目を揚げてある。
これまで触れていないので説明すると、雫は小学生の頃、日頃要求の少ない雫にしては珍しく、ピアノを習いたいと自分から親に頼んだ事があった。
しかし雫の父は「ピアノの先生になるわけでないのなら、ピアノなど必要ない。」と言って、これを受け入れなかった。
この小さな好奇心と意欲と自ら申し出た雫の勇気は、父によってあっけなく握り潰されたのだった。
詩を書き、それにメロディーを付けるようになった雫はそのうち、それらを記録する方法として音符による楽譜の他にコード譜があることを知った。
民謡邦楽一色の一家にあって、たまたま父の一番下の弟(雫にとっては叔父)が異色の洋楽マニアだった。
彼はアコースティックギターとエレキギターを所有し、洋楽でも取り分けハードロックを主に聴いていた。
雫はこの叔父にコード譜メインにギターを教わり、こっそりと作詞作曲の楽しみを見出した。
(続く)
追記:今更かと思いますが、絵に登場する人物は雫の位置づけを作者なりに表現していますが、
作者の自画像や似顔絵と言うものではありませんので、ご承知措き下さい。
TLTLE:高校生活、思いもしなかった展開1
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-17)
(『月の雫』以後、雫と省略)
禁止事項
ストーブの小窓の火を見つめながら彼は言った。
「高校、行けるんなら、行っておいた方が絶対いいぞ。」
その言葉で、雫は妙に素直に高校へ行ってみようかと思った。
そして翌日、進学する意向を担任に伝えた。
以前書いた声の事に少し戻る。
「お前の声、気持ち悪いから歌うな!」中一の時に男子生徒に言われた心無い言葉、「彼女の声はハガネみたいな声ね。」ようやく傷も癒えて立ち直りかけた時に数学教師に言われた無神経な言葉。
雫の、自分の声に対するコンプレックスは、膿んだ腫れ物のようにかなり膨れ上がっていた。
誰しも、特定の声に不快感を抱くとか、この声は嫌いだとかいうターゲットに出逢うことがあると思う。
実際、雫もそういう相手はいる。
が、まさか自分の声が自覚のないところで、これほど人に不快感を与えているなどとは思ってもいなかった。
自分がそのターゲットそのものになって、人に嫌な思いをさせていたなど考えてもいなかった。
何より人に迷惑を掛けているということが惨めで辛かった。
それでもその人たちと一生顔をつき合わせていく分けじゃないと自分に言い聞かせ、何とか思考転換して傷を癒そうとした。
が、それは、考えないように蓋をすると言う方法によって、心の奥深くに押し込まれ、蓄積されているだけであって、一時の誤魔化しに過ぎないということに、雫は気付いていなかった。
雫はただでさえ普段から口数が少なかった。
口下手で、必要な時意外は自分から人に話し掛けることもあまりなかった。
雫は、声に纏わる心の傷によって益々無口になっていた。
気付くと人に対して声を発して何かを伝えることにとても臆病になり、その単純な動作に相当な勇気が必要だった。
それは雫にとって恐怖でさえあった。
あれほど好きだった『歌うこと』に対しても、鼻歌さえ人の目を気にするようになり、人の気配のあるところでは歌えなくなっていた。
音楽の時間も以前のように声を張って歌うことがなくなった。
声を張ることがなくなった分、喘息の後遺症のようにかすれた声は途切れ途切れに音が漏れるような、ただの息にしかならなかった。
声らしからぬ声を出そうと咳払いをすればするほど声はかすれ、雫は居た堪れない感情に追い詰められるのだった。
けれどこれはまだマシな状態だった。
あれは雫が中3の冬、親戚や父の兄弟、父の仕事仲間も集まって盛大に盛り上がる正月の宴の席だった。
雫もご馳走の並ぶその席に、弟と一緒に座らされていた。
雫の父を始め、大人達は皆、自分勝手な子供自慢や偏見だらけの人生訓を一方的にその場にいた雫と弟に聞かせていた。
宴もたけなわ、手拍子で歌や踊りも飛び出し、大人は誰もが上機嫌だった。
場はすっかり正月の目出度さ一色に染まっていた。
やがて親戚に持ち上げられ、あたかも真打登場のように雫の父が歌いだした。
雫の父は世間で言ういい声で、文句なく歌も上手い。
結婚したての頃、民謡の大会で勝ち抜き、県代表となり、全国大会への切符を手にした事もある。
が、結局厳しい父親(雫の祖父だが)の猛反対により、その出場権を放棄させられた。
しかし歌を諦めきれず、流し(居酒屋や宴席で歌を披露し収入を得ること)のようなことも少しやった時期があったようだ。
そう、雫の父は歌手になりたかったのだろう。
しかし、歌手など職業としては不安定極まりない。
雫の父は、波乱万丈な博打(ばくち)のような生き方を最も嫌う彼の父親(雫の祖父)により、職人という堅気の仕事に就かされたのだった。
雫の父は、父親(雫の祖父)によって夢を諦めさせられたのだった。
その父は機嫌がよくなると決まって、自分の声に似た、良く伸びる良い声の弟を褒めた。(この時弟は小6だ。)
「俺に似てこいつは声も良いし歌も上手い。」
弟が言葉を発するたびに、良い声だと褒めちぎった。
その宴の席に居合わせた親戚の誰かだったろうか、あろう事か、雫にその流れを振った。
「蛙の子は蛙と言うから、雫ちゃんも上手いだろう。何か一曲歌いなさい。」
「ぐずぐずしてると場がしらけるから歌え」と雫の父も言った。
そして雫に拒む猶予さえ与えられないまま、辺りから手拍子が始まった。
音痴ではない自負があったものの、不安だらけだった。
その場は最早歌うしか収拾の付かない様な状態になっていた。
しかしいざ選曲を試みても、テレビを自由に観ることの出来ないこの家の生活の中で、雫が流行歌や演歌を知るはずもなかった。
ふと、たまたま、歌を覚えたいという祖母にこっそり教えていた『秋田音頭』と言う民謡を思い出し、それを歌うことにした。
雫の父達の世代の固定概念的常識として、通常女性が歌う場合、どんな曲にしろ声が高ければ高いほど、演歌や民謡なら、ころころとコブシが転がれば転がるほど上手いとされる。
多分喘息で男声の雫は、固定概念に囚われた年寄り連中に、全く酷い印象を与えたに違いない。
それでも親戚の中には良識のある人もおり、「こんな難しい歌、よく歌えた」と褒めてくれもし、皆も義理のお情けの拍手をくれた。
宴はそれなりに盛り上がった。
が、父は言った。
「全く声が悪くて誰に似たんだか。」
そして吐き捨てるように言った。
「お前は人前で歌っちゃいかん。二度と歌うな。」
歌うことは、雫にとって特別なことであると同様に、雫の父にとっても特別なことだったに違いなかった。
しかし、雫は父のこの言葉によって身も心もずたずたにされた思いだった。
雫は込み上げる涙と悔しさを堪えながら思った。
「何が悲しくて実の親にまで非難されなければならないのだろう。それも、他人から受けた仕打ちに、さらにとどめを刺されるかの如く…。」
歌った雫もバカだったかも知れないけれど、実の親にまで声を罵られ、二度と歌うなとまで言われるなどと、雫は思いもしなかった。
父に恥をかかせた罪悪感もあったが、何より唯一好きなことさえ奪われたことがショックだった。
雫はこの日、心の中では理不尽を感じながらも、人様にこれほど迷惑を掛けるなら一生人前で歌うまいと決めた。
雫が父によって禁止されたことを以下に書き出してみた。
【父による禁止事項】
教師その他公務員以外の進路の為の大学進学の禁止
人前で歌うことの禁止
ピアノを習う事の禁止
アルバイト(ろくでもない人間関係ができるという理由)の禁止
一番になれないものは禁止
(何事においても一番にならなければ駄目。それ以外は無いのも一緒。)
雫は必然と物事に取り組む事ができなくなっていった。
禁止事項ではないが、父に批判される恐怖で、絵を描くという意欲さえも相当萎縮していた。
この事は全て、雫が弱いだけで、雫が犠牲を厭わず反抗しさえすれば済む事なのかも知れない。
また、上記の事を寧ろ希望する人(しなくていいのが羨ましいと思う人)にとっては、雫の苦悩は永遠に分からないだろう。
ただ、『犠牲を厭わず』と言うことは『迷惑を掛ける事を承知の上で』ということになる。
『人に迷惑を掛ける』ことほど、辛く耐え難いと感じていたあの頃の雫に、親に反抗すると言う選択肢は考えられなかった。
(続く)
TLTLE:禁止事項
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-16)
(『月の雫』以後、雫と省略)
高校進学という選択(後編)
このやり取りの後、進路指導がどのような方向に、どのように流れていったか、雫の記憶は定かではないが
担任が、雫の将来にとっての進学の必要性を懇々と説いたようである。
そしてその後、雫の進路は担任教師の異例の行動によって、進学へと方向転換していく。
冬休みに入って間も無く、少しずつ年末の慌しさも増してきた頃だった。
初冬は比較的雪の少ないこの地域には珍しく、午後から振り出した雪が深々と積もり始めていた。
夕方からは一層冷え込みも厳しくなり、吹き始めた風と共に雪の勢いは更に増していた。
そんな田舎の車の往来も少ない細い道は、辛うじて残る轍を辿らねばならぬほど足場が悪くなって、やがてあっという間に雪に埋もれていった。
雫の家は一般の家より比較的夕食が早かったが、夕食を終えた頃は辺りの景色もすっかり夜の闇に呑まれていた。
外灯もなく暗い田舎道、村では見かけない品の良い黒のロング丈のオーバーコートを着用した一人の中年女性が、一足一足雪を跨ぎながら雫の家へ向かっていた。
雫の担任教師だった。
担任が直々に生徒の家を訪れるという、それはこれまで例のないことだった。
担任教師は、町の家とは少し勝手の違う玄関で恐縮しながら深々と雫の両親に頭を下げると、少し雑談を交わし、やがて雫の進路の話をし始めた。
「娘さんはすばらしい才能をもっている。是非進学させてその将来性を伸ばすべきです。」
担任は雫を高校へ進学させるよう、平伏すように雫の両親を説得していた。
雫の母はいつの間にかその場を立ち、台所で雑用を片付けていた。
担任とのやり取りは雫の父にその役目が委ねられていた。
担任は、歩むべき将来の道筋など未だ選択できない、人間として未熟な15歳の人生の指標を、せめて示してやらなければならないという思いに違いなかった。
教師としての誇りと信念と責務によって突き動かされるが如く、その説得には熱意があり、力が込もっていた。
雫は自分の意思とは違うところで起こっているこの光景を、不思議な気持ちで、いわば他人事のように眺めていた。
数十分繰り広げられていたこの光景に終わりが見えたのは父の言葉が切欠だった。
父は言った。
「先生が学費を面倒見てくれるのかね。」
言葉に詰った担任に、父は続けて言った。
「先生が学費を面倒みてくれるというならそれも考えるが、本人が進学しないと言っているし、私たち親もまだ他に3人の子供がいる。先を考えれば雫が就職してくれた方が助かる。」
確かに本人が進学を望んでいないのだから、他人がどうこう言う事ではない。
しかし、教師とは学問を教えるだけではなく、子供がやがて成長して社会で生きていくための豊かな人間性を育てることも大きな役目である。
人間を育てるからこそ聖職なのだ。
明らかにその子供の人生の生甲斐となるであろう個性や才能が消滅する選択を、黙って認める訳にはいかないのだ。
担任は、子供の人生の責任を負わなければならない義務教育の責任者である親を説得し、人生の先輩として子供の将来を考えて貰おうと必死だった。
しかし雫の父は言い放った。
「これはうちの問題だ。」
その数分後に担任は雪の降りしきる真っ暗な寒い夜道を、寂しそうに肩を落として帰って行った。
教師を教師と思わない、父の無知極まりない言葉と、帰っていく担任の後ろ姿が雫の記憶にこびり付いた。
担任とは言え、自分の為にこれほどまで力を注ごうとしてくれる他人の姿は、雫の心の湖面を揺らした。
何か力強いエネルギーを目覚めさせていた。
中卒の女子が職人に弟子入りし、職人として生きたいとその道を目指す事など、口で言うほど簡単ではない。
結局そのうち、平凡に誰かと結婚して子供を産んで、これが女の最高の幸せだなどと望まぬ洗脳を強いられるのだ。
母性を知らない雫が、世間の求める母性を身に纏い、自身の母性の欠落を隠し通す人生を生きることがどれほど苦痛で大変なことか。
生きていければいいが、母性を持たぬ女が子供を虐待する、精神疾患を患う、薬物依存になる、挙句は自殺する、そんな最悪な方へ転がり落ちないとは言い切れない。
こんなことはよくある話なのだ。
だが、思い返せばやはり雫の人生は良い教師に支えられていたのだと思う。
このことがなかったら、雫の人生はどんな道を辿ったのだろう。
運よくありきたりか、全く違う墜落の方向か…。
言わば父と同じフィールドで職人仕事を目指すなど、逃れられないプレッシャーに縛られ続けて、果たしてどれだけの人生を歩めるものか。
雫を心の弱い人間だと思う人もいるかもしれないが、この教師の心から生徒を思う行動は、確かに雫の人生の危険な方向へと続く進路を確実にひとつ断ったと言えよう。
担任教師が訪れたその夜、父はいつものように晩酌し酔いつぶれて寝ていた。
家はまだ薪ストーブで、寝る前は必ず残り火が消えるまで、誰かが見張ることになっていた。
それは、弟子の誰かだったり母だったり雫だったり。その時間はとても静かで、まだストーブの余熱が残る温かい空間で、誰ともなく取り留めない世間話をする、父の威嚇も縛りもない束の間のほっとする時間だった。
その夜は、当時の職人の弟子には珍しく普通高校を卒業して、他所で数年修行したという、職人の世界では稀な一般社会人の弟子が、火の番をしていた。
雫がたまたま居間を通りかかった時、彼が話しかけてきた。
「高校行かないのか?」
彼は進学についてのやり取りを聞いていたようだった。
ストーブの炎の明りが彼の顔をぼんやりと赤く照らしていた。
雫もそこへ腰を下ろした。
「うん、あまり勉強、好きじゃないし。」
雫がそう答えると彼は静かに言った。
「小学校より中学校の方が面白かったなあ。中学校より高校の方が面白かったなあ。俺は大学へ行ってないけれど、高校より大学の方が面白いんだろうなあ。」
ふと雫は「高校より大学の方がずっと面白いよ」と言っていた先輩を思い出した。
ストーブの小窓の火を見つめながら彼は言った。
「高校、行けるんなら、行っておいた方が絶対いいぞ。」
その言葉で、雫は妙に素直に高校へ行ってみようかと思った。
そして翌日、進学する意向を担任に伝えた。
(続く)
TLTLE:人生の樹3
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-15)
(『月の雫』以後、雫と省略)
高校進学という選択(中編)
「美術の先生にはならない」そう雫がいうと、父は言った。
「散々大金をかけて大学まで行って教師にでもなるならいいが、嫁にでもいかれたら二束三文だ。
どうせ女は嫁に行くんだから、大学なんか行く必要はない。」
そうだ、雫の父は常日頃口癖のように言っていた。
「女はそんなに勉強しなくていい。どうせ嫁に行くんだから!」
「教師や医者や政治家にでもなるならともかく、女が大学へ行ったって嫁に行ったら何もかも無駄だ。」
雫は取り付く島もない父の一方的な思想と言葉に、最早この人に何を言っても無駄なのだと諦め始めていた。
雫は気付かなかったが、その様子を祖父が離れたところで見ていた。
雫がその数日後、何かを訊きに作業小屋にいる祖父の所へ行った時だった。
達磨ストーブの中で時折りパチパチと燃える薪の音と、祖父の作業の手に合わせて生まれる藁の擂れる音が、暖く静かな時間に溶け込んでいた。
祖父は作業の手元から目を逸らすことなく、ぽそりと話を切り出してきた。
「大学へ行きたいのか?」
父とのあんなやり取りがあっただけに、雫はそのことはもう封印しようと思っていた。
「別にいいよ。何が何でもって訳じゃないし。」
雫も小さな仕切られた空間の心地好い雑音に浸りながら祖父の作業の手元を見つめていた。
この祖父の作業場所は雫にとって、不思議といつ来ても心癒される場所だった。
パチパチと燃える薪の音と混ざり込むような、特に抑揚もない声で祖父は淡々と言った。
「おまえが大学へ行きたいなら、土地を全部売ってでも行かしてやるから、行きなさい。」
雫の全てを包み込むような大きな言葉に雫は胸が熱くなり、涙が零れそうになった。
雫は小さい頃、病院で痛い注射をされた時も泣かなかった。
小1で近所の秋田犬に太腿を噛まれて7針縫った時だって泣かなかった。
木登りして落ちて手首を捻挫した時も泣かなかった。
また熱い味噌汁で火傷をした時も、治療の際膿んだ傷に貼り付いたガーゼを換える時も泣かなかった。
弟妹のせいでやってもいないことの責任を一番年上だという理由で負わされ父に殴られた時も、決して泣かなかった。
だが、今もこの言葉を思い出すだけで、雫は胸が熱くなり涙が込み上げてくるのだった。
そして、この時雫の心は決まった。
雫が美大へ行く事のメリットと、そのことを選択した時の諸々の犠牲とリスクを天秤にかけた。
強い意志が存在しない、ただ何となくという漠然とした雫の願望のために、戦中戦後の苦難の中で一生をかけて手に入れてきたものを雫に注ぎ込もうとしている祖父。
そんな大きなものを背負う覚悟は雫にはなかった。
そんな大きな財産を投げ打ってまで支えて貰うだけの価値は自分にないと思った。
冒頭にも書いたが、雫は勉強は好きではない。
だから、成績は当時学年で5番以内を維持してはいたが、進学というものに全く興味なかった。
さらに、進学して3年間も勉強するより、いっそのこと何か手仕事をする職人に弟子入りして自活できれば、この忌まわしい環境から抜け出すことができるし、好きな手仕事というものに没頭できるし、その進路選択こそ一石二鳥で最善の方法だと、自分なりに方向を導き出していた。
そしていよいよ進路も確定させなければならない冬休み前の最後の進路指導である。
担任は、当然雫が進学するものと思っていたようである。
「高校は決めた?雫さんなら、ここはもう堅いね。大丈夫合格するから。」
担任は何の疑問も持たないにこやかな表情で言った。
雫は少し首を傾げ、あまりに明るい担任の笑顔に躊躇した。
「…私、進学しません。就職します。」
担任は一瞬「え?」と言う戸惑いの表情を見せた。
「?…おうちの方は何と言ってるの?」
雫は答えた。
「好きにしなさいと…。」
しばし沈黙が続いた。
このやり取りの後、進路指導がどのような方向に、どのように流れていったか、雫の記憶は定かではないが、担任が、雫の将来にとっての進学の必要性を懇々と説いたようである。
そしてその後、雫の進路は担任教師の異例の行動によって、進学へと方向転換していく。
(続く)
TLTLE:人生の樹2
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-14)
(『月の雫』以後、雫と省略)
高校進学という選択(前編)
世間の中学生は本格的に受験のシーズンに突入する。
雫も遅いスタートではあったが、参戦することになる。
そして、丁度この間に雫を縛り付けるもう一つの出来事が起きる。
このことが引き金となり、父に縛り付けられたこの忌まわしい環境からの脱出計画が、雫の中で秘密裏に始動する。
中3の夏休み、卒業後の雫の進路はまだ決まっていなかった。
中学卒業後は今はほぼ100%に近く誰もが進学するだろう。
しかし田舎の学校ではまだまだクラスに2、3人は家の事情や学力不足などの理由で進学できず、その代替として就職する同級生がいた。
ニートやアルバイトで食い繋ぐフリーターと言うものも当然まだ社会的に浸透してはおらず、中卒者には進学か就職の何れかの選択肢しかなかった。
雫ははっきり言って、勉強が嫌いだった。
成績はどの教科もそこそこ優秀な位置づけにはあったが、美術以外は特に好きな教科もなかった。
漠然と美大へ行きたいという気持ちはあっても、その頃既に美大どころか進学を言葉にする気力は失せていた。
原因は2つあった。
進路などまだ何も考える必要がなかった中学に入って間もない頃のことだ。
雫は両親の前でさり気無く、自分が美大と言うものに興味があることを仄めかしてみた。
晩酌を愉しむ父の機嫌を損ねないように会話の流れを警戒し、とても遠回しに恐る恐る緊張しながらその話題に誘導していった。
しかしすぐさま父は言った。
「画家になるのか?」そして間髪入れずに続け様に言った。
「美術の先生になるのか?」たった二つの選択肢を提示され、雫はどちらかの選択を迫られた。
雫は思った。
画家や美術教師以外にも美術的な職業は沢山あると。
物のデザインや広告、衣料、メディア、インテリア、文具、書物、詳しい仕事内容やそのための方法は、その時はまだ何も分からなかったが、テキスタイルデザインや挿絵画家に憧れていた。
今は画家や美術教師以外にも色んな仕事があると、雫はなんとか父にそのことを言おうとした。
が、すぐさま雫の開きかけた口を遮るように、父は言った。
「画家になったって、絵が売れなければ食べていけないだろう?どうやって生活するんだ?」
中学生になったばかりの雫がそんな具体的なビジョンを持っている筈がなかった。
雫は黙り込んだ。
「学校の先生にでもなるならいい、公務員だし。」
そう言うと父は、現実的な話を続けた。
「公務員なら、百姓みたいに天候に左右されて、一年頑張ったって収入が殆どない、なんてことはないし、働いても景気に左右されて収入が減ったりする事はない。」
雫は教師にだけはなれないと思っていた。
以前書いたが、これまで幼い頃から雫を支えてきたのは父母ではなく、教師と言う職業に携わる人たちだった。
何度も繰り返すが、雫にとって教職とは聖職であり、その権利を手にできる人は、心広く大きな愛で子供に接する才能を持つ人であって欲しいと言うのが、理想だったからだ。
良い教師に恵まれず反感を抱き、教職者に対して恨み辛みの思い出ばかりを抱える子供も少なくはないだろうが、有り難いことに、愛情の希薄な親の代わりに、雫は良い教師達に恵まれてきた。
今雫がこの世の中で様々な疑問を抱えながらも生活していられるのは、そういう教師との出会いがあったからに他ならなかった。
だからこそ雫は、自分如きにとても教師の役目など負えないと思っていた。
「美術の先生にはならない」
そう雫がいうと、父は言った。
「散々大金をかけて大学まで行って教師にでもなるならいいが、嫁にでもいかれたら二束三文だ。
どうせ女は嫁に行くんだから、大学なんか行く必要はない。」
そうだ、雫の父は常日頃口癖のように言っていた。
「女はそんなに勉強しなくていい。
どうせ嫁に行くんだから!」
「教師や医者や政治家にでもなるならともかく、女が大学へ行ったって嫁に行ったら何もかも無駄だ。」
雫は取り付く島もない父の一方的な思想と言葉に、最早この人に何を言っても無駄なのだと諦め始めていた。
(続く)
TLTLE:人生の樹1
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(『月の雫』以後、雫と省略)
言葉の刃(ヤイバ)(後編)
ところがこの出来事は更に、過去のある不快な出来事の記憶を呼び覚ました。
雫にとって年月を経てやっと癒えつつあると思われた傷、薄れつつある心の痛みと傷痕、雫の中でそんな忘れかけてきていた筈の出来事だった。
中学に入学して間も無くに、同じように声に対して受けた、心無い言葉の刃によるものだった。
あれは中学1年の時だった。物品購入で初登校した日に声のせいで男子生徒と間違われ噂された事や、電話で女友達の父親に男と間違われた事、(培養液(11)を参照)それらの後の、入学して数ヶ月たった、学校生活や授業にも慣れた頃の音楽の時間の出来事だった。
音楽の時間といえば、雫は小学生の時からよく男子生徒の列の隣の席に座らされた。
雫はソプラノパートの声が出ないこともあり、いつも女子の列から外されてアルトパートへ回されていたから、大抵男子の隣りで歌うことが多かった。
雫自身は小学校6年間そうだったことで慣れもあり、さほど気にも留めず、仕方の無いことと割り切っていた。
雫の声はけっして美しい良い声とは言えなかった。
一般的には悪声と言われる部類だったかもしれない。
しかし雫自身は歌うことに関しては絶対に音痴では無い自信はあった。
だから男子パートに回されることは、声変わり時期で不安定な男子のハモリのパートを自分が支えていると言う責務のように感じられ、嫌ではなかった。
寧ろ、嬉しかった。
それに何より歌うことは好きだった。
歌うことは、誰にも制約される事のない、この頃の雫にとって唯一の喜びであり、自由だと信じていた。
小学校の頃からこのような状況に慣れていたとは言っても、当初クラスの女子でアルトパートに回される者など雫意外に滅多にいなかったから、初めからすんなり受け入れた訳ではなく、自分なりにその役割を受け止めるようになるまで心の葛藤はあった。
幼い雫が長い年月のそうした葛藤の中で、不安や苦痛を乗り越え自分なりに見出した、自由な楽しみの時間だった。
その日の音楽の時間も雫は一生懸命歌うことを愉しみ、歌う喜びを味わった。
授業も終了間近、幸福な気持ちに満たされ充実した時間の余韻に浸っていた雫だった。
と、その横で、隣の席の男子が徐に雫を見ると吐き捨てるように言った。
「お前の声、気持ち悪いから歌うな!」突然浴びせられたあまりに酷い言葉に、雫は一瞬自分の耳を疑った。
容赦のないその言葉は雫の胸に深く突き刺さり、その鋭利な言葉の刃は雫の心の奥底まで達するほどの大きな深い傷を刻んだ。
彼にしてみれば他愛もない、軽い気持ちから出た一言であったかもしれない。
しかし雫から数少ない自由を奪おうとする、重い一言だった。
雫はこの時、自分の中に、明らかに彼に対する殺意が生まれたことを覚った。
雫の脳裏に彼に対する憎悪の言葉が溢れ出した。
「こいつ、殺してやろうか!」「死ねばいい!」そんな酷い言葉が次々と雫の脳裏を駆け巡った。
それは胸が締め付けられそうな怒りと共に雫を侵食していった。
しかし特異な家庭環境で身に付いた自己防衛だろうか。
雫は一心にその殺意に押し潰されまいと、自分を殺意から回避させるための理由を作り出していた。
その理由は、学力、容姿、行動力と色々な面でその年齢の男子の標準よりかなり劣っている彼を心のどこかで蔑む、『彼に対する蔑視』と言う、少し歪んだ考えから生まれたものだった。
「こんなくだらないことを平気で言うようなつまらない人間の言葉は忘れなさい」と、雫は繰り返し繰り返し自分に言い聞かせていた。
だが、殺意を払拭したと思われたそんな雫を、次に襲ったのは自己嫌悪と焦燥感だった。
彼に対する殺意からとは言え、本気で酷い言葉と憎悪の念を抱いた自分を、雫は軽蔑せずにはいられなかった。
心の中に人として恥ずべき諸々の感情が蠢き、長い葛藤が続いた。
ようやくそれらが雫の中で薄らいできていた頃に、再び襲ってきたバスの中の出来事だった。
数学教師の最後の言葉が突き刺さった。
それ以降の会話は耳に入らなくなった。
これまで会ったどんな人も皆それぞれなりの心配りで、雫が傷付かないように言葉を選んでくれた。
どんなに低くて太くて男声に聞こえても、『ハガネ(鋼、刃金)』などと言う酷い比喩をする人はいなかった。
なのにこの女は教師と言う職にありながら、視界に本人がいるにも関わらず、声のボリュームを絞るでもなく無神経な比喩で、心身共にまだまだ未熟で不安定な思春期の生徒の身体的欠陥を、平気で公衆の場で晒している。
雫はデリカシーや思いやりの欠片もないこの女性教師を軽蔑した。
途端に雫は、彼女の、決していいとは言えない容姿に憎悪を抱いた。
人の容姿は本人が決めたものではない。
これだけは非難してはいけないと心に決めていたのに、雫の心の中には既に歪んだ思考に憑依された忌まわしい雫が生まれていた。
「あんたみたいなブスにそこまで言われる筋合いはない!」、そんな思いと最早その女性教師を全否定する嫌悪ばかりに埋め尽くされていった。
その日以来、雫は彼女の顔を見るのも声を聞くのも嫌になり、彼女の授業は全く耳に入らなくなった。
その様子は恰もその女性教師への反逆行為の如く、彼女の担当する数学に於いて雫の成績は一気に落ち込んだ。
数学に関して、それまでは得意ではないにしろそれなりの成績を維持していた雫が、突然学年最下位を争うようになった。
教師は異変に気付き慌てふためいた。
「雫さん、今まで成績よかったのに急にどうしたの?」と声をかけて来たが、自分に原因があることすら気付かない無神経ぶりが、益々腹立たしかった。
あと僅かでこの教師の顔を見ずに済むと思うと余計に、「あんたなんかに口を開いてたまるか」と頑なになる雫だった。
彼女が困れば困るほど寧ろ「ざまあみろ!」という心境だった。
これまで教師寄りで何の問題もなかった生徒が、受験モード突入の時期に自分の教科で突然異変をおこしたら、教師としてはさぞ困ったであろう。
それはこの頃、雫がまだ受験する意志が決まってなかったことも少なからず影響し、拍車を掛けていた。
だが、雫もこんなことで人生の選択を間違えるほど馬鹿でいる訳にはいかない。
これは雫が心無い言葉の刃に傷付き、今も忘れるに忘れられない出来事の一つではあったが、冷静になれば自分自身の為にこのままでいい筈もなかった。
結局雫もその後、受験生の仲間入りをすることになり、このことについては悔しいかな、最終的には年明け後3ヶ月で軌道修正をするのだった。
世間の中学生は本格的に受験のシーズンに突入する。
雫も遅いスタートではあったが、参戦することになる。
そして、丁度この間に雫を縛り付けるもう一つの出来事が起きる。
このことが引き金となり、父に縛り付けられたこの忌まわしい環境からの脱出計画が、雫の中で秘密裏に始動する。
(続く)
TLTLE:言葉の刃2
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(『月の雫』以後、雫と省略)
言葉の刃(ヤイバ)(前編)
雫は『声』で嫌な思いはしていたが、ここまではまだそのことを気にしないでいてくれる友達のおかげで傷が悪化することはなく救われていた。
そのことは雫自身が多少傷付いたとしてもそれなりに笑い話にもできる範疇の傷に治めてくれていた。
人生を左右しかねない決定的な傷となったのはその後の二つの出来事だった。
雫が声を発するとそれを聞いた人は100%驚いた顔をして、その表情を誤魔化すかのように「低い声ね。」「ハスキーな声ね。」と笑顔を繕って言った。
他の人たちも悪気がなく、取り敢えず気を遣ってくれているのが分かったから、雫は初対面で多少不快な思いを抱いたとしても、自分自身も周りの人の思いやりの部分は認めようと努めた。
そうして日々の生活の中で、雫は自分の声に纏わる様々な反応を受け入れられるようになってきたところだった。
それは世の中の高校受験モードが、そして受験生大半が本格的に動き出す、雫も中3になった夏休み前だった。
下校後、雫は友人の家に寄るために、普段は乗ることのないバスに学校前停留所から乗った。
そのバスには、一日を終えて下校する生徒だけでなく教師も数人同乗していた。
雫は友人とバスの真ん中辺りで吊り革に掴まり揺られていた。
後方部の席に雫の学級担任と、春に赴任してきた数学の女性教師が座り雑談をしていた。
その数学の女性教師は雫のクラスの教科担任だったが、洒落も通じず全く冗談を言うこともなく、生徒と会話する時の鼻で笑う癖や何かにつけて高慢そうな彼女の表情が、雫はあまり好きではなかった。
雫が彼女にそんな印象を抱いたのは、彼女が赴任して間も無く、ある時の些細な出来事が原因だった。
その日の授業も終え、担任の代理で清掃確認に彼女が教室にやって来た。
クラスメートの男子数人が、物珍しそうに新入り教師の傍に寄り集った。
雫は教室の隅で掃除用具を片付けながら、その様子を窺っていた。
男子生徒の一人が緊張した表情で彼女に他愛無い質問をした。
「先生、中学校の時、成績何番だった?」彼女は顔色ひとつ変えず、「一番よ。」と答えた。
「通知表はオール5?」それにもさも当然のように抑揚のない声で「そうよ。」と答えると、さっさと手元の物を片付けて教室を出て行った。
雫はその様子に不快な苛立ちを覚えた。
これまで父母ではなく、教師と言う職業に携わる人に支えられてきた雫にとって、彼女の行動は、新人とは言え、懐の広さが微塵も感じられないものだった。
雫の不快な苛立ちは彼女の教師としての資質や人間性への不信感から生まれたものだった。
教師によってこれまで『生』のエネルギーを与えられてきた雫にとって、教職とは聖職であり、その権利を手にできる人は少なくとも世間の一般人より心広く大きな愛で子供に接する才能を持つ人であって欲しいと言うのが、雫の理想であり、願いだった。
雫にとって教師とは、人間として尊敬すべく特別な存在でなければならなかった。
全くこれに当て嵌まらないこの新人教師に対して、雫の中に彼女への不信感が生まれ、それが彼女に対する拒否感へと変わっていった。
車中の二人の教師の会話が雫の耳に届いてきた。
「あ、彼女が『月の雫』さんね。優秀だけれど、とても大人しい子ね。」数学教師が言った。
「そうね、どちらかと言うと消極的だわね。」と担任が言った。
数学教師が唐突にその言葉の後に続けた。
「に、しても彼女の声はハガネみたいな声ね。」
雫は一瞬自分が真っ暗な空間に落ちていく感覚に襲われた。
「彼女の声はハガネみたいな声ね。」そのフレーズが雫の脳内を何度も駆け巡った。
「ハガネみたいな声ってどういう意味?」雫は自問しながら、大きな傷を負うまいと回避策を探すように、自分の心に立ち始めた不穏な波を鎮めようとでもするかのように、自身を納得させる答えを探した。
声のことで何度も傷付き痛みと闘ってきた雫にとって、心無いその女性教師の言葉は、教職に就く者としてはあまりに無責任なものだった。
雫にとっては、血が通い生きている生身の人間の声ではない、冷たく硬い金属の声だと言われているような屈辱だった。
雫は、今存在している生身の自分が、金属で出来たもう一人のロボットの自分に取り込まれ、占領されていくような感覚に襲われた。
雫は思った。「私の声は、自分が思っている以上に他人を不快にしているのか?」「友達は口にこそ出さないけれど、本当はあの教師と同じように感じているのか?」「自分が気付かない間に、沢山の人を不快にしているのか?」そして付き合いも浅い初対面の人間に、言葉を濁す心配りもさせないほどに自分の声は不快なものなのかと思い巡らした時、雫は自分の存在事実にすら所在無さを感じ始めていた。
「私は人々にとって、それほど不快な存在なのか?」
このような雫の思考回路は他者から見れば被害妄想にも等しい、ネガティブ思考そのものに違いない。
しかし父によって雫は可能性の芽を摘まれ、自己に於ける自信を須らく喪失しつつあった時、雫は、前に向くどころかそこに立つ事を維持するのが精一杯だった。
悪気はないにしろ心無い無責任なあの女性教師の例えは、雫の心に『冷酷な刃物のような声』という認識を植え付け、倒れないように必死にその場を踏み締めている力を奪うものだった。
雫は自身の存在意義に大きな不安を抱き、喪失しそうな『生きる力』に必死にしがみ付いていた。
ところがこの出来事は更に、過去のある不快な出来事の記憶を呼び覚ました。
雫にとって年月を経てやっと癒えつつあると思われた傷、薄れつつある心の痛みと傷痕、雫の中でそんな忘れかけてきていた筈の出来事だった。
中学に入学して間も無くに、同じように声に対して受けた、心無い言葉の刃によるものだった。
(続く)
TLTLE:言葉の刃1
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-11)
(『月の雫』以後、雫と省略)
声のこと
自己否定により追い詰められながらも、雫は新たに小さな楽しみを見出した。
が、それもすぐに強烈に否定され、雫は再び打ちのめされた。
雫はそのことで一層、自分の感性も能力も身体的機能も、全てを否定するようになり、更に心に大きな傷を負うことになる。
一般的に喘息を患うと声がかすれるようだ。
それは頻繁に発作と付き合う幼少期に限らず、成人した後も永久的に付いて回る、個性もどきのハンデである。
雫も幼少期に小児喘息を患い、おそらくそのせいであろう、世間で言うところのハスキーな声をしていた。
それはとても十代の少女の声とはほど遠いものだった。
声がハスキーと言うと一般的にそのイメージは、昔で言うところの『青江三奈』や『桂銀淑(ケイ・ウンスク)』、もう少し年齢を下げると『中村あゆみ』あたりを想像するだろうか?
『宇多田ヒカル』は高く細い声だが、彼女もまたハスキーと言える声質も持っているだろうか?
(そういえば彼女も喘息だったと何かの本で読んだ。)
しかし雫は彼女達のようなカスレ声ではなく、どちらかと言うと本当に低音と言った方が当て嵌った。
話す声はかなり低く太かった。
自分ではそれほど太いという自覚はなかったが、日常の生活の中で人と接する度にそのような意味合いの言葉を遠回しに耳にすることがあった。
この頃の雫はまだ、自分の声に対して自覚が薄かったため、自分の声が人にそのような印象を与える事に疑問を抱いていた。
中学生頃から電話に出れば必ずと言っていいくらい、弟や、果ては父と間違われる事が重なり、雫の自覚とは別に、何よりも事実がそのことを証明していた。
雫は否応無しに現実を思い知るのだった。
そんな訳で始めは自覚が薄くとも、この声に纏わる苦いエピソードがいくつも重なるにつれ、雫は否応無しにそのことを認め、受け入れない訳にはいかなかった。
それは真綿で首を絞められるような苦痛を強いられ、わざわざその苦痛を認識していくことでもあった。
あれから今も変わらず雫は、やはり初めての人の前で声を発する事には躊躇する。
あの頃から状況がかなり変わったとは言え、不安は根付いている。
そこまで根付いてしまったエピソードを書き止めようと思う。
あれは雫が中学に入学する時、物品購入で初登校した日のことだ。
雪国では制服のある中学校や高校は、冬は女子もズボン着用が許可されている学校が多い。
雫の入学する中学校も制服はセーラー服であったが、同様だった。
この日雫はズボンを履き、セーラー服の上に防寒用の上着を着ていた。
そして同じ出身校の女友達と雑談しながら購入の順番待ちをしていた。
すると少し離れた後方から数人の男子生徒の会話が耳に入ってきた。
「あいつ髪の毛長いじゃん。中学校は男はみんな坊主だろ?」
始めはヒソヒソ話のトーンだったが、やがて会話の声は笑いと共に、気に留めずとも耳に届く大きさになった。
「はあ?あれ女か?」
「いや、声からして男だろ。」
雫の髪の毛はショートカットが伸びた形で、肩に掛かっていた。
けして男子に間違われるほど短いとは言えない長さだったが、そっと振り返ると、彼らは明らかに時々指差しまでして雫のことを話していた。
確かに声変わりしていない男子よりも男っぽい声だったけれど、この時期にわざわざ、『男子は坊主刈り』という校則のある学校に、わざわざだ、長髪のまま登校する無謀な勇気のある新入生はいないだろうと、雫は内心思った。
彼らは並んでいる間中、雫が男か女かの話題に終始していた。
雫は、いずれ気付くことだと、聞えていない振りをしてその場をやり過ごした。
雫は入学後その彼らとクラスが一緒になったかどうかは全く覚えていないのだが、今振り返れば、心がそれ以上傷まないための無意識の防衛本能が働いたのかもしれない。
また、こんなこともあった。
入学した初日、雫の席のとなりの女子が欠席していた。
偶然にも彼女は雫の母と同じ名だった。
彼女は数日間欠席したが、雫は母と同じ名の彼女に興味を抱いた。
彼女と同じ出身校の子に、「○○ちゃんってどんな子?」と思い切って訊ねると「髪の毛の長い、可愛い子だよ。」と言う返事が返ってきた。
雫は彼女に会えるのをとても楽しみにした。
数日後彼女と対面した雫はすぐに仲良くなり、彼女の家の電話番号を教えて貰い、遊びに行く約束をした。
その夜7時頃、雫は新しい環境で特別に思いの通じた友が出来た嬉しさから、思わず彼女に電話をした。
電話には彼女の父親らしき人が出た。
が、雫は何故か、その男性のとても不機嫌そうな「いません!」の一言で電話を切られた。
翌日、学校で会った彼女が言うには、電話にでたのはやはり彼女の父であり、父は雫のことを男子生徒と勘違いしたらしかった。
「中学に入った途端に、男をつくるとは!」と彼女は叱られ、どんなに説明しても信じてもらえず、結局雫が、その週の日曜日に彼女の家に行ったことで、疑いが晴れ、無事に誤解は解けたのだった。
彼女の家はかなり村はずれで、あまり友達が遊びに来ることがなかったと言うこともあってか、「これからも遊びに来て、仲良くしてやってくれ」と言った、彼女の父の申し訳なさそうな、それでいてとても優しい顔が印象的だった。
雫は『声』で嫌な思いはしていたが、ここまではまだそのことを気にしないでいてくれる友達のおかげで傷が悪化することはなく救われていた。
そのことは雫自身が多少傷付いたとしてもそれなりに笑い話にもできる範疇の傷に治めてくれていた。
人生を左右しかねない決定的な傷となったのはその後の二つの出来事だった。
(続く)
TLTLE:消滅していくボイス
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(『月の雫』以後、雫と省略)
エリート(サラブレッド)コンプレックス
しかし絵を描きたいという心がなくなった分けではない。
ある人の言葉により、雫の絵に対する気持ちは消滅することなく保たれ、支えられていた。
「美術部がなくて残念だけれど、貴方に油絵を描かせてみたい。この道へ進みなさい。」
それは中学で巡り会った担任教師の言葉だった。
この時はまだほんの僅かではあるが、雫の中には夢として存在しているものが何かしらあった。
中学時代は好きな絵を描くということもなく、雫は自分の能力を隠すように過ごした。
自発的に何かを始めたり、何かに取り組んだりすることもなかった。
しかし雫が極力目立たないようにしているにも拘わらず、雫の家の能力評価の基準を知らない教師達はそんな雫に対して、大勢の前に晒されるような役目ばかりを与えたがった。
教師達は彼らなりに生徒一人ひとりの能力を伸ばそうとしていたのだろう。
だが日々、父の極端な能力評価に晒され、自覚なくその人格を歪められていった雫にとって、教師という職種の人達の、子供に対する夢多き将来への指導や激励は、苦痛に他ならないものだった。
いつの間にか雫にとって、褒められる事とは父から褒められる事のみ意味があり、それ以外の他人からの褒め言葉など気休めの奇麗ごとで、単なる大人の建前(職業がら仕方ないか…というような)としか、受け止められなくなっていた。
雫の中では実際のところ、他人の褒め言葉はどんな場面に於いても取るに足りない低いレベルに感じられた。
父以外の第三者に褒められる度に、何故そうも簡単に他人を褒めるのか、何故自分が褒められるのか、自分の能力やしていることは褒められるに値することなのかと疑問ばかりが湧いた。
雫には分からないことばかりだった。
やがて他人に褒められると、えも言われぬ不快感に襲われるようになった。
褒め言葉の安売りをされているようで、腹が立った。
自分はこの程度のことで褒めなければいけないような、低いレベルの人間なんだ、雫の中にそんな憤りの感情が湧いた。
明らかに子供らしさや素直さとは程遠い、歪み屈折した感情だった。
人に厚意を受けると、情けを掛けられたと感じ、プライドが傷付くと言う要素も含んでいたであろう。
本当に何かしらのジャンルで世に名前でも知れ渡っているほどの超エリートの家系ならば、その専門に於けるレベルの高さは認められようものの、雫はただのちっぽけな村落の一職人の一子供である。
いったい何のプライドだと言うのだ。
取るに足らない掃いて捨てるようなプライドに雁字搦めになっている雫。
掃いて捨てるようなと言いつつ、容易に捨て去ることのできないプライド。
そのプライドを作り出したのは紛れもなく雫の父である。
雫の父は、世の中に選ばれた、突出した才能を生まれ持った人間、つまりは天才やエリートに憧れていた。
言わば、エリート(サラブレッド)コンプレックスだ。
雫の父もまた、才能の育成力のない環境で、望みもしない、突出とまでいかなくても世間の人々よりやや抜きん出た才能を授かってしまったが為に、それに付随する様々な感情に翻弄されていた。
無い物強請りに過ぎないということにすら、気付いていない。
そんな人生を背負い、自分が叶えられなかった夢を子に委ねるというのは珍しくない話だが(と言っても、そういう状況に於かれた子も悲運であるが)、その叶わない願望に縛られたことで生まれてしまった憂さやストレスを、こともあろうか自分の子供に振りかざし、子の将来を閉ざす(と言うより潰すと言った方がぴったりだ)など、親のすることか。
しかしそれは後の祭り、雫が負わされたつまらないものは、いざ捨てたくともこびり付いていて、容易に削ぎ取ることはできない。
雫は自分の意思とは無関係に、抱きたくもない感情に縛り付けられ、もがいている。
雫の父はというと、雫が中学生になってからも、子の能力にあった未来や将来を考えるどころか、相も変わらず叶わぬ願望ばかりを押し付けている反面、道を開く指標となるものは何ひとつ示してはいない。
寧ろ閉ざし、奪うばかりで。
自分が親から引き継いだ能力を、あろうことか親によって潰される境遇に生まれて来た意味、雫がこの境遇に生まれて来た意味とは何だろう?
雫がこのように育たなければならなかった意味とは何だろう?
意味がないなら苦しむ必要などないし、雫がこんなことを考える神経など要らないじゃないか?
意味を見つけなければ、存在そのものが否定されるのに等しい、雫はそんな危機感に苛まれていた。
雫はこの頃、父の偏愛的はエリートコンプレックスにより、自分の出来損ない振りを思い知らされ、自分を否定してばかりの毎日から抜け出す術さえ見失ってた。
それは生きる気力のない、ただ同じ毎日を繰り返している、呼吸する人形のようだった。
生きたいから生きるのではなく、死ぬことが出来ないから生きているだけ、死ぬと迷惑を掛けるから生きるしかない、そんな意識さえも鎖のように雫の心を縛り付けるのだった。
自己否定により追い詰められながらも、雫は新たに小さな楽しみを見出した。
が、それもすぐに強烈に否定され、雫は再び打ちのめされた。
雫はそのことで一層、自分の感性も能力も身体的機能も、全てを否定されるようになり、更に心に大きな傷を負うことになる。
(続く)
TITLE:コンプレックス
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-9)
(『月の雫』以後、雫と省略)
父によって課せられる目標
人生には生きていく過程に沢山の障害が存在するだろう。
雫にとって父こそが、雫の人生の最大の障害だった。
そして、その障害を乗り越えたとしても、踏み潰されてしまった未来への可能性の芽は、そこには最早存在しない。
運よく生き伸びていたとしても、それを形成する根本は変形し、社会の中で生きるには終わりの見えない苦痛を強いられるのだ。
最初に記したが、雫の父は手先の器用さと美的感覚が必要とされる職人だ。
だからなのかもしれないが、芸術に対して高い理想を持っていた。
それ故に、雫の父は滅多なことでは人を褒めることもその作品を褒めることもなかった。
それは相手が子供だろうと変わりはなかった。
特に美術的作品(書道等も含めた創作全般)に対する評価の基準が恐ろしく高かった。
世間の子煩悩の親は自分の子供の作品ならばよっぽど下手でない限り手放しで喜び褒めるだろうし、まして目を惹くほどならば無条件で「上手だね~」などと褒め千切るだろう。
しかし雫の父は違った。
雫以外の子供に対しては、その年齢の子供にしてはかなり上手い場合のみ(少し上手い程度は問題外)、本当に感動した表情で褒めることはあっても、雫を褒めることは決してなかった。
では雫に対してはどうだったか。
年齢相応の基準ではなく、国宝だったり日本一の作品だったりを基準に父が判断した。
子供に、葛飾北斎や横山大観に匹敵する絵を描けと言っているようなものだった。
そのことを作家の名を挙げて具体的に言葉にしていた訳ではないが、雫の作品に対する父の全ての批評や批判がそれを物語っていた。
確かに父は彫刻にしても絵にしても、その道のプロと比較できるほどクオリティーの高い作品を生み出していた。
当然雫がそんな父の足元に及ぶ筈もなかった。
作品を評価する時、ランクの最低ガイドラインが父なのだから、雫は一度も父にそういうものを褒められることがなかったのだった。
母はというとどちらかといえば、そういう芸術的なセンスはなく、この分野に口を出すことは一度もなかった。
雫が自分の作品の出来栄えに評価を求めたとしても、母は作品に対するアドバイスどころか良し悪しの感想すら述べることはなかった。
雫が父の評価の重圧から逃れる為に、単純に褒めて貰いたい時でさえ、母の言葉は「わからない」の一言だった。
それほど褒めるに値しないのか、雫にその手の才能が皆無だったのかというと、客観的に判断するならば、それなりに自信を持って才能と自負してもよいレベルにはあったと思う。
小、中学生時分は絵や書道に関しては、県内展レベルなら、常に何かしらの上位の賞を貰っていた。
まず、賞から漏れることの方が珍しかった。
しかし、どんな賞を貰おうとも、雫の父の評価はいつも厳しかった。
その言い方も何かしら遠回しに皮肉っぽく、辛辣な言葉ばかりだった。
例えば、雫が絵と書で特賞を貰った時のことだった。
「特賞?これは一番か?」
「違います、二番です。」
「一番は、何と言う賞だ?」
「推賞です。」
「ちゃんと誰かが取ってるんだろう?何でお前が取れないんだ?」
「…」
それは推賞を取れなかった雫を責めるだけで、何一つアドバイスらしいものもなければ、励ましの言葉もなかった。
また普段苦手な教科のテストが90点台だった時も、父が言う言葉は決まっていた。
「なんで100点が取れないんだ?」
そう言って雫をなじるばかりでその努力を褒め称えることはなかった。
成績に関しても、通知表の学年順位欄を見るなり「何で一番じゃないんだ?」と雫を咎めるばかりだった。
子供の気持ちを思うと、とても理不尽で気の毒である。
が、雫は嫌いな父とは言え、この頃は子供ながらにも、父のその才能と能力は認めていた。
だから、自分を責めるばかりの父を非難するどころか、寧ろ父の要望に応えられない自分が出来損ないなのだと己を責め、弟子を抱え尊敬されるべき父の名誉と存在を傷付けているという罪悪感に縛られていた。
雫が一般的な子供より抜きん出ていた事と言えば絵を描くことであり、何より好きなことも絵を描くことに変わりはなかった。
しかし雫が家人の目に付くところで絵を描く事はあまりなかった。
それは挫折感を味わうだけの父の酷評に晒されることを意味していたからだった。
大抵部屋でこっそりと描く程度で、目に付くようなところに貼ることもなかった。
小学校も中学校も、一番には親が恥ずかしい思いをしないように、雫は優秀に見えるスタンスで、周りの顔色を伺いながら揉め事を起こさぬように、『いい子』を維持して過ごした。
問題を起こして親が学校に呼ばれるなどと言うことがなかった代わり、必要以上に注目されて親の目を引くなどと言うこともなかった。
極力目立たないように、ひっそりとすごした。
通知表にはいつも『何でも大変そつなくこなすが、消極的である』そんな事が書かれていた。
積極的になって父を刺激し、必要以上に父から『期待』を背負わされないための、雫なりの自己防衛であり、調子に乗った父が恐ろしい理想を雫に求めないようにするための回避策だった。
この期間、楽しい事などなかったけれど、雫は静かな年月を送った気がした。
それに、幸いというか(本音は残念というか)、中学には美術の授業があっても美術部なるものがなかった。
だからこの中学の3年間で雫が絵と言うもので自分を主張或いは表現する事もなかったが、父を刺激することもなかった。
学校と言う、唯一雫が父の目から逃れて自由でいられる場所が在るということが、雫にとっては何よりの幸せだった。
しかし絵を描きたいという心がなくなった分けではない。
ある人の言葉により、雫の絵に対する気持ちは消滅することなく保たれ、支えられていた。
「美術部がなくて残念だけれど、貴方に油絵を描かせみたい。この道へ進みなさい。」
それは中学で巡り会った担任教師の言葉だった。
この時はまだほんの僅かではあるが、雫の中には夢として存在しているものが何かしらあった。
(続く)
TLTLE:難題
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-8)
(『月の雫』以後、雫と省略)
父
しかし、そんな祖父の意気地に支えられている反面、その後も祖父の教育とは全く対極と言える、父の自己中心的な、子供教育には凡そそぐわない思想に雫は縛り付けられながら、青春時代をすごすことになる。
雫が子どもの頃(小学生頃)、大人は夕方5時くらいには田畑仕事を終えて帰宅した。
家に入るなり、雫の母は夕飯の支度に追われた。
祖母は3割ほどお勝手を構った後、風呂を済ませた祖父と共に、7時までNHKの相撲中継とニュースに興じていた。
この家では、一方では慌しく人が動き回り、一方では穏やかな空間が隣り合わせに存在していた。
その頃、父や弟子が外の仕事から戻り、夕食になる。
彼らが作業着を着替えたり、手足の汚れを落としたりしている間に、相撲やニュースを見終わった祖父は特にものを言うこともなく、畳2畳程の長さの食卓の上座に座ると、祖父用に準備された食事を比較的短時間でさっさと食べ終え、作業部屋か寝室へ消える。
その後、上座へは父が座り、弟子とあれこれ説教や世間話を交えながら食事を始める。
勿論父は、食事というより晩酌である。
他人行儀の食卓は妙な緊張感に包まれ、弟子達もそう長々と居座る事などない。
何故なら職人の世界は、早飯(速飯)早便(速便)と言って、これに時間が掛かる人間は出世しないと言われ、仕事に於いても見込み無しと見られる傾向があったからだ。
のんびりと食事をしていようものなら、こいつは仕事もできないと判断されるようなものなのだった。
弟子への示しと言う事もあるのだろうが、このことは雫達子供にも然りであった。
おかしな事だが、この家は、ゆっくり味わいながら食事をすることが許されない環境だった。
それなのに、雫の父は酔うと誰彼構わず捕まえては説教を始める癖があった。
そしてそれは大抵くどくなった。
長居してはいけないのだから、弟子達は必然とこの場を上手く交わす術も身に付けていかなければならなかった。
物事が矛盾している。
弟子達は一人二人と、説教のターゲットにされる事から逃れるように座を立っていく。
残念ながらこの家の食卓は決して寛ぎの場ではなかった。
早々に食事を切り上げる弟子達の本音は、仕事の能力を判断されることより、実は、息苦しい場所から早く逃れたいというのが本心だったに違いない。
弟子が食事を終えると、後は雫の父が、時に茶の間から居間へと場所を替え、テレビを見ながら気の済むまで晩酌を楽しんでいた。
(これは普通に帰宅した時の父の過ごし方だが、外で呑んで来て午前様になることも度々あった。)
問題は、そのような時に始まる、父の社会論だった。
酔っ払いの父の気分が良く、雫達子供が見たいテレビ番組を運よく見ることができ、同じ部屋にいる時にそれは突然始まる。
一人良い気分で酔っ払った父がテレビ番組やニュースに感化され、行き成り身勝手な社会論を語りだし、周りを洗脳し始めるのである。
テレビのニュースや様々な娯楽番組に、あーだこーだと文句を言い始める。
決して前向きな言葉や感嘆ではなく、大抵は不満や罵倒ばかりだった。
それは言葉に絹着せぬ、常識ある者なら決して口にしてはならない言葉だった。
(以下、かなり過激な表現なので、身体に障害をもたれる方や、そういう事、人に関わっている方は心して読むか、次の段に回避して下さい。冷静に居られるようお願いします。)
以下、◆~◆カーソルで読むようにしておきます。
◆例えば戦争のニュースなら「こんな奴ら、爆弾を落として皆殺しにすればいい」とか、障害者の番組などには「自分の子供がこんなだったら、俺は子供をブチ殺す。こいつら生きていて意味があるのか。」とか、子供の前だろうがお構いなく、かなりの過激発言を平気でする。
「この世に障害者は要らない。それに使うお金は無駄だ。」それが雫の父の思想である。
自殺には「死にたいやつは死ねばいい」と言い、犯罪のニュースには「犯罪者は牢屋にぶち込んで二度と出すな。」「殺人者なんか有無を言わさず、死刑にしろ。」
もしも障害を持ってこの家に生まれていたら確実に差別され、世間から隔離された生活を強いられていたかもしれない。
そもそも生まれることを許されなかったかもしれない。◆
あまりに飛躍しすぎて、空いた口が塞がらないが、雫達子供に対しても、人に迷惑を掛けるような悪いことには厳しかった。
但し、父自身の幼い頃の悪ふざけは自慢気に話した。
そして天才と人間離れしたものに関しては珍しく感動し褒めちぎる傾向があった。
そういうものに特別な意識を持っていたようだ。
ただし性質が悪いことに、雫の父はそれ(天才、或いは人間離れした才能)を雫に求めていた。
雫は4人弟妹だが、父の無謀な理想を押し付けられるという被害に遭ったのは何故か雫だけだった。
初めて子供を授かった時、父がまだまだ世間知らずの若蔵だったからかも知れないし、高すぎる理想は実は、反面、自分自身へのコンプレックスの現れだと思われる。
子供は皆、可能性の塊である。
どんな子供も未来へ伸びて行く力を持っている。
目の前の障害を一つ一つ乗り越えながら、可能性の芽は伸びて行く。
おそらく放っておいたとしても、子供は日常生活の中で、自分自身で日々何かを体験し、それによって得るモノが最低限の気付きであろうと、そのことは今よりも未来へその子供の可能性の芽を成長させるに違いない。
しかし雫の父の教育思想は教育とは名ばかりで、雫に自分のプライドを維持するための理想を押し付けているに過ぎないものだった。
それは雫の未来から尽く夢と希望を奪っていった。
雫の父の教育思想は、その伸びようとする子供の可能性の芽を踏み潰しかねないものだった。
いや、踏み潰していた。
人生には生きていく過程に沢山の障害が存在するだろう。
雫にとって父こそが、雫の人生の最大の障害だった。
そして、その障害を乗り越えたとしても、踏み潰されてしまった未来への可能性の芽は、そこには最早存在しない。
運よく生き伸びていたとしても、それを形成する根本は変形し、社会の中で生きるには終わりの見えない苦痛を強いられるのだ。
(続く)
TLTLE:父
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-7)
(『月の雫』以後、雫と省略)
憧れの家庭
悲しいかな雫と母は、自分達の意思とは全く無関係に、受け入れ難い時代錯誤的な環境に放り込まれてしまったようなものなのである。あたかも戦場の同胞のような女子二人とでも言おうか。
雫の母はごく普通のサラリーマンの家庭に生まれた。
一番末っ子だった。
高校を卒業すると間も無く(19歳くらいか)、親の決めた相手と結婚した。
写真を見ただけの相手だったが、断るほどの印象の悪さも無かったのだろう。
それなりに覚悟を決め、受け入れて嫁いだ。
自動車なら4時間は掛かる、決して近いとは言えない、親戚縁者もいない見ず知らずの土地だった。
いきなり、13人という大家族の中に放り込まれ、家政婦的役割を担わされ、農家の嫁と職人の妻という生活が始まる。
そして、雫を産み、何が原因かは断定できないがある病気で2年ほど入院した。
退院後も自分の自由な時間など勿論無い、13人という大家族の慌しい生活が繰り返される。
20歳そこそこの母にとっては毎日が生き地獄だったに違いない。
そしてそんな生活で溜まったストレスや鬱憤は測り知れないほどであったろう。
雫の母はそんなストレスや鬱憤の捌け口を雫に求めた。
そのような場合、世間では、その形は腕力や言葉による虐待となって子供に向けられてしまうことが往々にして起こるが、幸いそういう形で雫に向けられなかったことがせめてもの救いだろうか。
しかしそれが如何なる形とは言え、縋り付かれてその捌け口にされた雫は…子どもだ。
多少その辺の子供より言葉の理解力に優れていても、子供に変わりないのだ。
大人のストレスを受け止められるだけの度量がある筈もない。
勿論、雫の目には可哀相な母が見えていた。
可哀相な母の心情が見えていながら、雫は気付かない振りをした。
子供なりにやりたい事も、やらなければいけないことも沢山あったからだ。
それは成長していく過程で、子供には必要なことばかりである。
それは雫の無意識の自衛本能であったかも知れない。
そんな大人の事情にごく普通の子どもの自由を奪われたくないという無意識の自衛本能だったかも知れない。
雫にとって、母のストレスを受け止めることは容易ではなかったが、与えられた家事もまた、子供の雫には大きな負担だった。
例えば、日に2回の2升の米研ぎと13人分の後片付けは、旅館に匹敵するような仕事であった。
客観的に見れば、と言うより常識からいっても小学生の子ども(雫)には理不尽というものだろう。
その仕事に子供としての時間を費やしながら、雫はよく友人達のことを思い描いた。
「今頃何をしているだろうか。音楽番組や流行のドラマを見ているのかな。」
子供が机に向かい教科書を開き、学校の宿題や予習復習をしていれば、普通の親は喜ぶものだろう。
そして、正常な親子関係がそこにあるならば、子供は抱いた疑問を親に訊いたり、親も顔を突き合わせて丁寧に教えてくれる…、そんな空間がそこには存在するだろう。
雫はいつもそんな光景を思い描いた。
親子で、親子とまで言わずとも、せめて母子で…。そんな家族の団欒が雫の理想だった。
テレビドラマなどで、よくこんな都会の家族風景を目にしたことはないだろうか。
仕事から帰った父親が、騒々しく走り回って遊んだり、或いは齧り付く様にテレビに夢中になっている子供に向かって、「テレビばかり見てないで、(遊んでないで)勉強しなさい。」と言う、あの風景…。
そのような極普通の日常が雫の理想だった。
最近は、「ゲームをしていると、『勉強しろ!』と親が煩いから殺した」などという話が、当たり前のように聞えて来る。
短絡的で情け無い話であると同時に、そういう普通の家族を経験したい雫には理解できないことである。
そういうニュースを知る度に、家族を代われるものなら代わって、自分がその環境でやり直したいものだと雫はつくづく思うのだった。
ここで言い加えるなら、雫たち子供には、この家で自分が見たい番組を見るなどという、テレビのチャンネル権はなかった。
だから「テレビばかり見てないで…云々」と言う状況がそもそも無い。
そして、就寝時間は8時と決められていた。
お金を稼いで家族を養う父親は、絶対的存在であり、当然、口ごたえや反発など許されなかった。
テーブルの上の母の作った食事を囲んで、学校の話や友達の話、授業の事、先生の事…、そんな他愛もない会話をしながらの夕食時の一家団欒…、それは絶対に叶わぬ雫の理想だった。
雫の父は日常口癖のように言った。
「勉強なんかしなくていい。さっさと学校の道具(教科書等)を片付けて、ご飯の手伝いをしろ。」
そして二言目には「そんなに勉強したところで、どうせ嫁に行くんだから。」
(どうせ嫁に行く…雫が嫌いな言葉だった。)
そしてこうも言った。
「勉強しすぎて大学へ行きたいなんて言われちゃ困る。教師や医者や政治家になるなら別だが。」
父にとっては教師、医者、政治家、他公務員は立派な職業で、それ以外は取るに足りない職業であるという考えだった。
おそらく職人と言う自分の仕事さえも、職業として高い位置付けはしていなかったろう。
まして女がキャリアを持って、家庭より仕事を優先するなどという選択肢は、雫の父の脳内には存在しなかった。
雫は、全てに於いてあまりに狭い思考で、現実離れの飛躍しすぎる発想で極論をかざし、親として以前に大人として常識外れな、自分の父親が情けなく思えてならなかった。
これが自分の父だという事が、嫌で嫌で堪らなかった。
母も母らしくは無かったが、それ以上に雫は父親が大嫌いだった。
この父親の血が自分に流れていると思うと体の中から掻き出したい衝動と嫌悪感に囚われた。
自分が存在する事すら許せない、時々そんな思いに取り付かれ、無性に自分を恨めしく、おぞましく思うのだった。
雫は、この父親の元にいたら、或いはこの父親がいる限り、『自分には人生の選択肢はない』という思いに追い詰められつつあった。
一歩間違えば殺意に変わりかねないほどの嫌悪と憎悪を抱き始めていた。
だが幸い雫の場合それの矛先は、父や自分への殺意では無く、その後実行するべく、この環境からの脱出計画へと向いていった。
今思えば、雫のこういう発想は、諸々の事情で関わることになった開拓移民の祖父の意気地の影響に他ならない。
今も何かと思い悩み混乱に陥り易い雫だったが、その人格を維持しているものは、祖父との生活によって培われ、根底に根付いた『現状打破』の開拓精神に違いないのである。
しかし、そんな祖父の意気地に支えられている反面、その後も祖父の教育とは全く対極と言える、父の自己中心的な、子供教育には凡そそぐわない思想に雫は縛り付けられながら、青春時代をすごすことになる。
(続く)
TLTLE:憧れの家庭
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『月の雫』と言う生き物の培養液(28-6)
(『月の雫』以後、雫と省略)
雫と母の関係
雫が子供時代を生きたこの小さな世界での人間の価値は、完璧にやれて『100』になるのではなく、そこが『0』のスタート地点なのだ。
ここでは、完璧に出来た所から、人間の価値が発生するのだ。
雫の子供時代が将来何の役にも立たないことにつぎ込まれようが、雫がそれらを完璧にこなそうが、この小さな閉鎖世界では出来て当たり前と言う、そこからが『0』なのだった。
雫は学校の勉強や趣味に没頭するを口実に、その仕事を遅らせたり忘れたフリをする事があった。
米を研ぐ大変さがイヤだったこともあったけれど、子供らしく机に向かう権利(学習する事)を、否定され奪われることへの反発、理不尽な事を強いられ、納得のいかない思想で押え付けられる事への些細な抵抗だった。
この家では子供に対して、勉強よりも家事手伝いが優先という、現代では考えられないような歴史と逆行した教育が平然と為されていたのだ。
仕事をさぼるという雫の抵抗は、田畑から疲れて戻った空腹な大人や母を度々失望させた。
そういう時、雫の母は明らかに口数が減り、確実に表情は不機嫌さを顕わにして、見るからに暗かった。
当然だ。
田畑仕事で疲れた体を引き摺り、ご飯と味噌汁は出来ているはずだと当てにし、少しは家事で楽をさせて貰えることを期待して家に帰り着いたのにそれがなされていなくて、13人分の食事の支度を全て一からやらなければならないのだから。
おまけに末っ子で育ち、20歳前で嫁に来た雫の母は、あまり料理が得意ではなかった。
更に気の毒なことに、義姉(父の姉)がやたら器用で料理も上手い女性だった。
義姉自体は嫌みなどを言う人ではなかったが、雫の母にとっては、そんな義姉の存在や姑の遠まわしな嫌みや、偏屈で我侭で亭主関白な夫(職人とはそんなものだけど)、更に頑固で偏屈な舅、全く能天気な義理の兄達二人、そして赤の他人である弟子達の、無言のプレッシャーの生き地獄に、日々心は休まることなく晒されていたと思う。
雫の母にとって、雫は彼女の子どもと言うより、他人だらけの中にあって唯一自分が泣き言をさらけ出せる、血の繋がった身内だったかもしれない。
と、同時にまだ母親になりきっていない若い彼女にとって、身内や友人から離れてくらす不安な心を支えてくれる、雫はそんな友人的存在だったかもしれない。
事実、当てにされながらも雫はしゃあしゃあと彼女を裏切るのに、皆が夕食を終えて茶の間から姿を消す頃には彼女の機嫌はすっかり戻り、まるで親友に相談するかのように姑に対する愚痴や困りごとを、雫相手に零し始めるのだった。
年寄りが寝静まった後の夜半や、家周りの手伝いを二人っきりでしている時などに、それはまるでOLさんが給湯室で先輩や会社の愚痴を零すかのようだった。雫がいくら言葉の理解力が多少優れていたとは言え、相手(雫)は小学生低学年だということを考え合わせれば、親子の然るべき理想的な関係とは凡そかけ離れている。
そのような妙な依存関係になった原因は他にもある。
おそらく雫の母が、出産してから雫を育てていないからに他ならない。
縦列的な親子関係ではなく、並列的な姉妹或いは友達のようなそんな関係の母と雫。見た目だけなら友達のようで『嬉しい~!』ともなろうが、実際の日常生活に於いての精神的な関係までそれでは、人間教育や親子関係によって育まれるべき子供の人格に大いに問題が起こりそうである。
随分昔『学校へ行こう!』と言う番組で、〔友達親子〕なる企画があった。
若い(と言うより若作りした)お母さんと娘がペアとなって、どのペアがどれだけ友達同士のように見えるかを競っていた。
かつて、雫が15歳くらいになった頃、雫は母と二人でショッピングに出かけるとよく姉妹に間違われていた。
母子だと分かると「若くて綺麗なお母さんね」と、大抵皆言うことは一緒だった。
世間の人の目には仲睦まじい姉妹、或いは母娘に見えていたのだろうか。
そのことを雫の母がどう感じてたかは分からない。
彼女が一生懸命母親になろうとしていたとすれば、母親らしからぬ若い娘に見られていたことは、少なからず負い目になっていただろう。
世間の若いお母さんは嬉しいかもしれないが。
雫はというと、間違われるたびに『彼女に母を求めることへの諦め』が強くなっていって、雫の中での母の存在は『頼りない歳の離れた姉』に変わっていった。
世間によくある『見た目が友達親子』的母娘の場合、何だかんだ言ってもいざとなれば、娘は「ねぇ、ねぇ、おか~さん、お願い!」などと猫撫で声で甘え、それはいたって日常的な愛情表現であろう。
しかし『中身まで友達親子』的母子の場合、娘は母の支えになろうと努めることはできても、自分が甘える事はできないのである。
悲しいかな雫と母は、自分達の意思とは全く無関係に、受け入れ難い時代錯誤的な環境に放り込まれてしまったようなものなのである。
あたかも戦場の同胞のような女子二人とでも言おうか。
(続く)
TLTLE:私と母の関係
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